Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

2010/12

Acord この車が世に出ると同時に購入して、来年で17年経とうとしている。
当時2歳の息子が「あかブー」と呼んでいた。静かだしいくら走っても疲れない。
走行距離は年間1万キロ程度だが、計器などの故障があったが走りは殆ど問題ない。
ただ、近所を走るには少々燃費が悪い。
さすがに国がエコカー減税などと謳い始めたとき、売り払おうと思った。
確かに燃費が悪ければ地球環境にも良くないし、お金もかかる。
しかしよくよく考えてみると、この大きな車を一台廃車にするためにはエネルギーを膨大に使う。
環境によかれとしたことがスクラップが増える分、地球を汚すようでは本末転倒である。

どうやら本当のエコはできるだけ長くこの車に乗り続けることらしい。
しかも出来るだけ、乗らなくて良いときには車を使わない。 そこでついに自転車を買った。3段変速のママチャリである。
安いし、血糖値の高い僕にとってはとても健康的に都合が良い。
最近は荷物ごとすっぽり包むような雨合羽もある。

まだ数日しか走っていないが、ロバハウスまでの16kmの往復路も、楽器の移動がないときは可能な限り自転車で行く。
これは主感的にマッサージ一回分にも相当し、首や肩の痛いのが無くなってきた。
30歳近くまで4輪の免許を持たず原付でどこまでも走った僕にとって、風が気持ちいいし、街中の景色もゆっくり見られるし、エネルギーも使わず、なぜか若返った気もする。
どうせ2月くらいの本格的な寒さになったら続かないさと、人は思っているだろう。
まあ、どこまでやるか観ていてくれ。 ようやく買ってから1ヶ月半の所まで来た。
演奏会があると「頼むから乗ってこないで、危ないから」と言われる。
だからせいぜい週2回乗れれば良い方だ。その事の方が大きな障害である。

もう半年も経ってからこんな事をぶり返すのも何だが、終戦記念日になると、いつも考えさせられる事がある。
確かに負けることが解っていながら、日本人はなんとも無意味な戦いを強いられたことであろう。
今の僕がその場に居合わせたら、何としてでも生きようとする方を選ぶだろう。
現代の日本人の多くは勝ち目のない事にしがみついていくことは馬鹿のすることと言うだろう。
その一方で豊臣方に荷担した真田幸村や後藤又兵衛などは、負けると解っている戦を最後まで戦い抜いてその勇姿を褒め称えられている。
その義や生き様を誰も中傷できない英雄である。

新撰組は、白虎隊はどうだ。実際に多くのドラマとしてその生き様、死に様を悪く言う人はいない。
いったい何のために戦い、死んでいった者たちなのか?
その者たちを讃えながら、大東亜戦争に於いては無駄死にだったと言うのは、状況は違うといえど気持ち的には納得いかないところがある。

最初から真田幸村や白虎隊の生き方を肯定しておいて、そう言うことが立派といっておきながら、それはそれ、これはこれ的な、打算の中に身を置く事を、・・ ここで不利な戦をすることに異を唱えていた大野治長達は、現代においても主役にはならないのが不思議である。
戦争をやりたくて侵略していく国はほとんど無い。太平洋戦争直前の日本もしかり、徳川も明治維新もイラクもベトナムも・・。侵略にイデオロギーのあったドイツや、戦争産業が国を牛耳っているアメリカを除いて。
多くの場合、戦前の日本人は中国の傲慢、アメリカの横暴、ロシアの脅威、それらの中で活路を見いだそうとしていた。イラクを観れば当時の日本の困惑が見えてくる。
すべては大本営の所為で国民は動かされていたと言うが、国民の多くは死しても正しき事を貫き、屈することはない気骨があった。
確かに憲兵が闘志をそがれるような言動を取り締まっていた。
退却する兵士には「逃げるものが居れば殺すぞ」と強硬な軍規や叱咤で責め立てた。

まあ、それも戦国のドラマでは見慣れた光景だが、これも大東亜戦争での行動となるととんでもない行為となる。
だいぶ昔に「ロード・オブ・ザ・リング」を観たが、攻めてくる戦いを拒むものはここではとても意気地なしの脇(悪)役になる。
先頭に立って戦う者はヒーローであり、あろう事か南京百人切りに肖るように、何人殺したか競い合う。
甘いマスクのオーランド・ブルームがそれを挑発しているから笑える。

結局人間は平和を望みながら戦っている姿が、結局の所ドラマになり、命を投げ出して後のない戦いを強いられた者が主役となる。
これって何を求めているのか?
何を理想としているのか?

尖閣諸島や竹島に踏み込んだ異国に断固して戦う!と宣言した総理大臣は居ないし、宣言したら戦争になるだろう。
歴史ドラマでは持て囃される価値観も実際にそんなことになったら国民も許さない。
結局国同士が渡り合うという事はそう言うことなのであり、それを如何に戦争にならないように自分の主張を押し通すのか、最大限の知恵が必要とされるのが外交なのである。

相手の国を動かす担保が何もないから、核保有論などが出てくることになるのだ。
それに代わる代案が出てこないと、自分の手を汚さない、経済力もかつてほど無い、かっこわるい日本人の行く末はない。
僕だって平和であって欲しい。
平和であるためにどういう道を辿れば最小限のリスクで平和に到達できるのか、平和を訴えるだけじゃなくて、考えてそれを実行しなければ解決しない。
国境外では一発の弾丸を撃つことも許されないこの状況の中で、家族を、町を、日本を守りたければ何か策を講じなければならない。
人任せ、他国任せの状況だけはもう無くしたい気がする。

↑このページのトップヘ