人と人とが仲良くなる時、多くの場合何かを排除した中で仲良くなる。「エデンの東」で仲が悪かった親子が、お手伝いさんの悪口を互いに言って仲良くなる。最先端の流行語を使いこなすもの同士が仲良くなり、その他は排除される。FBで「いいね」を付け合うもの同士仲良くなり、その他は排除。中国で日本を敵と見なすものは仲良くなり、他は排除。
東日本大震災で被害を受けた者たち、原発に賛成する者たち、反対する人たち、TPPに賛成する人、反対する人、概ね敵がハッキリしている程結びつきが強くなる。
「護るべきもの」として肉親とは別にこの「仲良くなったもの」同士、護る対象となる。「仲良くなったもの」が何かに襲われたら助けに行くだろう。ジョンは一人の愛する者を護れという。
郷土愛、郷土の文化、スポーツをやれば自国を応援する愛は持っているが、はたして国は、今や護るべきものの対象なのだろうか?
前から良く書いていることだが、国家同士というのはどうしてもヤクザの縄張り争いにしか見えない。少し前までは国境という観念は存在していなかった。少なくともアジアには近代までなかったように思える。バランス・オブ・パワーによって誰が得するのか・・武器商人でしかないはず。
御大層な言い方だが、僕らが「芸術」をしていることは「仲良くなる」事はあっても「区別」をすることではない。すべてが「いいね」かそうで無いかで言い表せるものではない。全ての者に対してのコミュニケーション手段として「芸術」があると思っている。
今や、誰と誰までが仲間だとか同盟だとか、どこからが国境だなど、曖昧で良いではないか。国境は一端自然の中に返すべきではないか?
ここで「大政奉還のように」と書こうとしたが、今たまたま大阪に向かうフェリーの中でアップしているので、これじゃまるで「船中八策」のパロディだと思い、落とすつもりはなかったがここら辺ででやめよう。