昔からずっと思っていた自分の中の真理がある。
それは人が少しでも今以上に豊かになろうとすれば、地上の物質の量に限りがある以上、必ずそれは戦争になるということだ。
人類は少なくとも豊かな生活を求めてきた。能力の差があるから他の生物との間には戦争らしき事は起こらなかった。
かつてのどの生物より人類は栄えた。抵抗勢力がないため、他の生物の多くは絶滅の危機に至っている。
人間がそこにいるだけで、年間4万種という生物が絶滅しているといわれている。

農業の普及は一時的には乱獲を和らげるに至ったろう。
養殖で増やすことは野生の食の絶滅をいくらか押さえるだろう。
ただ欲求としては人間は天然の味をますます求めている。

豊かになろうとするだけで、人間は人間の間で淘汰されようとする。
一方で人間は平等の名の下に最低水準の生活をしても生かされ、多く儲ける者の利益を儲けの少ない者に分けようとする。
これも所詮限りがあり、無理の生じる時期が必ず来る。
町の小売店をつぶしても大型スーパーやディスカウントの店などが流行るのは、多少モノが悪くても安ければ多くの人間が生き残れるというところに配慮があるのだろう。
小さいモノがでかいモノに吸収されてしまうこと自体が、個性や文化の芽を摘んで、世界で生き残れる芽を摘んでいるようなモノだと思う。
このこと事態が一世代前の社会主義化を目指すような気がするのだが・・。

北欧のとある国のように高い税金をかけて、医療や老後を安定させるというやり方がある。
ただ、重税は経済成長が前提であり、他から搾取しなければやっていけない。
いずれはどこかと摩擦に至るだろう。
結局ニーチェは「権力への意志」で「そんな綺麗事じゃすまないよ」と言いたかったのだろう。
老子は小国寡民で情報の行き交わない小さな世界で無になって乗り切ればよいと言う。
仏教やいくつかの宗教は教義から欲を外すことで人同士が争わずに済むような精神世界を勧めている。

すべての人が幸せになるには、何かを信じるか、思考や価値の変革を起こすしかない。
ただ、今の日本では宗教も持たず、多くの者は知識も見識も知恵も忍耐なく、どうやってこれを乗り切れるのだろう。
現実以外のところで主役になれるゲームやセカンドライフ(アバター)、その他様々のバーチャルな世界が持てはやされる。
きつい仕事の中で更に上司から文句を言われ、対人関係も悪く恋人もできず・・・そんな現実よりバーチャルでもヒーローになれたり認められたりする方が楽しいに決まっている。
バーチャルを推し進めることによって、ある意味で誰でも安く幸せになれると言うことなのだろう。
これがあるから不満が少ないのかもしれない。つまりこれが平和の象徴になる材料なのかもしれない。

おそらくあと何年か経てば、脳内の幸せを感じる部分に刺激を与えるだけで、誰もが幸せを感じる時代が来ると思う。
脳内の恋愛を感じる部分、生殖、食欲など不満な部分を満足できるような技術で、だれでも幸せになる時がくると思う。
そうなれば、肉体の不要な部分は要らない。
脳を維持できる部分だけあればいい。
夢の中で絶世の美女と次から次にセックスができて、人口増加も食い止められる。
寒いと感じる部分も調整次第で今が適温と感じるだろう。
行きたいところは空想で旅行もできて、まずい食事も最高に美味しく感じ、少量で満腹になれる。
争いも、全ての環境問題も一気にクリアできる。

このままなら確実にそうなっていく未来に、あなたはどう思う?