26日間という、健康であるはずの私にとって気が遠くなるような長い入院生活があって、ようやく仕事に復帰した。
腎臓の2㎝ほどの大きな石を、背中に穴を開け、石を割って掻き出す手術をした。
いつも思うに、こんな一般的な治療でも、江戸時代ならどうしようもなく、死んでいたかも知れない。
退院後、初めてフェリーのデッキのから大阪湾を一望する機会があった。
溢れんばかりの日の光に照らされた海と都市と遠くの山を見下ろし、ただただ生きていて良かったという感慨にふけった。
あまりに海は広く、雲は白い。風は私を確かめるように体中を撫で回す。
船の蒸気、手の届くような飛行機の轟音、乗客の会話、都市の活動、その存在を主張するように全ての音が私の耳に届く。
そんな中に巨大な船の警笛が鳴る。
まさに、この時代の、この星のこの土地のこの場所の、今生きているからこそ観られる光景なのだと。
それにしても、この巨大な風景の中に見渡す限り存在する人の生活。なんと人間は栄えてしまったことだろう。
地球の命から観るとほんの数秒の瞬く間にがん細胞のように転移して居座ってしまった。
その生活の音が全て聞こえる。
新たな物を作る工場の横に、それらが使われ終わった多量のゴミの山が見える。
それは人間の汚物の何倍もあろう、人間の創造物の残骸が何処へ行くともなく置かれている。
その向こうに見える高層ビルは燦々と日の光を浴び、不景気といえどいまだ世の最先端であると言わんばかりである。
潰れかけている会社があるといえど、飛行機は人間の時空を変えた文明の象徴として、その勇姿は美しい。
よくぞこれだけ事故を起こさず飛んでいる物だとも思う。
150年前の人がこの光景を見たらなんと思うだろう。
龍馬や西郷達が到底描いた未来とは違うだろう。
しかしそれなりに世界の中に生きて叩かれ、さらに形成した都市の形なのだ。
良いも悪いも必死になって生きてきた結果なのである。その全てがここに聞こえる。
また一万年後の人はなんと思うだろう。
おそらく滅んでしまったどの文明よりも人間の栄えた時代として足跡を残しているだろう。
こんな状態がずっと続くわけがない。ある意味で今垣間見ている夢のような生活、暮らしは何れ変わっていく。変わって行かざるを得ないだろう。
それは心がけだけで変わってけばよいが、変わらざるを得ない何かとてつもない外的要因が加わってくるときだろう。
それは戦争か、異常気象か、宇宙人の到来か、解らない。 ただただここにいて私が聞こえたのは「諸行無常の響き」なのである。ならばと聞こえてくるのは思った通り「奢れるものは久しからず」と。私の観たのは唯々「春の夜の夢」なのか。 恐らく多くの人間がここに立てば同じような事を思い浮かべるかも知れない。生活に追われる時間をもうちょっと裂いて、人間が知恵を出し合う余裕があれば、何か解決していくのかも知れない。
ただ、まだまだ人間は進化の途中なのだろうと思う。病気は治せるようになっても、人間の進む未来については様々な価値観の葛藤もあり、思いつきの知恵を出しても解決には至らない。
子どもたちに必死になって勉強させるのは自分たちの生活を守るためではなく、新しい未来に向けて人間が進化するためのものだと考えた方が良いのではないか?
個人個人がどんなに優れていてもそれを共同で形にする能力がなければ、宝の持ち腐れではないのか?
今の現状をある時代に栄えた文明で終わらせたくなければ、人間はもう一段階進化するために、座禅でも組むように、生活を抜け出て考える時間が必要な気がする。
※この映像は2017になって作ったもので、たまたまこのフェリーの上からの映像が話の冒頭と同じシチュエーションだったので、アップします。
腎臓の2㎝ほどの大きな石を、背中に穴を開け、石を割って掻き出す手術をした。
いつも思うに、こんな一般的な治療でも、江戸時代ならどうしようもなく、死んでいたかも知れない。
退院後、初めてフェリーのデッキのから大阪湾を一望する機会があった。
溢れんばかりの日の光に照らされた海と都市と遠くの山を見下ろし、ただただ生きていて良かったという感慨にふけった。
あまりに海は広く、雲は白い。風は私を確かめるように体中を撫で回す。
船の蒸気、手の届くような飛行機の轟音、乗客の会話、都市の活動、その存在を主張するように全ての音が私の耳に届く。
そんな中に巨大な船の警笛が鳴る。
まさに、この時代の、この星のこの土地のこの場所の、今生きているからこそ観られる光景なのだと。
それにしても、この巨大な風景の中に見渡す限り存在する人の生活。なんと人間は栄えてしまったことだろう。
地球の命から観るとほんの数秒の瞬く間にがん細胞のように転移して居座ってしまった。
その生活の音が全て聞こえる。
新たな物を作る工場の横に、それらが使われ終わった多量のゴミの山が見える。
それは人間の汚物の何倍もあろう、人間の創造物の残骸が何処へ行くともなく置かれている。
その向こうに見える高層ビルは燦々と日の光を浴び、不景気といえどいまだ世の最先端であると言わんばかりである。
潰れかけている会社があるといえど、飛行機は人間の時空を変えた文明の象徴として、その勇姿は美しい。
よくぞこれだけ事故を起こさず飛んでいる物だとも思う。
150年前の人がこの光景を見たらなんと思うだろう。
龍馬や西郷達が到底描いた未来とは違うだろう。
しかしそれなりに世界の中に生きて叩かれ、さらに形成した都市の形なのだ。
良いも悪いも必死になって生きてきた結果なのである。その全てがここに聞こえる。
また一万年後の人はなんと思うだろう。
おそらく滅んでしまったどの文明よりも人間の栄えた時代として足跡を残しているだろう。
こんな状態がずっと続くわけがない。ある意味で今垣間見ている夢のような生活、暮らしは何れ変わっていく。変わって行かざるを得ないだろう。
それは心がけだけで変わってけばよいが、変わらざるを得ない何かとてつもない外的要因が加わってくるときだろう。
それは戦争か、異常気象か、宇宙人の到来か、解らない。 ただただここにいて私が聞こえたのは「諸行無常の響き」なのである。ならばと聞こえてくるのは思った通り「奢れるものは久しからず」と。私の観たのは唯々「春の夜の夢」なのか。 恐らく多くの人間がここに立てば同じような事を思い浮かべるかも知れない。生活に追われる時間をもうちょっと裂いて、人間が知恵を出し合う余裕があれば、何か解決していくのかも知れない。
ただ、まだまだ人間は進化の途中なのだろうと思う。病気は治せるようになっても、人間の進む未来については様々な価値観の葛藤もあり、思いつきの知恵を出しても解決には至らない。
子どもたちに必死になって勉強させるのは自分たちの生活を守るためではなく、新しい未来に向けて人間が進化するためのものだと考えた方が良いのではないか?
個人個人がどんなに優れていてもそれを共同で形にする能力がなければ、宝の持ち腐れではないのか?
今の現状をある時代に栄えた文明で終わらせたくなければ、人間はもう一段階進化するために、座禅でも組むように、生活を抜け出て考える時間が必要な気がする。
※この映像は2017になって作ったもので、たまたまこのフェリーの上からの映像が話の冒頭と同じシチュエーションだったので、アップします。