僕は生まれて間もない頃、おそらく最も影響を受けた音楽は「あわて床屋」でも「七つの子」でもなく、ビゼーの「カルメン」だった。
祖父はドイツ帰りの軍人で、グラモフォンから山のようにSP盤を持って帰っていた。
その中で何度も何度も聴きたがったのが「カルメン」のインスト(演奏のみの)レコードだ。
他には歌曲やジャズ、マンボ、広沢虎造などがあった記憶があるが、「カルメン」はレコードの傷のざらつき具合まで良く覚えている。
こう言うと、どこかのお坊ちゃまみたいで、フォークとナイフで食事をし、召使いを何人か囲うような生活かと思われるかも知れないが、戦後10年も経たない頃の日本の元軍人の生活は、維新後の武士と同じであまり働く事も出来ず、生活は大変だったようだ。
ただドイツ経由のレコードが山のように残されていただけなのだ。
さて、そのビゼーの「カルメン」であるが、38回転のレコードの時代になって再びインスト盤を買った。
アメリカのアンドレ・コステラネッツの演奏だった。
SP盤の時には入っていない知らない曲がまた好きになり(花の歌やミカエラのアリア)、そのうちカラスの全4幕のLPを持つ事になった。
僕は結局このコステラネッツの演奏が一番好きだった。
歌ではない肉感的な表現のないインストの世界、アレンジの良さ(編曲の違いも同時に感じた)、全てのシーンの絵が浮かんでいた。
あまりに好き過ぎて、未だに僕は「カルメン」のオペラは観た事がない。と言うか、観たくない。
テレビ放映ですらも観た事がない。
自分の描いた映像が数倍素晴しいと思うからこそ、がっかりするから一生観ない方が良いと思っている。
僕にとってこのビゼーが好きだった事と、中世古楽の道に入った事は無関係ではない。
まず19世紀の作曲家としてはかなりドローンやオスティナートを多用する事が多い。
ドローンとはバグパイプのブーンと伸びている伴奏と同じで、ハ長調で言えばドとソがずっとなっている中で、メロディは例えばドレミファソラシドの中を自由に駆け巡るような、ロマン派で言うと田園風と言うか民謡風と言うか、本来古学的と言うか、簡単に言うとそんな手法を多用している。
有名なハバネラ(メロディはビゼー作でないと言われている)も記憶だとベースが確か「レ」以外の音を鳴らしていないと思った。
他の曲でもロマン派の音楽だからどんどん調なども展開はするものの、エッセンスとしてドローンの響きが随所に出てくる。 舞台となっているのが「スペイン」や「プロバンス」あたりだから、その辺りの民謡などの雰囲気を取り入れればおのずと古楽風になってくる(実際には本人はあまりこの辺りを旅をした事がないらしいが)。
カルメンの序曲に続く死をイメージするプレリュードはまさにスペインを通り越してアラビア風と言っても良い。
アルルの女の「ファランドール」のエンディングのテーマなどはテーバーパイプ(片手笛、右手は太鼓=テーバーを叩く、古楽器だがプロバンス地方に特に多い)の為の曲だ。
また、リズム、あいのて、対旋律の絡ませ方等、様々な面で古楽的なエッセンスが顔を出す。
おそらくビゼーはさほど古楽を知らなかったと思うが、血や霊的なレベルでそういった感性を受け継いでいるに違いない。
ただ音楽手法の話は文章ではこれ以上しづらいので、後は聞いて感じて頂くのが一番かと思うので、ここまでにしておこう。
もう一つ付け加えるなら、古楽風だけでなく、ロマン派としては調性がどんどん移行する自由な感覚もビゼーの特徴だ。
「セギディリャ」や「花の歌」「ミカエラのアリア」などは古楽風でもなく、同時代の音楽とは全く違った自由な感性がある。この2面性もビゼーの面白みだと思う。
おそらくカルメンを聞いた事のない人は少ないだろうが、あの有名な序曲も改めて古楽とか自由度とか非凡とか、そういった目でもう一度聞いてみては如何だろう。
iTunes StoreでBizet : L'Arlésienne, Carmen Suites の文字列検索でアルバムが幾つか現われ視聴も出来る。
祖父はドイツ帰りの軍人で、グラモフォンから山のようにSP盤を持って帰っていた。
その中で何度も何度も聴きたがったのが「カルメン」のインスト(演奏のみの)レコードだ。
他には歌曲やジャズ、マンボ、広沢虎造などがあった記憶があるが、「カルメン」はレコードの傷のざらつき具合まで良く覚えている。
こう言うと、どこかのお坊ちゃまみたいで、フォークとナイフで食事をし、召使いを何人か囲うような生活かと思われるかも知れないが、戦後10年も経たない頃の日本の元軍人の生活は、維新後の武士と同じであまり働く事も出来ず、生活は大変だったようだ。
ただドイツ経由のレコードが山のように残されていただけなのだ。
さて、そのビゼーの「カルメン」であるが、38回転のレコードの時代になって再びインスト盤を買った。
アメリカのアンドレ・コステラネッツの演奏だった。
SP盤の時には入っていない知らない曲がまた好きになり(花の歌やミカエラのアリア)、そのうちカラスの全4幕のLPを持つ事になった。
僕は結局このコステラネッツの演奏が一番好きだった。
歌ではない肉感的な表現のないインストの世界、アレンジの良さ(編曲の違いも同時に感じた)、全てのシーンの絵が浮かんでいた。
あまりに好き過ぎて、未だに僕は「カルメン」のオペラは観た事がない。と言うか、観たくない。
テレビ放映ですらも観た事がない。
自分の描いた映像が数倍素晴しいと思うからこそ、がっかりするから一生観ない方が良いと思っている。
僕にとってこのビゼーが好きだった事と、中世古楽の道に入った事は無関係ではない。
まず19世紀の作曲家としてはかなりドローンやオスティナートを多用する事が多い。
ドローンとはバグパイプのブーンと伸びている伴奏と同じで、ハ長調で言えばドとソがずっとなっている中で、メロディは例えばドレミファソラシドの中を自由に駆け巡るような、ロマン派で言うと田園風と言うか民謡風と言うか、本来古学的と言うか、簡単に言うとそんな手法を多用している。
有名なハバネラ(メロディはビゼー作でないと言われている)も記憶だとベースが確か「レ」以外の音を鳴らしていないと思った。
他の曲でもロマン派の音楽だからどんどん調なども展開はするものの、エッセンスとしてドローンの響きが随所に出てくる。 舞台となっているのが「スペイン」や「プロバンス」あたりだから、その辺りの民謡などの雰囲気を取り入れればおのずと古楽風になってくる(実際には本人はあまりこの辺りを旅をした事がないらしいが)。
カルメンの序曲に続く死をイメージするプレリュードはまさにスペインを通り越してアラビア風と言っても良い。
アルルの女の「ファランドール」のエンディングのテーマなどはテーバーパイプ(片手笛、右手は太鼓=テーバーを叩く、古楽器だがプロバンス地方に特に多い)の為の曲だ。
また、リズム、あいのて、対旋律の絡ませ方等、様々な面で古楽的なエッセンスが顔を出す。
おそらくビゼーはさほど古楽を知らなかったと思うが、血や霊的なレベルでそういった感性を受け継いでいるに違いない。
ただ音楽手法の話は文章ではこれ以上しづらいので、後は聞いて感じて頂くのが一番かと思うので、ここまでにしておこう。
もう一つ付け加えるなら、古楽風だけでなく、ロマン派としては調性がどんどん移行する自由な感覚もビゼーの特徴だ。
「セギディリャ」や「花の歌」「ミカエラのアリア」などは古楽風でもなく、同時代の音楽とは全く違った自由な感性がある。この2面性もビゼーの面白みだと思う。
おそらくカルメンを聞いた事のない人は少ないだろうが、あの有名な序曲も改めて古楽とか自由度とか非凡とか、そういった目でもう一度聞いてみては如何だろう。
iTunes StoreでBizet : L'Arlésienne, Carmen Suites の文字列検索でアルバムが幾つか現われ視聴も出来る。