観ている奴が偉そうに色々言うのは何だと思うのだが、地震から3日も天気の良い昼を迎えて、なんで被害状況が明らかにならない?-----(この文は3月14〜15日=地震発生4,5日目に書いたものです)
一刻も争うのだから、ほぼ全てのレスキューや自衛隊を投入して、陸も海も駄目なら空からあるったけのヘリコプターで捜索し、必要であれば避難所に食料物資を落としまくり、これ以上の寒くひもじい思いをさせないように向かうべきだろう。
安否や避難の情報が得られないなら、ドコモに要請して衛星携帯を避難所に2台ずつでも持たせて、そのポイントに食料を落とせばよい。
どのグループがヘリをどこに何台配備して、寸断された道路を高額で雇っても応急的に修繕し、いち早く補給路を確保する必要がある。
もし戦国の戦ならありとあらゆる知恵を働かせて、敵の思惑より先手を打って一夜のうちに城を築いたり、秀吉の中国大返しのように短時間で敵の懐に到達する事で勝利に導く。
我が国の総理はその采配力が無い。
「頑張ってもらいたい」と言う事ばかりでは災害に勝てない。
指揮官は先に述べたような采配を、ある程度は一人の命令系統で、時に言葉を荒げ叱咤し激励し、何としてもそれを遂行させなければならない。
細かなところはそれぞれの専門家に任すにしても。
能力がないのか、勢いがないのか、何かを指揮しているところが見えてこない。
これだけの人をつぎ込んでも、時間が経っても、大きくは何も変わらない。
(だいたい指揮官がヘリコプターで動いて最前線に行くようでは命令系統が機能しない。情報の集まる中心にいて、常に指示を出し続けなければならない。)
持ち場持ち場がそれぞれの判断で勝手に動いている。
様々な地域への配備が偏る。 指導力がないと言われて、新の指導力を発揮する格好の場だったろうに。
確かに想定を越える事が多いだろうが、この決断力のなさが今日本が世界の外交で勝てない理由なのだろう。
もう一方で原発がとんでもない事になっている。
確かに原子力は危ない。
元々こんなものにエネルギー源を任せてしまっては世も末だと思っていた。
そんな考えも月日が経つうちに慣れてしまった。
僕にとっては原爆も、拳銃も砲弾も地雷も、細菌兵器も薬物兵器も、殺戮の道具としては全て同じような気がする。
飛行機と自動車とどっちが危ないというようなもので、能力が低くとも数が多ければ危険なものには変わりない。
この中の最も威力のある原子エネルギーを人間が使いこなそうというのだから、映画のジェラシックパークでティラノザウルスを育てて飼い慣らすのに近い。
結局このパワーを封じ込めずに自滅してしまう。
確かに原発なんて諸刃の刃で、日本を脅かそうとするなら真っ先にここに爆弾を仕掛けて脅せばよい。それだけにここの護りは、津波だろうが、宇宙人の到来だろうが、ここに昭和新山のような山が生まれようが、何があっても揺るがないセキュリティの高さを保っているものだと思っていた。
まあ、結果はご覧の通りいくら予想外とはいえ、あまりにお粗末な防備だ。
防備だけでなく、その突然の事態に対処出来ずに、十数名がどんなに命をかけて頑張っても、計画が明確でない中、結局ウオサオしているようにしか見えない。
ここでも誰が采配を振るっているのか解らない。
無人探査型ロボットのようなものに情報を探らせる。
無人消防車のようなキャタピラタイプの洗車にホースを取り付け放水させる。
このくらいの準備がないなら原発なんて百年早い。
「オール電化」などと謳っておいて、自動車を含め全てが安全な電気になれば良いと言っておき、事があれば節電を要求する。
計画停電とか言って情報が錯綜し、いつ停電になるのか解らない。
よりによって真っ先に被災地に掛かるとこから計画停電を始める。
これからは無計画東電と呼ぼう。
国を護るのは軍備以上に、こういう事態に何が何でも守り抜くという気骨だ。
そうでない世の中にしてしまったのは僕らの責任だ。もっと早く気がついていりゃよかった。
今の日本人は頭は良くともその力に欠けるという事を。
亡くなった方々は本当に可愛そうだ。
心からご冥福申し上げます。
避難してそれ以上に苦しい思いをしている人も沢山いるでしょう。
なんとか頑張って欲しい。
ただ我々を含め、生き残った人たちは悲しみと共に落ち込んではいけない。
「どうせ仕事も家も、明日の日本も何もかもなくなってしまう」と思ったらそれまでだ。
どんな時にも負けないで、笑って元気づけられる、 せめて子どもたちが希望と勇気が沸いてくるような存在でありたい。
一刻も争うのだから、ほぼ全てのレスキューや自衛隊を投入して、陸も海も駄目なら空からあるったけのヘリコプターで捜索し、必要であれば避難所に食料物資を落としまくり、これ以上の寒くひもじい思いをさせないように向かうべきだろう。
安否や避難の情報が得られないなら、ドコモに要請して衛星携帯を避難所に2台ずつでも持たせて、そのポイントに食料を落とせばよい。
どのグループがヘリをどこに何台配備して、寸断された道路を高額で雇っても応急的に修繕し、いち早く補給路を確保する必要がある。
もし戦国の戦ならありとあらゆる知恵を働かせて、敵の思惑より先手を打って一夜のうちに城を築いたり、秀吉の中国大返しのように短時間で敵の懐に到達する事で勝利に導く。
我が国の総理はその采配力が無い。
「頑張ってもらいたい」と言う事ばかりでは災害に勝てない。
指揮官は先に述べたような采配を、ある程度は一人の命令系統で、時に言葉を荒げ叱咤し激励し、何としてもそれを遂行させなければならない。
細かなところはそれぞれの専門家に任すにしても。
能力がないのか、勢いがないのか、何かを指揮しているところが見えてこない。
これだけの人をつぎ込んでも、時間が経っても、大きくは何も変わらない。
(だいたい指揮官がヘリコプターで動いて最前線に行くようでは命令系統が機能しない。情報の集まる中心にいて、常に指示を出し続けなければならない。)
持ち場持ち場がそれぞれの判断で勝手に動いている。
様々な地域への配備が偏る。 指導力がないと言われて、新の指導力を発揮する格好の場だったろうに。
確かに想定を越える事が多いだろうが、この決断力のなさが今日本が世界の外交で勝てない理由なのだろう。
もう一方で原発がとんでもない事になっている。
確かに原子力は危ない。
元々こんなものにエネルギー源を任せてしまっては世も末だと思っていた。
そんな考えも月日が経つうちに慣れてしまった。
僕にとっては原爆も、拳銃も砲弾も地雷も、細菌兵器も薬物兵器も、殺戮の道具としては全て同じような気がする。
飛行機と自動車とどっちが危ないというようなもので、能力が低くとも数が多ければ危険なものには変わりない。
この中の最も威力のある原子エネルギーを人間が使いこなそうというのだから、映画のジェラシックパークでティラノザウルスを育てて飼い慣らすのに近い。
結局このパワーを封じ込めずに自滅してしまう。
確かに原発なんて諸刃の刃で、日本を脅かそうとするなら真っ先にここに爆弾を仕掛けて脅せばよい。それだけにここの護りは、津波だろうが、宇宙人の到来だろうが、ここに昭和新山のような山が生まれようが、何があっても揺るがないセキュリティの高さを保っているものだと思っていた。
まあ、結果はご覧の通りいくら予想外とはいえ、あまりにお粗末な防備だ。
防備だけでなく、その突然の事態に対処出来ずに、十数名がどんなに命をかけて頑張っても、計画が明確でない中、結局ウオサオしているようにしか見えない。
ここでも誰が采配を振るっているのか解らない。
無人探査型ロボットのようなものに情報を探らせる。
無人消防車のようなキャタピラタイプの洗車にホースを取り付け放水させる。
このくらいの準備がないなら原発なんて百年早い。
「オール電化」などと謳っておいて、自動車を含め全てが安全な電気になれば良いと言っておき、事があれば節電を要求する。
計画停電とか言って情報が錯綜し、いつ停電になるのか解らない。
よりによって真っ先に被災地に掛かるとこから計画停電を始める。
これからは無計画東電と呼ぼう。
国を護るのは軍備以上に、こういう事態に何が何でも守り抜くという気骨だ。
そうでない世の中にしてしまったのは僕らの責任だ。もっと早く気がついていりゃよかった。
今の日本人は頭は良くともその力に欠けるという事を。
亡くなった方々は本当に可愛そうだ。
心からご冥福申し上げます。
避難してそれ以上に苦しい思いをしている人も沢山いるでしょう。
なんとか頑張って欲しい。
ただ我々を含め、生き残った人たちは悲しみと共に落ち込んではいけない。
「どうせ仕事も家も、明日の日本も何もかもなくなってしまう」と思ったらそれまでだ。
どんな時にも負けないで、笑って元気づけられる、 せめて子どもたちが希望と勇気が沸いてくるような存在でありたい。