Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

2016/10

「幸せ」とは二種類の意味がある。
一つは「優越感」。
もう一つは「不幸の反対語」。

本当の幸せ者は「幸せ」という自覚がない。
幸せの中にいる者は比較することをしないから、自分が幸せだと思っていない。
それは3次元の中にいる自分のことを、2次元でしか見ることができないのと同じだ。

いくら僕が幸せと感じても、他がもっと恵まれた幸せな環境にいればそれを不幸と感じる。
いくら僕の国が不幸と感じても、争いにまみれた貧困な国を思えば自分たちは幸せなんだと感じる。
隣の貧しい人の家庭をのぞき見て「うちは幸せなんだなあ」と思ったりする。
その隣の裕福な家を見ると「うちは何て不幸なんだ」と思う。
その意味では幸せは尺度でしかない。

似た言葉で「喜び」という感覚がある。
優越感で喜びには結びつかない。
かといって不幸ではないからと言って喜ぶわけではない。
自分が喜ぶと言うことは瞬時に喜ぶわけで、比べたりしている時間は無い。
思うがまま、あるがままに喜びはわいてくる。

幸せというものを目指すと、どういうわけか幸せになるための努力や試練のようなものがつきまとう。
喜びというものは目指すことが出来ない。何かに向っていく時に努力や試練で結果的に「喜ぶ」ことになったりする。

蹴ったボールがゴールする喜び、好きな人から声をかけられる喜び、水をやり花が咲いてくる喜び、ノートに書く言葉、楽器に触る音からイメージが生れる喜び、子どもが生れてくる喜び。

喜びはつかぬ間の出来事だろう。ただ比べたりする必要がないから無理をしなくて済む。
その代り喜びの時間を持つためにも、確率の高い環境に身を置くように努力することは大切だ。
そこで得られる喜びは誰から干渉されず、嫉まれもせず、幸せなのである。喜べる瞬間を求める当人は幸せだという自覚がない。

自分のことだけで言えば、こうやってここまで生きてきたことは確かに幸せなことかも知れない。好きな音楽で仕事が出来るだけ幸せかも知れない。
でも全てが好きなようにやれて、豊かな生活が得られたかと言えばそんなことはない。
モーツァルト、吉田松陰、ゴッホ、宮沢賢治、などと比べれば、この方たちは不幸なことには半端ではない。自分が幸せかなんて考えたこともないだろう。
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(Gogh:ローヌ川の星月夜)

この方々は少なくとも思うようにならない人生の中で、喜びとは何かを知っている人たちで、どんな境遇にあろうが自分の思うところを突詰め喜びを得ているはずだ。その喜びは後世の人間にまで感覚として伝わるのである。

そんな幸せ者に自分はなりたい。

岡さんが一昨日亡くなった。僕は音楽製作の立場だけど、40年近く一緒に芝居を作ってきたことになる。
とにかく表現力が素晴しい。それは何曲も僕の芝居の音楽で録音した物に残っている。
岡さんがどんな芝居をする人だったか、もう生を見る事は出来ないが、この残された歌と台詞の中にその一端が伺える。
ほんの3日前まで我々ロバの音楽座のFacebookに「いいね」したりして、元気そうでもう一度逢えると思っていた。

岡さん、どうぞ天国でも神様たちが楽しめる芝居を演じてください。
写真をクリックするとSOUNDCLOUDのページへ。その歌声がダイジェストで聴けます。iphone やiPadは表示されるまま無料のアプリをダウンロードすれば聴けます。

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演奏会はこちらが島根県に行っている間に、無事演奏会は終わりました。
録音と、様々な評判を聞く限り、とても良い演奏会だったと思います。

お客さんの声:素敵でした…演奏が終わってもしばらくウットリしていました。力強い弦の音色と何処までも広がっていく笙の音色に耳から解放感を味わえました。行って良かったです

お客さんの声:笙と25弦のお箏の響き合いが素晴らしかったですはるかシルクロードに跳んでいきました。

高橋はるなさん:一瞬びっくりして「マイクを入れたの?」と舞台担当にきいてしまったほど、いつもと違う音の出方が!笙の出す音が、会場の空気を震わせて、二十五絃箏の糸や胴をも鳴らしていたのだと思っています。

本当に宇宙空間に居るような。 

上野さんの、とことん追及される姿勢が、楽器にもちゃんと 伝わって、答えてくれました。 

上野哲生:まさしく共鳴、共振こそがこの作品の核心です。本当にそんなことが感じられるとは信じられないほどですが、神話の時代から世界樹の木から作る琴は天を共振さえ、天とコミュニケーションをとるための道具だったと思うのです。俊蔭も満足でしょう。
そのことを聞けただけでもやった甲斐があると思います。ありがとうございました。
 

東野珠実さん:上野さんの「星の舞」で新たなご縁を賜り光栄に存じます。奇しくも運動会シーズン、まさに二人三脚で走りきった充実感でいっぱいです
オープニングの秀作「インドの小さな花」が象徴的に映りましたが、25絃箏という楽器を育ててゆかれるお姿に心より敬服いたします。今後ともよろしくご鞭撻下さいませ。 

録音を聞いて、想像していたよりずっとゆったりした仕上りでした。箏が人であり、笙が宇宙であり、そのゆったりさが時を忘れ、広大な星空の元に話しかけている、本当にそんな意図通のイメージになって本当に良かったと思います。まだまだ笙や箏のことが勉強不足だったと反省しています。さらにお二人のための続編を書きたくなっています。 

gainga
茂木町は栃木県の茨城県との県境にある、人口1万2千人ほどの小さな町です。ここでかなり質の高い町民演劇やミュージカルが毎年のように行われています。
そこで中心となり指導されているのが江藤寛さんという戯曲家・演出家の方で、僕は12年ほど前に今市市の(現在は日光市に合併)ミュージカル作品「夢の翔る街」でご一緒させて頂きました。
とても僕と肌合の合う作品と詞を作られる方で、お互いまた是非ご一緒したいですねと言っていましたが、その後江頭さんは茂木町に住われ、ここの文化活動に貢献され、今回ようやくその夢が叶いました。
今回は宮沢賢治の生涯を、所々に賢治の物語や詩を描きながらその人生とリンクしていくような構成になっています。
今回は率先して町の方々が劇音楽の生演奏にも挑戦しています。栃木県の遠いところからもこの劇に応援に駆けつけています。
11月5〜6日に茂木町民センターで初演となりますが、どのような舞台になるか、今から楽しみであります。

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