Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

上野哲生:PROFILE
プサルテリー、サントゥール、リュート、サズ、など、様々な古楽系(中東系)撥弦楽器を得意とする。ロバの音楽座、カテリーナ古楽合奏団の主要メンバー。
個人のレーベルMAGI RecordからCD、楽器の音も聴けます。Facebookはこちら
​趣味の動画等もご覧下さい!

政治の話をすると無視される風潮があると思う。友人同士でも家庭内でもSNSでも、普通にしていれば良いのに、音楽だけやっていれば良いのに、面と向かって言われないが、暗に言われてる様な気がしてならない。
中学3年の頃、社会科の先生=おばあちゃん先生がかなりな左寄りの意見を授業中に言っていて、普段あまり意見など言わない僕はこの時ばかりは「授業で政治の話を持ち込むのは良くないと思います」と言って、先生を泣かせてしまった事がある。中立性を持たせたいと思ったんだろうけど、今思えば僕は間違っていたかもしれない。
例の辺野古の問題にしても、中立性を問題にしているが、ただ中立性だけを言うなら黙っている事が中立なのか。こっちはこう思っているけれど、あっちはこう言う考えがあって、どちらも大事だね、って収めるのが中立性なのか?
僕はあの高校の先生に中立性を求めるのではなく、なぜ当時思っていた反対意見を言わなかったのか、なぜ議論の場にしなかったのか。おそらく当時の僕は先生の意見に同調はしていても、押し付けられたことに対する不満があっただけだと思う。それが中立性公平性を求めただけで終わってしまい、泣かせてしまったことを未だに後悔している。
僕はTVで「サンデーモーニング」も、「そこまで言って委員会」も観ているが、この二つの番組こそ左右に分れていて、双方の立場で中立性を欠いている。出演者を両方が半分づつ分け合って議論を戦わせれば良いと思うのだが、結論の出ない問題を無理やりまとめてしまう傾向にある。
僕の立場を言っておこう。今の僕は人からお花畑と言われようと、軍拡や軍事費を上げることも、武器輸出も反対だ。それは音楽をやっている自分のわがままかも知れない、とも思う時もある。戦争が近づけば活動は出来ない。
これは音楽家だけでなく、吉永小百合、坂本龍一、宮崎駿などをはじめとする著名人、多くの役者、映画監督、舞踏家、画家、宗教家、その他の表現者含めて同じだと思う。なぜなら表現者は全ては心の問題で解決できるからと思っているからだ。
平和でありたい、戦争をしたくない。こんなことは平和教育をしなくても、ちょっと歴史を知っている現代人なら戦争のリスクは誰でも思ってる事だ。率先して戦争をしたがっている人は兵器製造に携わる人たち以外にはそんなに多くはない。
今の日本の基点を大雑把に言えば、戦争を仕掛けられないために軍備を拡大させる(相手に脅威を与える)派と、外交や友好という心の問題で解決し(相手を安心させる)軍備を縮小させる派に分けられる。どちらも平和な暮らし、戦争のない世界を求めているには変わりないだけに、平和を論じるだけでは解決しない。その議論の焦点をはっきりさせ、解決策を見出すしか生き残る道は無いと言って過言ではない。焦点のはっきりしない論争は戦争に近く、益がない。
これは物価、生活、全てに関わってくる事だ。暮らしやすい世でなければ、僕は音楽なんぞやってられない。
だから政治発言は中立的な客観視にならないで、見守るだけで無く、同調も欲しいが反対意見も欲しい。人間は数だけの個性と考え方があるはずだから、それが何かを考える糧となるだろう。
自分を含めて中立が為に思考停止してしまう事が恐ろしい。


P.S.
僕はもちろん護憲派だけど、変えることで平和をもたらすと考えている人も多いと思う。
銃をちらつかせてこの国に手を出す事がヤバイと思わせるのが、この国が攻められない方法と考えている人が改憲派だが、これを論破しない限り押し切られる可能性が高いのも事実だ。家族を襲う強盗を取り押さえるのに武器を使わないのかと言われれば、いざとなれば使うでしょう。でもどうしたら強盗を生まない世界が出来るか、考える必要があると思う。

谷川俊太郎さんは、死後の世界に旅に出るのがとても楽しみだと言っていた。僕もあとどんなに長くても30年程で、その仲間入りをしていくと思う。
死ぬ事で何が負担かと言えば、まだまだやり残した事は終わりそうにないと言う事と、周りが悲しむ事だ。
死後、魂はどこに行くのか、そもそも魂はどこから来たのか、これほどの謎はないだろう。
調べているうちに、最近知った情報の中で一番納得のいくものが見つかった。それはニコラテスラの生死観だ。

ニコラテスラ
テスラと言えば米国産の車で名が知れているが、エジソンのライバルの様な存在で、電気の交流システム(エジソンは直流)、モーター、蛍光灯、X線、コイル、無線やリモコン、フリーエネルギー、殺人光線、等等等、発明の多様性は発明王と呼ばれるエジソンの比ではないと思っている。しかもその興味は留まるところを知らず、物理学者、化学者、思想家、神秘家、であり、テスラのイメージはマッドサイエンテスト的なイメージから、特定の宗教の教祖のような顔も見せる。
テスラは特許や金銭に関して殆ど関心のないのではと思われる、貧乏でなかなか世間に認められない人生だった。(ここもエジソンとは対照的だ。)人生だけでなく、その大量破壊兵器や殺人光線の着手、薔薇十字団の参加、不信な死因、それだけ謎が多い。自伝も書いていない、全て頭の中の出来事で、伝説もたくさん生れている。
ニコラテスラ2
彼が「すべては光である」という言葉は有名である。また宇宙を調和するものとして重視したものに「3・6・9」という数字の法則がある。これらの数字はエネルギー、周波数、振動の素であり、自然界のパターンや神聖幾何学において全てを表すという考えを持っているようだ。
ここで僕が思いだすのはピタゴラスだ。ピタゴラスの重視する数とは違うが、また宇宙を調和するものが数であることは同じだ。またピタゴラスは周波数、振動により音律、音階を提唱し、現代の「ドレミファ」につながるピタゴラス音律を生んでいる。正確に言えばこの音階は自然の法則から発明でも発見でもないと言える。

ピタゴラス
要するにテスラもピタゴラスも、数、つまり宇宙は光に代表される波形、振動、それが宇宙を埋め尽しているイメージがある。(フランスの物理学者ルイ・ド・ブロイは、すべての物質が波長を持つという仮説を提唱したと言う。)
これはこちらの想像がかなり入ってくるが、宇宙は巨大なサーバーで出来ていて、人間のような生物は端末の様なものだ。ほぼピュアな状態で端末に送られてくるデータは知識や体験、自我を確立し、創造したり、個性を持った端末に学習して育つ。端末が壊れるとそのデータは元のサーバーに帰っていく(残っていく)。それを栄養にしてサーバーは進化していく。
重要なのは宇宙は数で出来ているとは言えど、無味乾燥な基盤の配列で出来ているわけでも、0と1が並ぶ回路が並んでいるわけではない。それは音楽の波形はレコードの溝と同じ、見た目は波の図柄でしかないけれど、音楽と同じ調和を目指すものだ。つまり我々は音楽の世界からやってきて、音楽の世界に帰っていく。端末で得た情報と経験と創造物が宇宙の進化に影響を及しているに違いない。それは光の音楽かもしれないし、我々の知っている範疇の音楽ではないかも知れない。
我々が死んでからは音楽の世界で生きて行くのかと思えば、死ぬことは楽しみでもある。音楽家ではなくても、人生を存分に奏でることが出来れば、その功績が宇宙の形成に少しでも影響を与えられると思えば、短い人生、生きた甲斐があるというものでは無いか?
(あくまで私感で、テスラは死後に音楽の世界に行くとは言っていません)

5月5日は谷川俊太郎さんを思い出す日。
ロバの音楽座に居たお陰で、打ち上げで俊太郎さんと何度も会話をする機会が持てた。自分の曲を聴いてもらう機会もあった。許可を得て詩に曲を付けさせてももらった。とにかく俊太郎さんの詩は曲にするのは難しい。なぜなら言葉だけでミクロの世界から宇宙の果てまで表現していて、あえて音を付ける必要がない詩がほとんどだと感じる。
1次元である言葉が何重構造にも重なって、おそらく5次元を超えるほどの世界を作り出す。それは一見魔法のようだが、禅で言う「空」、つまり空っぽのなせる技だと思う。何にでも変身できる。何にもとらわれずあるがままを言葉にする事で、読み手は作為を感じないですんなり引き込まれてしまう。でもそこに血を通わせているのは、他でもない俊太郎さんの人柄なんだと思う。
自分の死すら興味の対象としている詩人は、今何をしているのだろう。僕はリアルタイムで話すのは得意じゃあないから、今の俊太郎さんと文通をしてみたいと思う5月5日であります。
(↓最近やっと見つけた、下記の2017年に作曲した「かぼちゃごよみ」の「六月」の詩のデモ音源です。ぜひ聴いてください)

https://magi.o.oo7.jp/nasunogahara/amadare.mp3

以下、2017年の投稿です。

5/5に谷川俊太郎と賢作さんをロバハウスに迎え「ことばとあそぶ おととあそぶ」を開催しました。

谷川さんとの今年のジョイントメインは絵:川原田 徹, 詩:谷川 俊太郎の絵本「かぼちゃごよみ」を素材に、プロジェクタ投影して俊太郎さんが詩を読み、ロバと賢作さんが交互に演奏しました。 

川原田氏は北九州市門司の出身で、ブリューゲルやボッシュに影響を受けた強烈な画素材を鏤め、門司の昔の風景をさらに超現実的に変えていく様な不可思議な絵が展開されます。1月から12月までの十二枚の絵に谷川さんがその絵に則したり則さなかったりして詩を書いています。 

今回の企画が決る前に、僕は既に六月の詩に曲を付けていました。 

あまだれは おなじおと 
むかしもいまも おなじおと 
あまだれは おなじおと 
あのまちもこのむらも おなじおと 
おもいだせそうで おもいだせないおもいでのように 
かさでかおをかくして あるいてくるのは 
だれ? 

<谷川俊太郎>「かぼちゃごよみ」より 

本来、淡々とした情景を歌ったものと感じるものかも知れませんが、僕の解釈は違いました。 
まず、普通なら「雨だれはあんな音、こんな音、色んな音が聞えていいね」と来そうな所ですが、あえて「同じ音」としたのには訳がありそうでした。 

ひょっとしたら雨だれは、人間一人ひとりの事を指しているのかも知れない。雨だれがが音を発する事は人間の営みであり、それは如何に文明が変ろうとも、昔も今も、アフリカも中国も、金持も学歴も、基本的に変らない。極端に言えば人間も動物も生き方が大きく変るわけではない。より「不変」「永劫」を表しているのではと思いました。 
確かに原子レベルで考えれば全てのものは原子核と電子の組合わせで出来ています。組合わせが違うから違うもののように見えて、実は全ては同じもので出来ています。 

ヒンズーの教えに「梵我一如」というのがあり、宇宙と個人は同一のもので、自分と他は区別がなく、宇宙全体でひとつの生命という素敵な考え方です。 
手塚治虫の「ブッダ」では、乳粥をくれたスジャータが死にそうになり魂の輪の中に入ってしまうのですが、ブッダが神様にスジャータの魂を返して欲しいというと、 
「その辺の好きな魂を持って帰りなさい。どれも同じようなもんじゃ」 
と言って生返らせるというシーンがあります。 
これは史実とは全く関係ないフィクションですが、端的に梵我一如を表していると思います。 

また鴨長明の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」に近いのような気がします。生れては消え生れてはまた消える人の生と営み。ただここに出てくる「不変」は「無常」と対を成し、谷川さんの詩ではざっくりと「無常」は省略されています。 
心はあまだれのようにひとつの雲から生れて、その落ちた環境によってそれぞれの道を歩みますが、元は同じものです。 

そうなると「思い出せない思い出」というものも他の人と共有しているものかも知れません。夕日を見るとなぜか懐かしさを感じたり、山を見れば晴晴れとした気持になる。人は大きく捉えれば君は僕で、僕は皆だ。 
歩いてくるのはよく見たら自分かもしれない。 

実は打上げの時にこの話をしたかったのですが、まとめないとなかなか正確に伝えにくいので、いずれ文章で聞いてみたいと思います。きっと全然違っているんだと思います。でも僕がそう捉えたのも事実であり、同じものを観ていても幾つもの世界が見える。 
素晴しい詩はそんな許容量を持っているような気がします。 

この詩に曲を付けるのにその同じ構成要素を見方によって違う情景に見えるよう、小節単位でどこからでも出入り可能な無限カノンを作ってみました。伴奏は一小節のみのオスティナートが永遠に繰返されます。 

(写真は桧垣康彦氏撮影) 
かぼちゃごよみ

ロバの音楽座のツアーで、泉大津からのフェリーに乗る時まで3時間余りあったので、旧万博跡地の国立民族博物館=通称民博に行った。
僕にとっては45年ぶりの民博だ。当時はシルクロードの事は本では知っていても、今の様にyoutuveとか、ネットの情報も金もない時代、引きこもりの?僕にとって民博で世界の文化を観て知る方法しかなかった。
金も無いので50ccの原付バイクを飛ばし、東京から野宿をしながら(たまに安宿に泊まり)3日間かけて大阪にたどり着いた。民博の余りの情報量の多さに頭がおかしくなりそうで、5日間通い詰め、少しずつ色んなものを見る事にした。
当時特に興味があったのはペルシャ文化だった。セタールやタール、トンバク、ケマンチェなどを、間近で見るのは初めてだったし、当時写真も写せないから、何度も観て目に焼き付けようとした。
何度か話題にしたが、僕がペルシャに魅せられたのは、小泉文夫さんの監修で招聘したイランの音楽家の演奏会と、松本清張の「ペルセポリスから飛鳥へ」と言うエッセイからだ。
後者は奈良時代に日本にペルシャが来ていたと言う、これはすでに説ではなく事実なのだ。日本書紀などに出てくる「胡人」とはペルシャ人の事だ。正確を記すならソグド人と言うべきだろう。
はペルシャよりもっと現在の中国に近い、サマルカンドあたりに位置していた商業を得意とした民族だ。
ソグド人とペルシャ人はペルシャの言語を話し、同じ民族と言っていいくらいに近いが、定義は難しいがイコールでは無い。
確かにペルシャ人は650年以降、イスラムの台頭に沢山の人たちが何千キロも旅をして長安の都に逃げ込んだ。その人たちの一部は仏教に改宗し、鑑真などに同行して日本にやって来た。これは710年頃の話だ。僕にとって何となく日本に最初にやって来たペルシャ人のイメージがあった。
ところが日本書紀の成立が620年だとすると、すでに胡人の記述が出てくる。ここに出てくる胡人こそ、サマルカンド辺りに住んで、伎楽面などを日本に持って来たソグド人では無いのか。つまり僕はイスラムの台頭をペルシャ人が日本に来る理由づけに済ましていたのだが、単純な話、すでにペルシャ人はイスラムの脅威とは関係なく日本に足を運んでいたのだ。酒船石、猿石など明日香の地にそう言うものを作った時期は、簡単に日本に行き来していたのではないか。
伎楽面が中国や朝鮮半島に残っていないで、日本にしかないのは、安易に考えれば直接やって来たと見て良いのでは無いかと思う。今までいくつかペルシャの事を書いた中で間違っていたことが発覚した。
今回偶然、ロバのツアーの始りに大阪の国立民族博物館で特別展「シルクロードの商人(あきんど)語り―サマルカンドの遺跡とユーラシア交流―」というのををやっていた。まさにソグド文化の特別展だ。新たに採掘した木簡や出土品が多く展示されていた。多くの楽器の絵、ペルシャのイメージとはまた違った出土品。どちらかと言うと敦煌を匂わせるところを感じざるを得なかった。もちろんどちらもシルクロードの中継点であるから、東西の影響はかなり色濃く出るであろう。
実はソグド人と言う民族に、かなりイマジネーションを掻き立てられる時期があった。1990年頃の話で、「ソクディアナ」と言う歌の曲まで作っている。
この歌はどう見てもインドの有様を描いたとしか思えない。ただ、インドを描いたと言うより、ソクドの詩人が旅先のカルカッタで、凄まじい混沌の中で生命の不思議を驚愕するという、その頭の中のカオスを描きたい、そんな2重構造の歌である。
今思えば、ソグドというタイトルで曲を描きたかったが、ソクドの詩人を主人公にして、その視点から見た光景というこじつけのような歌である。
自分でも忘れていた作品だが、とても興味深いところも多々あるので、公開します。
(動画は同時期に撮った秋芳洞の映像を加工して使っています。)

「ソグディアナ」詞・曲;上野哲生(サズ、サントゥール、ザルブ)、歌:上野律子

2017年に録音したプサルテリーの即興演奏です。演劇の背景音楽に使用しただけで、CD等には入れていない未発表のものです。プサルテリーの最も宇宙的な響きを感じる即興です。

この曲は歌詞と共に1979年に作ったギターで弾き語りの作品です。
当時はじめて、ペルシャ=イランの伝統音楽に触れ、イランの詩や工芸品の文化、楽器などの源流を知り、イランに強い憧れを持っていました。
サントゥールという楽器を知ったのもこの頃でした。レコードで聴いてとても興味を持ち、これはどうなっているのだろうと様々な文献を探したりしました。
8世紀、イスラムの台頭によってゾロアスター教のペルシャ人が長安の都に逃込み、その一部が鑑真と共に日本に来たと言う事実も知り、自分の頭の中で生まれる前はペルシャ人だったというような妄想を描くようにもなりました。
そこでイランに行こうと思い、ビザを取ろうと大使館に電話をしました。
僕は当時、国際情勢など知るよしも無く、イラン革命が起ったばかりで、当然行けるような状態では無いと、断られました。
行けないと思えばこそ、イランへの憧れは募るばかりでした。思えば自分の演っている楽器の多くはペルシャ生れのルーツのものが多く、また詩のスタイルもゲーテが憧れたように、西欧の詩人たちにも多大な影響を与えたようです。
ペルシャの詩も日本に足跡を残しており、太宰治も「人間失格」の中で詩人:オマル・ハイヤームの詩を引用したり、様々な文学に影響しています。
ペルシャの詩が日本に最初に入ってきたのが4行詩で、1217年に南宋で書かれ、日本の僧侶によって持ち帰ったものがあります。
4行のうち最初の2行は出典は解りませんが、後半はペルシャの初期の詩人:フェルドゥスィーの詩だと後の時代に解かりました。
「世は思い出、われらは去りゆく者、人に残るのは善き行いのみ」岡田恵美子訳(後半2行のみ)
当時、僕はこの詩の部分の特に「世は思い出、われらは去りゆく者」の、鴨長明にも近い無常観にいたく心を奪われ、自分の創作活動の多くがこのテーマに縛られていきました。
そしてこの詩のフレーズを使って作ったのがこの動画の恋の歌です。
フェルドゥスィーのパクりだと言われても仕方ないですが、それほどこの詩が僕の中に根を下ろしてしまったのです。
結局僕はイランには一度も行っていません。イランに憧れても自分の演るのはイラン音楽でも無ればイラン文化の発掘でも無い、故郷は遠きにありて思うもの、の様な想像の世界で、政治情勢に左右されないところで、イランにイメージを抱いて生きて行くのが良いと思って生きてきました。
こんなイランを政治体制がどうあれ、宣戦布告もなしに土足で踏込み、多くの人間を殺害し、空爆だけで体制を覆すことが出来るなんて、思い上がりも甚だしい。イラン人は決して屈することが無いだろうから、この戦争は長引くでしょう。知能も誇りも勇気も優れたイラン人に比べれば、文化を持たない幼稚なネタ二ヤフやトランプはミジンコ以下です。それに諂う様々な国も同様です。かと言ってこのまま戦争が終らなければ、すでに我々の中にまで被害が及んできます。
その昔、英国の圧力でイランとの石油を何処も手を出せないとき、出光興産の日章丸が原油を強行輸入した事があります。それ以来日本とイランは友好関係を築いて、東北大震災の時は今の外相が支援してくれたり、本当は日本が停戦を呼びかけ調定すれば戦争が終るのかもしれない。
まあ、今の内閣からは想像もつかない話しですが。
そのフェルドゥスィーの詩に影響を受けた「時の川」、Psaltery伴奏で背景に油絵のタッチのAI動画を作ってみました。懐かしくも思いますが、作風は随分青いですね。

人と言うものは、本来友好的に接すれば、争い事は起こるはずがない。何かの脅威に晒されたり、威圧感を与えたり、無理な搾取をしたりしなければ、喧嘩は起こらない。貧困差や差別を口にせず、生きることを共有し信頼し合えれば、安心して楽しく生きていける。
多分どこかで統率するものが生まれ、縄張りと言うものが生まれ、他の縄張りと区別され、脅威が生まれた。考え方、信じる神、優越感、誇り、どうも争いはそこから始まるらしい。
イランの大地も、イスラエルの約束の地も、元々は羊飼いが暮らす平和な土地だった。ある時から国家と言う観念が生まれ、領土化され戦いの絶えない土地となった。それは縄張り争いをする側の権力者の都合と欲望で始まった事で、99%の一般の人々には失うものばかりで、争いで勝ち取るものは何もない。
いっそ、この世から権力者が一瞬にして消えてくれれば、国家と言う観念がなくなってくれれば、未来永劫の平和な時代が来るのかもしれない。
最近は「王道」なんて言葉は使われないが、本当に民のための政治をやってくれるなら、国はあっても良いと思う。でもどこを見てもヤクザ以上の殺し屋集団にしか見えない政府しかないではないか。他所より強力な核兵器でも持たないと安心できない。
王道政治をしてくれるなら全ての国同士の緊張状態を回避し、軍備増額も税金もほぼ無くして、安定経済を持続させられるだろう。
老子が唱えた2600年前に小国寡民と言う考え方は、現代において必要と思っている。国の規模が大きくなれば競い合いが起こりやすくなり、過度な欲望が生まれてくる。小さな国が点在すれば、それぞれの顔も見え、ご近所と仲良くやって行く事を考え、自然な形で幸せだって得やすいだろう。
学校のクラスだって人数が多すぎると意見もまとまらないが、少ない人数なら理解し合える。
まあ、今国家を解体するのは難しいだろうが、どうするのが人にとって幸せなのか、ちょっと視点を変えれば答えは出やすいと思う。
とにかく、話し合いを持てない、人の命を屁とも思わない、いきなり武力に物を言わす様な輩は、付き合わない方がいい。驕れる者は久しからずや、と言うではないか。小国寡民だって他所とあまり深く付き合わない方が良いと言っている。自給率は上げないと無理な話だが。
まあ、頭にお花畑が咲いていると言われても、僕にはそんな事しか言えない。



作詞:広島友好 作曲:上野哲生 仮歌:上野律子 上野哲生 他 プサルテリー演奏:Tessey Ueno 日本遺産演劇「那須野が原に華ひらく」について 作:広島友好 演出:鈴木龍男 音楽:上野哲生 出演:劇団らくりん座 他 夢と希望を胸に、広大な那須野が原の開拓に挑んだ華族たちの情熱的なストーリーを、劇団らくりん座がお届けします。 日本遺産に認定されている那須野が原の歴史を、演劇で楽しく体験。 家族で楽しめる内容となっていますので、この機会にぜひお子さんと一緒に劇場へお越しください! <あらすじ> 現代の12歳の少年つくるは、日本遺産をテーマにした学校新聞づくりに気乗りしなかった。 ある日、シカの精霊ナスシカに導かれ、明治時代の那須野が原へ。 そこで松方正義や西郷従道、青木周蔵達開拓者に出会い、つくるは“土地に生きる”ことの大切さを知っていく。 日時:令和8年2月14日(土曜日)開場13時~/開演14時~(90分・休憩あり) 場所:大正堂くろいそみるひぃホール(黒磯文化会館 大ホール) 入場料:無料(要お申込み) お問い合せ:那須塩原市 教育部 生涯学習課 Tel:0287-37-5419 https://www.city.nasushiobara.tochigi... <チケットお申込みフォーム>https://docs.google.com/forms/d/e/1FA... この歌は音楽担当の上野が、演劇と共に心に残る歌を残したいと、作者の広島氏に頼んで書下ろしてもらった挿入歌で、この劇のイメージソングでもあります。実際の歌の録音には栃木県の子どもたちに歌ってもらう予定です。 この映像の歌はいずれその子たちの声に変っていくことになります。 もしこの歌が気に入って頂けたら、ぜひこの演劇を観に来て、一緒に歌って下さい。そしてこの劇と共にいつまでも多くの人の心に残ってもらえる事を夢みて。 

本番の録音では、地元のSweetHeart ミュージカルの子どもたちが歌ってくれました。
歌声に癒されます。ぜひ聴いてください

日本人はこんなにまで、憲法を変えたいと思っていたんだ。
日本人は主権が自分たちにあることを放棄したがっていたんだ。
日本人は殺傷能力の高い武器を売ってでも、経済を立直したいんだ。
日本人はあの原発事故を教訓にしないで、エネルギーを原発に頼る道を選んだんだ。
日本人にとって、核保有は必要だと思っていたんだ。

「戦争をしないための武装だ」「させないための核保有だ」
色んな風に言ってはいるが、結局は戦後レジュームからの脱却、つまり占領下で押しつけられた憲法や枠組、考え方を見直し、日本自身の主体性によって独自の防衛能力を持ち、本来国のあるべき姿を取戻そうとする、安倍元総理が特に掲げていたスローガンだ。
日本の主体性を持つこと、国のあるべき姿を持つことは賛成だ。問題は武力を誇示しないと、交渉一つ、意見一つ言えないと思い込んでいることだ。

前から何度も述べてきたことだが、国家はヤクザと同じだ。ヤクザはチャカの性能と数、兵隊の数がものを言う。相手より優れた武力を持つことは、相手との交渉に有利に働く。なめられたらいかんのだ。
誰も戦争したいわけじゃあないのは解る。結局大国に負けないくらいの武力は国の経済を掻き回し、国民が同じ考え、同じ思想の元で統率されないと、戦力にはならない。思想の違う者は排除される。

安倍元総理や高市総理が所属している日本会議は、国民主権ではなく、国家主権を提示している。これはみんな力を合わせて心を一つにして、強い国にしていこうという事だ。これは今の自民党の憲法改正案にちゃんと出てくる。これを知っていて自民党に票を入れたのかな。みんな違ってみんな良い、では駄目なのだ。

色んな考え方があるだろう。自分の自由はさておき、強い日本を護れればそれで良い。綺麗事は言っていられない。ただそんな流れを理解した上での考え方での投票であって欲しいと思う。それでも国家は人の上に立つと。

僕等みたいな音楽家や表現者の多くは常に自由でありたいと思う傾向にある。だから日本会議的な考え方には同調しない。まあ日本会議の人たちも戦争をしたいわけじゃあないと言うことも理解している。
束縛されるなら、ストラヴィンスキーもバルトークみたいに亡命するしかないと思っている。英語すらもしゃべれんけど。

来週の土曜の放送です。「おんがく交差点」で予告編をやっていましたので、投票日前日でどうなるかと思っていましたが、無事に放送するみたいです。
2月7日、朝8時よりBSテレ東(通常はBS7ch)で30分間の放送です。
番組はTverで見逃し配信はしていないので、BSに加入されていない方なども含め、観る方法はないの?と聞かれますが、この予告編動画からどんな番組だったか、想像していただくしかないです。すみません。
プサルテリーに出逢う経緯や、ロバの活動のことなど、色々話しましたが、ビートルズや新しい音楽を求めて古楽に出逢った話が中心となりました。
この楽器を買う方法はないと言ってしまいましたが、実はEarlyMusicShopなどで手に入れる事は出来ますが、これと同じクラスのものは作家に作ってもらうしかないという意味で、作るしかないと言ってしまいました。詳しく訂正したいところですが。
緊張していた所為か演奏は硬かったですね。普段もっとリラックスして即興をしていますが。
個人のページにもう少し柔らかい演奏動画があります。良かったらそちらを聴いてみてください。

この日の番組の紹介です。少しだけ演奏の様子が聴けます。
2026年2月7日(土) あさ8時放送! ゲストは「天使の楽器」と呼ばれる弦楽器 プサルテリーの演奏家 上野哲生さん! プサルテリーは中世の讃美歌に登場するヨーロッパの古楽器!当時の楽器は現存しない? 実はチェンバロの祖先!「天使の音色」の秘密はカラスの羽?でも指だけでも大丈夫…? いきなり上野さんが大谷さんに2つのプサルテリーで合奏を提案!どんなコラボになる? 上野さんの音楽のキッカケはビートルズ!新しい音楽を求めて辿り着いたのが…古楽器? 「天使の楽器」はギターより簡単に作れる!でも簡単には手に入らない?そのワケは…? 上野さんは冬から早春の情景を演奏!大谷さんはプサルテリーで伴奏する讃美歌を演奏! 『天使の楽器プサルテリー』と『歌うヴァイオリン』が『蝶になる歌曲』でコラボする!! ■♪ゲストの演奏曲 「冬の情景《中世・ルネサンス音楽メドレー》」 ①「バスダンス」 作者不詳 15世紀 ②「聖母マリアのカンティガ集100番」 アルフォンス10世編纂 13世紀 スペイン ③「雪のイメージ」 即興 上野哲生 ④「風の歌」 作曲 ジャン・シャルダヴォーヌ 16世紀 フランス ■♪ヴァイオリンの小径 「詩篇第128番 結婚の讃美歌」 作曲 ジョン・ラター ■天使の楽器プサルテリー×歌うヴァイオリン コラボレーション 蝶になって飛び回る様子をイメージした上野哲生さんオリジナルの歌曲で共演! ■♪コラボレーション 「胡蝶の夢」 作曲 上野哲生

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