古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。
浅野先生とほぼ時を同じくして、またしても僕の大事な知りあいが現世から旅立って行った。少し前の話だが、10月23日に亡くなられた江波戸昭先生の事である。
僕が江波戸先生の事を知るきっかけとなったのが30年以上前に買った「切手に見る世界の楽器」という本との出合いだった。打弦琴については当時ほとんど資料らしき物がなく、中国製のヤンチンをダルシマーの替わりに使っているような時期だった。先生の魅力溢れるサントゥールの解説に触れ、これはなんとしてでも楽器を手に入れなければならないと思いそれから数年後に意を決して高額なイラン製のサントゥールを手に入れた。
「カテリーナ古楽合奏団」リーダー松本雅隆(がりゅう)さんが、1992年発売のCD「ドゥクチア」のライナーノートを江波戸先生にお願いしたい、と言ったとき、一も二もなく賛成した。その時初めてお逢いしたが、その豊富な知識もさることながら、なんとも音楽の持つ魅力を理詰めではなく感性で感じておられるという印象で、声量豊かで素敵な歌声も披露され、本当に気さくな方だと思った。
僕が先生に最も感謝しなければならないことは、イランのタールを手に入れた合田さんという方から、この楽器を扱える人に譲りたいという申し出があって、先生は(たぶん僕に見せるつもりではなかった)合田さんへの手紙に「楽器はまごうことなき、れっきとしたタールです。楽器は日本に数台という逸品ではないでしょうか。私の友人で何人かこの手のものを扱うのがいますが、まずはロバの音楽座=カテリーナ古楽合奏団の松本雅隆君の仲間で、彼なら立派に演奏に利用してくれることでしょう。私自身も手元に置きたいところです。」と、つまり僕のことを一番に紹介してくれたのです。
確かに日本に中東の弦楽器を扱う人間は何人かいるでしょうが、他ならぬ江波戸先生が私を最初に私を挙げてくれるとは、これほど光栄なことはない。
この楽器を2年ほど弾き慣らし、3年ほど前に江波戸先生の前で披露することが出来た。なかなか難しい楽器でお世辞にも上手くなったとは思えないが、生での音色をお聴かせできただけでも良かった。先生はタールの演奏をとても喜んでいただき、アンコールまで貰った。
この7月にも江波戸先生の講義の中でがりゅうさんと娘の更紗さんと3人で呼ばれて演奏したが、この時胃のほとんどを切り取った江波戸先生の体重は40kg近く落ち、正直逢ったとき江波戸先生とは解らなかった。
この時は題材がブリューゲルだったので時代も音楽も違うのでタールを持って行かなかった。お逢いするのはそれが最後だったので、その事が後からとても悔やまれた。
CD「宙の囁き」の中の「レクイエム」という曲にタールの演奏を入れたので、このCDを江波戸先生に送ったが、程なく悲報を聞いた。希せずして本当にこれが「レクイエム」となってしまった。奥様からも病院のベットでこのCDを聴いていましたとお知らせを頂いた。
今頃は空の上から世界を眺め、様々な土地を旅しながら音楽の鳴り響く楽しい人生を追想しているに違いない。享年80歳。