Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

上野哲生:PROFILE
プサルテリー、サントゥール、リュート、サズ、など、様々な古楽系(中東系)撥弦楽器を得意とする。ロバの音楽座、カテリーナ古楽合奏団の主要メンバー。
個人のレーベルMAGI RecordからCD、楽器の音も聴けます。Facebookはこちら
​趣味の動画等もご覧下さい!

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ロバの音楽座というグループに居て、引きこもりに近い僕自身は今までちゃんとロバを見る機会が多くはなかった。
まあロバの知識はあっても、それは想像上のユニコーンやドラゴンやエルフに近い、とても観念的な神々しい存在だった。
自分ではどんな動物か説明も出来るし、実体験が無くても情報として「ロバの歌」に歌われている性格などを感覚的に解っているつもりだった。
今回、ロバの音楽座の尾道ツアーで、尾道のロバ牧場に行く機会があった。
ああ、僕は何も知らなかったに等しかった。ここまでロバを体感したことがないに近い。それはまず複数頭の群れで居ることも大事なことだ。
主人は「プラテーロとわたし」に影響されたと言っていたけれど、まさにあの詩の感触そのままの感じがした。
ロバは色々な性格があり、接していると本当に人間の子どものように我儘でやんちゃで可愛い。
宿泊施設もあるので、近くに行った人はぜひ寄って欲しい。ロバを好きになること間違えない。
HPには写真家の娘さんの撮った綺麗なロバの写真が沢山載っている。
ロバの背中に十字模様が付いているのを初めて知った。ロバがキリスト教に愛される所以だ。
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早々と完売になってしまい、チケットを買えなかった方々は本当に申し訳ありませんでした。当日来ていただいた方々は本当にありがとうございました。楽しんでいただけましたでしょうか?
まさに50年の記念に相応しいコンサートになったのではと自賛しております。
カテリーナとしては通常のコンサートも正味(休憩を除いて)1時間40分ほどですが、同じ1時間40分とは思えないほどの密度の濃い内容で、しかも今回メンバー1名が急遽出演できなくなるという逆境の事態に、編成を組直しメンバーの気持が一つとなり結果最善の方向に持って行けたと思います。
メンバー、ゲスト、観客の皆さんを含め、この希少な形態のグループの半世紀をお祝する気持が、「祝祭」の名に恥じない結果をもたらしてくれたのではと思っています。
驚く事に一晩で体重が2kg減りました。汗をかいた分けでも無く、それだけエネルギーと集中力を使ったと言う事でしょう。
がりゅうさんは「古楽オーケストラが夢だった」と言っていましたが、実際には3人のスペシャリストが増えただけなのに、本当にオーケストラのサウンドになったのには驚きました。まだまだ可能性は無限にあるのだと思います。
個人的にはウードを手に入れ、初お披露目しました。トルコ製のウードはよく響き、本来の鉢(メズラブ)を使うと音が大きすぎ、曲によっては溶け込まないため、サズのピックを使ったりしました。でも響きはふくよかでフレットがないため自由な音程を出せ、70歳を過ぎての挑戦で、更に新しい世界が開けた気がしました。


23カテリーナ「祝祭」チラシ
祝祭1
 

太陽劇団の「金夢島」観ました☺️
前回日本に来た時の「堤防の上の鼓手」は文楽を生身でやるような演出でしたが、今回能や狂言、歌舞伎をはじめ、ありとあらゆる日本の文化を表現に取り入れた、美しく何か込み上げてくる様な感動がありました。
1人の療養中の女性がベッドの中で日本を想い妄想する、恐らく舞台はこの病室から一歩も出ていないのだろうが、その白日夢に現在の世界のあらゆる事が展開され、凝縮されています。
3時間15分と言う長い舞台だったけれど、バリ郊外の太陽劇団のアトリエで観た7時間には及ばないです。あの時は字幕も無しで派手な演出も無く、それでも伝わるものがありました。インドのガンジーやネールの芝居で休憩が1時間。インド人に扮した役者がカレーやナンを売っていた。主宰のムヌーシュキンさんがもぎりや案内をしていたのが印象的でした。
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今回この3時間越えの芝居が終わった後、特別に約1時間近く、ムヌーシュキンさん(今年84歳)を囲んだ交流会+この作品に思いと質疑応答がありました。実に8割のお客さんが帰らずに残って話しを聞きました。感想は皆素晴しい舞台でしたと言うのですが、なんか質問内容は「日本文化は雅楽などもあるけどそういったものは取入れないのか」とか「表現にあえて携帯電話をなぜ使うか」とか、通ぶった概念的な質問が多く、もっと太陽劇団自体の活動のことを聞きたいと思いました。
どれも答えに困るような内容が多く答えるのにとても時間がかかり、もう少し時間があれば僕だったら団員の音楽面の事を聞きたかったです。今回団員が歌う歌がどれも素晴しく、例えばビートルズの「ビコーズ」を3人の女性が生のヴィブラフォーンを伴奏に(ほぼアカペラのように)歌ったのですが、これが本当に演劇畑の人達のコーラスかと思う程精度の高い素晴しいものでした。またアラビア語の素晴しい歌や、日本の謡を真似たようなその歌唱力に驚かされ、この様な音楽的素養は元々持って劇団に入ったのか、また劇団に入ってから色々な経験を積むうちに身についたのか、そんなことを聞きたかったです。
今回、異常な量の各国の民族楽器等を持込んで演奏していた、音楽担当のジャン・ジャック・ルメートルの姿はありませんでした。劇に音を付ける彼の姿勢に自分を投影していたところもあります。それだけは残念でした。
うちの奥さんなどは「訳がわからない部分が多い」などといっていましたが、話しを追えば何でそこはそうなるのか解らない部分も多いと思います。まあ僕なんかは言いたかったこと、なぜそこにそうなるとか、そんなことより、「ああ、こう表してきたか?」「おお、こう来るか?」それとフランス語の台詞の綺麗なこと、そこに日本語が絡んでくる面白さ、ある意味取り合せの面白さがたまらない部分があります。
最後に能の舞を踊りながら、アメリカの古いスタンダードが流れ歌われますが、恐らく元の歌に団員達の下手だけど一生懸命に声を出して歌っているその歌が何とも始めて味わう化学反応で、なぜか泣けてきます。途中に一度歌われましたが、最後はこれで締めるかなと思っていましたが、それは見事的中しました。
カメラ禁止だけど、無断で撮った写真は舞台の様子とムヌーシュキンさんとの交流会の様子です。声も録りました。
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放送関係のスタジオ仕事ばかりのお知らせで申訳ないですが、今週日曜日から始るドラマ「セクシー田中さん」と言うドラマで演奏を頼まれ、Lavta、Saz、Santur、を弾いています。
 
昼はOL、夜はベリーダンサーに変身するというドラマらしく、ダンスの伴奏かと思いきやそれは本物のアラブ音楽奏者でやるそうです。こちらの音はどうやらペルシャ料理店の背景音楽に使われるらしいです。予想に反してジャズ風なフレーズが多かったです。音楽は日向萠さん。

ダルブッカと言う言葉が日常的に使われているのが、何とも可笑しい。
セクシー田中さん
 

10月14日公開の岩井俊二&音楽・小林武史による音楽映画「キリエのうた」の劇音楽に、中世の曲を2曲をリュートとプサルテリーで演奏で参加しています(一曲はviolに折原麻美さんが参加)。
10/18にはサントラも2枚組みで発売され、おそらく14,15トラックに演奏した曲が収録されます。多分試聴も出来るのではと思います。
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異色の歌手、アイナ・ジ・エンドが住所不定の路上シンガーを演じます。キリエは歌うことでしか〝声〟を出せない。 マネージャーを自称する、謎多き女イッコ。 二人と数奇な絆で結ばれた夏彦。 別れと出逢いを繰り返しながら、それぞれの人生が交差し奏でる〝讃歌(うた)…。
僕はまだロードショーを観ていないので音楽の使われ方も解っていませんが、松村北斗、黒木華、広瀬すず等が共演し、サイトを見ると相当な豪華キャストです。
サントラ情報(10/18発売、試聴可能になっています.14,15トラックで演奏しています)
→オリジナルサウンドトラック試聴


後日、映画「キリエのうた」を覧て
正直、今の日本でこんな映画が作れるんだ、と驚かされた。感覚的にはイタリアの古いネオリアリズムを思わせる。どこか現実の儚さ、やるせなさ、無力感みたいなものが漂い、それが社会に対して歌で痛烈に訴える何かがある。なぜキリエは声を失ったのか、過去と現在を境目なく行き来して、物語のカラクリに徐々に迫ってくる。全体を見ると個別の人間達もそれぞれの世界の中で生きていて、その描き方が美しい。3時間を超える長さを飽きる事もなく、静かに目が離せなくなる。
初めての映画出演、アイナ・ジ・エンド演じる声の出ない歌手の物語だから、それはまさに出ない声を発するだけで訴えるものがある。他にストリートミュージシャンの歌が当然多いわけだが、所々に入るチェロ中心の劇伴音楽が素晴しい。こちらの録音した音はリュートとヴィオール(折原麻美さん)の曲は一度のみだったが、1分に満たないプサルテリーソロは重要なシーンで何度も出て来た。
まあこちらの音が使われた事は、孫が映ったレベルの私事だが、中世の旋律だけに情感的になりすぎない良い選曲だと思う。この現代の路上ライブの音の中に中世の旋律をぶち込んだ事は、この作品の品格を格段に上げている様に思える。岩井俊二監督、小林武史音楽監督(録音時のプロデューサー、昔サザンオールスターズの編曲を担当し評価を得て有名)の意図がハマったと思う。
忘れかけていた震災の心の部分をもう一度掘り起して、今の社会と繋がっていくんだとも感じられた。とにかくこの日本で、こんなある意味古風な素晴しい映画が作れることは誇らしい。 

小学生の終り頃から高校に入る頃まで「0011ナポレオンソロ」というスパイもののTV番組があって、みんな 夢中になって観ていた。
主役のロバート・ヴォーン演じるナポレオン・ソロ(声:矢島正明)と、ロシア人スパイを演じるデヴィッド・マッカラムを演じるイリヤ・クリヤキン(声:野沢那智)の活躍する、もうストーリーも何もかんも忘れてしまったが、とても懐かしい番組を思い出した。
最近デヴィッド・マッカラム氏が90歳で亡くなり、ロバート・ヴォーン氏も既に数年前に亡くなってしまったが、よくよく考えてみると何でナポレオンというタイトルを(日本でのみ、原題はThe Man from U.N.C.L.E.)付けたのか、昔からずっと気になっていたが、ナポレオンの肖像画を見たとき、「ああこれはロバート・ヴォーンだ」と思ったことがあった。その絵と同じ画像は見つからなかったが、骨格がとても似ている。
もう一つ奇妙な偶然だが、デヴィッド・マッカラムは役はロシア人だけど、実際はイギリス人でロシアと関係ないのだが、どことなくプーチンの若い頃と似ている。実際にプーチンはKGBのスパイだった。
当時主役のロバート・ヴォーンの人気を凌いだデヴィッド・マッカラムに、2人の不仲説が流れたが(僕はそうではないと思っている)よく考えたらまるでフランストップとロシアトップの争いのようだ。
サルコジ元大統領は「ロシアとの関係を見直したい」「ウクライナがEUに加盟しないで中立であるべき」と発言し、ブラジルのルラ大統領は「対話を基礎にしなければ和平は長続きしない」と停戦を主張し、とどちらも当たり前の事を言って批判を受けている。
僕の友達は0011が好きすぎて、小学校卒業時の俳句を作って載せたのが、あまりにストレートすぎて笑えて未だに忘れられない。
「アンクルの カッコいいぞい ナポレオン」
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「王様は裸だ!」
往々にしてこれを言えるのは子どもなのだ。
なぜ多くの大人はおかしいと思ったことを口にしなくなったのだろう。
社会全体が政治に関して公に意見を述べることは、どこかの国のように拘束されたりしない極めて民主的な国のはずなのに、大人たちは何かに怯えるように意見も言わず選挙にも積極的ではない。
同調圧力という事もあるのだろうか?空気が読めないと言う言葉はよく作ったものだ。ああ、読めなくて結構。本来なら人の数だけ考え方があり、意見があり、趣味があり、心は自由だ。かと言って人の自由までねじ曲げ奪う事のない配慮は、弁えるべきだろう。
喧嘩をしたいわけではない。どういう道を辿るのが良いのか、様々な意見から淘汰されて行くのだろう。
やはり、国会という狭い会議室から数人の政治家の見方が淘汰されないでキマリになってしまう事を「おかしい」「王様は裸だ!」と言わしめるのだろう。
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温品淳一氏、黒川眞一氏(高エネルギー加速器研究機構名誉教授)らは、ALPS処理水の海洋放出における「正当化」、つまり利益と害を比べ、害は国内外の海産物の需要の減退、1000億円以上という処分予算、数十年という長い期間など甚大であるのに比べ、得られる利益についてはほとんど説得力のある説明はない、と言う。利益について政府と東京電力の説明では、福島第一原発の廃炉作業の進捗に支障があり、陸上でのタンクの保存にリスクがあるなどというが、海洋放出の便益と害では圧倒的に害のほうが大きい、と述べた。
今回の海洋放出が「汚染水だ」「処理水だ」と考える前に、なぜこのリスクを考え無しで始めたのかがよく解らない。中国が日本の海産物を買わなくなるなんて予想できたろうし、風評被害をカバーするために福島の漁業関係者に一体いくら政府は支援金を払い続けなければならないのだろう。
検査上ではクリーンな水を放出しているのだろう。だったらこの水不足の折、海に流さないで生活用水に回したら良かったのに。それならみんな安全性を理解するだろうし、こんなリスクを負わなくて済んだろう。
経産省のALPSが如何に優れているかの説明はある程度理解できるが、取除いた放射性物質はどういう経路でどこへ行くんだろうとか、ALPSのような技術が可能なら水を使わない冷却方法を考えるのが先だろうとか、我々日本人でさえももう少ししっかりとした説明や対応が必要な気がする。
まあ説明しないで事を進めてしまうのは、日本政府のお家芸みたいなもんだけど。
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日本が世界に誇れるものは幾つかあるだろうが、ファン層の厚さから言えばコミック、アニメなのかも知れない。
そもそもドラマとは何のためにあるのだろう。基本的にドラマはフィクションであり、多くのものは主人公の気持に感情移入し、主人公が成功すれば喜び、失恋すれば心が痛む。つまり自分のもう一つの人生を歩むために別の世界を体験するためと言って良いのかもしれない。僕は勝手にそう思っている。
自分が一流のスパイだったら、戦いで勝利を導く英雄だったら、ゾンビが一斉に襲ってくる状況を戦い抜くとか、結ばれない境遇で心が通じ合わない美女がいるとか、冒険をせざるを得ない状況に直面するとか、そういう今の自分にあり得ないもう一つの人生を疑似体験するのがドラマだと思う。それは小説、映画、テレビドラマ、漫画、アニメ、そう言ったストーリーと主人公のはっきりする世界なら、誰でもその体験の世界に入り込めるだろう。芸術作品や新しい表現はこれとは一線を画するだろう。
こう言うものがあるからこそやりきれない日常のストレスや苦しみから逃れられるのだろうか?実に多くの人達がこれに救いを求めている。事実、京アニ事件の時多くのファンが聖地のようにここを訪れ涙を流した。恐らく大多数の人たちにとっては神や仏に祈るより多くの時間をこれに費やしているだろう。
特に最近多いのがSFではない日常ドラマの中でのと「異世界転生」、時間が戻る「死に戻り」と言う設定だ。
前者の「異世界転生」は多くの場合、生前うだつの上がらないつまらない人生を歩んでいた人間が不慮の事故などで死んで、地球に似たような別世界で人生をやり直す。現代ほど文明は進んでいないが、大概の設定として魔法が使えてアクティブであり冒険心に満ちた新たな人生が始まる。別世界での生物や人種の出合いも新鮮であり、逆に生前に得た現代の知識が役に立ったりする。ストーリー的には過酷な試練が続いたりするが、何とかそこを生前とは違って真っ向からぶつかって行く。そんなドラマが多い。
もう一つの「死に戻り」は生前大事にしていた人が不運にも死を遂げて、それを回避するために過去に戻り、歴史を塗り替え運命を変えてしまう設定だ。多くの場合大事な人は助かっても、その操作のため別の友人が犠牲になったりと、なかなか思うように塗り替えができない。いくつものパラレルワールドの中から一番良い選択を得ているはずだが、他のパラレルワールドではみんな死んでいるのかなとツッコミたくなる設定でもある。
基本はスリル満点の娯楽作品なのだが、これに救われると言う事は自分の現人生よりは遥かにワクワクしドキドキし、生きていると言う実感が湧く人が多いのだと思わざるを得ない。
今の人生の中でも十分にアクティブに生きて冒険しがいのある人生を送る事は可能なのだが、現実は簡単にはそう言うものを認めてはくれない。ドラマの方がどこか都合の良い優しさがある。
特に宗教的にはなかなか救ってくれない事が判っている現代には、観るだけで救われる免罪符のようなものだ。
こんなものばっかり観て引きこもってばっかりいて困ったもんだと思うより、救いのない社会環境を作り出している我々人間全ての在り方生き方を問わなくてはならないのでは?

長くなるが、もう少しこの話題を拡げたい。話しがアニメの方に行ってしまい、少しばかり核心からずれた気もする。
それはそれでも良いのだが、人間はなぜドラマに夢中になるか?それは人間であることの証かも知れない。
なぜなら、ドラマを見てドラマの中のもう一人の自分に感情移入できるのは他の動物には出来ないことだ。他の動物は夢は見るかも知れない。でも自分で想像しながらその世界に埋没したり、ましてやそのドラマそのものを創造あるいは想像することも出来ない。確証はないが出来るならその動物は人類にまで進化したかもしれない。
もう少し言えばドラマは時間を制御する。単発で君が好きだ!敵が来た!腹が減った!冬が来る!などとコミュニケーションを取る事は出来るが、この山の向こうにきっと素敵なものがあり、そこに旅をする過程で何かが起り、やっと出遭えた素敵なものによって自分はこうなるだろう。などと仮にそんな想像があったにしても誰かと共有することはない(と思う)。
人間は言葉という代名詞を使ってものを定義付けて、時間軸たとえば過去、現在、未来を分け、出来事を時系列に順序立てて伝えることが出来る。
凄いのはこの言葉で想像の世界を作り出す話し手と、それを聞いただけで想像で世界を構築することが出来る聴き手が居ることだ。
詩の世界、演劇、舞踏、音楽、映画、テレビドラマ、これらはどんなに頑張っても仮想現実だ。現実ではない。でも想像でもう一つの自分をドラマの中で生きさせることが出来る。ドラマを創り、それを共有し想像できる人間の存在が凄い。
ホモサピエンスは現実以外にも別の世界を持つことの出来る唯一の動物と言って良い。
そして創り手はなぜ常に新しいドラマを作り続けるかと言えばまさに人間の欲望で、千夜一夜のように、毎夕食するディナーのように、毎夜見る夢のように、常に新しい新鮮なドラマを味わい続ける習性が出来上っている。
で、僕自身が解りやすい音楽の話をしたい。
歌のない、つまり歌詞のない音楽、更に言えば表題も解説も映像もない音楽は、創造する側も凄いが、それを聴いてドラマを想像する側の力たるや、想像力に関してだけ言えば創り手を上回っている場合もある(世に言う標題音楽に対して絶対音楽である)。ただ音楽というもの自体の抽象性から言えば創り手と聴き手のイメージは異なっている場合が多いだろう。
元々音楽→音はもちろん言葉より先に存在し、多くの動物も音を発して何かをコミュニケーションすることは出来る。ただ殆どの場合それは瞬間的な音であり、子を失って悲しむツバメの歌は聴けても、時間を操作するドラマには至らない。
実はこの歌のない、無題の絶対音楽は聴く側によほどの想像力がないと、最初のテーマのメロディと響きの良さを味わったところで、しばらく経つと退屈な時間が続くことになる。
良く言われる例としてベートーヴェンの交響曲第7番が挙げられる。この曲は僕なんかはベトちゃんの中では最も好きなのだが、英雄や運命、田園のような表題曲ほど人気がない。指揮者で元オーボエ奏者の茂木大輔氏も自身の本の中で「名曲なのに日本では表題がないから人気がない」と言い、自身の監修のドラマ「のだめカンタービレ」ではテーマ音楽に抜擢している。こうでもしない限り日本では日の目を見なかった曲だろう。
作家の小林秀雄氏も確か「音楽なんて一部の専門家にしか解らん」みたいなことを書いてたと記憶している。そのあとどうフォローしたのかは忘れたが、そう言いたくなる気持も解らなくはない。
でも先入観もなく、興味津々で聴く子どもなどにどんな曲でも聴きながら絵を描かせてみると、素晴しいドラマチックな絵を描く。バッハでもラベルでもウェーベルンでも素晴しいものを書くだろう。これは単に音楽を映像化する思考回路がないだけで、大人でも絵を描いてみると素晴しいドラマ的なものを書くと思う。音楽の想像力は多くは映像化だ。ドラマと要ってもストーリーも具体性も何もなくて良い、色の羅列かもしれない。そんなんでも良い。ソナタ形式が解っていなくても、良い音の響きの連続と捉えても、とにかく風景などを想像することから始めれば、どんな音楽でも身体の中に浸透していく。。
僕ら創り手は若干でもそう言った要素は持っていないと提供した際に聴く者が風景やドラマを感じてくれない。ある程度壮大な想像力で描いた架空の絵がないと、聴き手は絵を創造してくれない。その想像の絵は今まで体験したことのない別次元の新鮮な世界であればあるほど、聴き手は自分が体験しなかった別の人生、別の世界を味わうことが出来る。
最後に、果してAIに創り手の作業を担うことが出来るか?聴き手として成立ちうるのか、僕の見解を答えておきたい。
結論から言えば可能だと思う。まあ現代音楽でも無為自然を表したいために、乱数表で曲を書いたり、サイコロを振って曲を作ったりする。世界の自然建造物だって(例えば海底火山や星のきらめきなど)意図も作為もないものを美しく思うのと同じだ。ただそういうものに美を感じても時間的なドラマを創ることが出来るのだろうか?
ドラマはあくまで現世では飽き足らない、別世界を構築することに喜びを感じる世界だ。聴き手もそれは同じだ。
AIが感情を持ち、自分とは別の世界に感情移入したいなら解るが、そんなことをする必要があるのかどうかの問題だ。どこまでが自分なのかという問題も含めて。
既にありとあらゆる音楽情報があり、自分が望めば生れ変わることも可能かもしれない。もし画面の中だけで生きているなら、あまりに自由に行動が出来るため、願望や望み、願い、欲求などがどう存在するのか解らない。つまり時間芸術としてのドラマ制作をAI自体が自ら望まなければ、猿に芸を覚えさせて絵を描かせる行為とそんな差異が無い気がする。 

今回は自宅では無く、たまたま長野県に来ていたので、どこか響きの良い場所か自然の中でプサルテリーを録ってみたいと思い、「旧松本高等学校」校舎のある「あがたの森」の(コンサート等をやる)講堂では無く、端の小さな教室を借り、テスト録音しました。
テストと言うのは録音用のマイクも映像に特化したカメラもインターフェースも持ってきていなかったので、新しいiPhoneだけで画像も音も撮り(録り)ました。色も響きも少し加工していますが、新しいiPhoneの画像があまりに良く撮れているので(音もそこそこ録れています)、本チャンには十分ではないですが思い切ってアップしました。
館内見学自由なので、途中で人が入ってきて何度か演奏を止めました。ここでは孰れちゃんとした機材で録音してみたいです。
これとは別に、市内のアルプス公園の中の川まで降りて行って自然の中で録りましたが、こちらはカメラ構図が良くなかったのと、近くを車が通る音、工事の音などが入ってきて断念しました。
 

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