らくりん座の浅野昤子先生が急性白血病で26日に亡くなられました。享年88歳。
普通なら大往生と言って良い歳かも知れませんが、まだまだ演劇においてやりたいことが山ほどあったに違いありません。娘にまで「ミチル」という名を付けるほど「青い鳥」が好きで、上演を夢見て幾度か企画を立てましたが、荒木昭夫氏作の台本と、上野作の挿入歌を何曲か残して旅立たれてしまいました。
昤子先生は80年以上、演劇の中の世界で「青い鳥」を探していたのでしょう。恐らく「青い鳥」は見つからなかったのでしょう。やがては「未来の国」の子どもたちに混じり「母の愛の歌」に送られて、またこの地球に「青い鳥」を探しに戻ってくるに違いありません。
僕にとって昤子先生の凄いところを一つ挙げると、若干24歳の若き拙を一回逢っただけでらくりん座の音楽家に起用して、それ以降ほぼ全ての音楽を任せてしまったことです。僕などはまだ世間的に見れば大物ではありませんが、脚本から演出家、舞台、振付と本当に一流の、しかもこの那須野の地に逢った人を引っ張り込んでくるのです。若い団員たちにとって最高の環境を常に保ち続けたのです。
らくりん座にお線香をあげた翌日、現在小学校巡回中の「おこんじょうるり」(さねとうあきら作)を観に行きました。
なんとも感動しました。色んな事があったからかも知れませんが、生きものに対する愛情、心のふれあい、そういった要素が良く伝わるあたたかい舞台でした。三味線もなかなか様になってきました。音楽は変えた方が良いかなと言う部分が幾つかありました(反省!!)。
ここの学校は200人ちょっと。前回見たときは100人に満たない小学校でも、団員8名くらいで毎回3~4時間仕込にかけ、徹底した照明・音響・舞台装置を組み、1時間の公演の後、2時間のバラシがあり、生徒たちの送り出しの最後まで気を抜かない徹底した心意気があります。
50名の公演でもこの姿勢は変わりません。一般的に考えればリスクが大きすぎると思うでしょう。
この精神は昤子先生がいらしたからこそ受け継がれてきた者だと思っています。らくりん座は「日本教育演劇道場」という結構硬いイメージの正式名称がありますが、教育と言っても「教科書」的に叩き込むのではなく、演劇を通じて人に対する思いやりや真心を、そして自分の体験し得ない世界を自然に学んでいくという意味が込められていると思います。
浅野昤子先生の告別式の詳細です
通夜 11/3(祝) 午後7時~
葬儀告別式 11/4(日) 正午~
会場 セレモニーホールとちのき会館(那須塩原市下永田1-983)
0287-39-1155
喪主 古賀みちる
共催(財)日本教育演劇道場・劇団らくりん座