Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

2016/11

安倍首相は自分を秀吉の様な人垂らし外交が出来ると、勘違いしていないだろうか?
相手の懐に単身で入って、腹を割って仲良くやれば相手もなびいてくれると。

それは強大な軍事力を背景にしたり、相手がメリットを感じるだけの素材を用意して初めて成立つことだと思う。
交渉とは相手の想像をを上回った美味しいものを用意しないと応じてこないものだと思う。
会社の名刺交換じゃないんだから、用意する材料を備えて、交渉はもっと緻密に計算しないと、結局トランプ、オバマ、プーチン、習近平、みんなから馬鹿にされるだけの存在になっていく。

途上国には原発を売込む。それは一部食らいつきの良い話かも知れないl。
しかしこれだけの地震を経験しながらも、ちょっとした事で冷却装置が停まるような技術を、どう売込むというのだろう。核のゴミをどうするかだけでも手に余っているのに、これ以上原発を作り稼働してどうするというのだ。

腐敗した政治の膿が今頃噴出してくる。
勉強ばかりして来た官僚は自分の保身しか考えていない。
首相のやり方がまずくともそれを補佐できる人材もいない。
票の取れる老人を優先しすぎて、若い頭脳の開発や教育にお金をかけない。

どうせ独裁をやるなら、経済を最優先させたいなら、金のかかる軍備や原発、一部の土木をいっそのこと全部やめにして、その労働力を農業、建築、輸送、機械工学、医療開発などに、人材と金をかけたらどうなのか?

こんな日本を若者が見ていても、現実より仮想現実の世界の方が楽しいに決っている。
そりゃ可愛い女の子、美形の男の子、手間暇かけたストーリー、綺麗な映像、わくわくドキドキ、つまらない現実には戻りたくなくなる。
それでいて現実の人とつながっていないと恐怖に感じ、SNSの中毒にもなってくる。
これでは個性も死ぬ。

ただ現実を充実させないと、仮想だけでは仮想を作り出せない。
バーチャルを越える面白い生甲斐、まあ政治任せにしていないで一人一人が考えて実行していかないと駄目なことだと思う。
数人とつながっているだけで良いから、自分たち、家族たちの生活を考える時間だけでも作らないと、政治だけではないこの国全て駄目になるかも?

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元々人間は、というより動物は別の種を差別してきた。
自分たちの血縁を尊び、その者たちを護るためにも差別をしてきた。

より高い生活水準を得るためには、より良い水場、餌場を得るためには一族以外の者の侵入を阻止した。さらに力の弱い者、戦争で負けたものは奴隷となって差別された。
元々国と言うカタチがなければ、縄張りはあっても、そこに属さなければどこへ住んでも構わない。今の時代は国ではない場所はないから、勝手に好きなところに住めない。

ただ生物の世界は少しグローバルな考えの構造で、一族内で子孫を作ることがまずいことは猿でも知っている。青年になった猿は雌を求めて一族を去る。エキゾチックな異文化との交流は冒険心を駆り立て世界の広さを知る。権力の欲望はこの辺りの感覚に始まるものなのか?

一族の上に立つ王が作る国は一族以外の者達も巻き込み、先ずは一族の利益のみを考えた。利益が出なければ差別された者たちには与えず、または奪っていった。

亜墨利加は建国当時、そういう差別から解放された人たちが集まる自由の国だった。色んな国から人が集まりプロテスタント中心に国を開拓し独立させた。ネイティヴアメリカンをいくら殺しても、アフリカから奴隷をいくら集めても、自由と平等の国は国民から愛され、世界の一等大国となった。(黒人奴隷解放に尽力を尽したリンカーンですら、インディアンは大量虐殺している)

これだけ長くキリスト教が隣人愛、平等愛、博愛、友愛などの言葉を掲げながらも、西欧諸国が植民地政策をやめてそういう態度に変わったのもほんの最近の出来事なのである。
亜墨利加なんか黒人と白人が一緒に仕事をしたり、ネイティヴアメリカンと一緒に学校に行ったり、女性が選挙するようになったのは、ごく最近のことだ。
様々な人が民権運動をし、血を流し、人間的に尊い存在だと解るようになり、やっとの事で差別というものが愚かしい事だと、世界の多くの人々が認識するようになった。人間はここまでやっと成長した。
哲学や宗教が何とか慈愛、隣人愛、友愛などとつないで、互いに仲良くすることが一番安定して平和だと理解させ、70年前の大戦以降人類はやっと崇高なレベルの門に足を踏み入れた。

しかしそれもつかの間、結局本音で言う人間が上に立つ者となり、今までやっとの思いで築いてきた精神をぶち壊していく。保守とか右傾化とか言うが、結局本来の一族のことしか考えない人間が政権を取っていく。そりゃそうだ。腹を割れば皆自分のことだけが可愛い。

西欧は難民受入れを悉く拒否し、アメリカは自分たちが移民だったのにメキシコやイスラムを追出そうとしている。
日本なんか仏教慈悲の国なのに、政府は難民を受入れる気すらない。

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トランプの事である。彼の罪は自分のことしか考えないアメリカを煽っただけでなく、全てのアメリカに住む移民に恐怖を与えたことだ。現実に移民の子どもはワプス系アメリカにイジメを受けている。自分の先祖も移民なのに、極論を言えばワプス一族以外の事しか考えていない。

トランプみたいな差別を本音で訴える人間はいくらでも居る。それを大統領にしてしまう人間の精神が問題だ。ヒットラーだって同じだ。みんな自分の仲間の事だけ考えていれば何をしても良い、そんなルールが世界に蔓延しようとしている。

日本が本当に慈悲の心や美しい国を求めるなら、本気で徹底的に非武装にしたり、一切外部の敵に対して何もしない政策で、国内警備のみという考えで貫き通してみたらどうだろう。
どこかで本気のドンパチが始れば、自分のことしか考えない進化しないレベルの低いもの同士、どうせ地球の事なんて考えずに全てを滅ぼしてしまうのだから。
慈愛、非武装が如何に豊かな生活になるのか、身を持って世界に示せば良いと思うのだが。
恐怖を克服した上で、本当の勇気や覚悟が試されるだろう。


まあそんな甘い事を言ってと、叩かれるのがオチだろうが・・・。日本人だってほとんどが家族を護ることだけで精一杯だから。

11/10の自治医大病院で起きた、死者を出した車の暴走事故。

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僕はこの日検査でここに来て、事故の1時間前にバスから降りてこの場所を横切った。帰りに何が起きたのか?玄関から出られず、外ではパトカーから報道陣でごった返し、とんでもない騒ぎになっていた。(写真は事故の1時間後くらい)
運が悪ければ僕はここで死んでいた。たぶん1000分の1くらいの確率でジョーカーを引いたらアウトだったのだろう。運が良いだけで、結構危険な毎日を過しているのかも知れない。
久しぶりに死ぬという事を考えてみた。

若い頃から、49歳にしてシベリアで人知れず死んでいくという夢を何度か見た。テレビで見た映画の影響なのかも知れないが、やけにリアルで、自分はそのくらいまで生きることが出来たら充分な気がしていた。
なぜ49歳なのかが解らないが(4と9は僕のラッキーナンバーだが)、後にノストラダムス予言の1999年問題もあり、それからなんとか生き残って2年ほどしたら49才になり、その辺りにたどりついて一人死んでいくのかとも解釈した。

20歳くらいの時には十二指腸潰瘍で2リットル輸血をして難を逃れるほど血を流した。医学の歴史は詳しく解らないが、200年早く生まれていたら確実に死んでいたに違いない。因みに生まれるのが100年弱早い漱石は胃潰瘍で死んだ(関係ないけど49歳)。
他に2cmの巨大な結石が腎臓に詰まった時、40際の時の潰瘍の再発の時、大腸癌、その他恐らく200年前なら死ぬような病気は沢山経験してきた。逆に昔だったらそんな病気にはならなかったという説もあるが。

49歳になっても地球は壊滅状態にはならなかった。在る意味非道い状態ではあるが、滅亡とまでは言えない。自分の夢で思ったのは一人生き残ることの方が恐怖があった。

元来大昔の生物は細胞的には老いがなく、死ぬことをプログラムされていなかった。ある時雄と雌に別れて生殖によって命を繋ぐシステムに変わった。この時遺伝子にテロメアと言う寿命のプログラムが組まれる。これにより全ての生命は永遠に生き続けられることになり、個体としての死を受け入れるようになった。
お子さんの居ない方々には申し訳ないが、自分の命は自分の子どもたちに託す事になる。カマキリのように子どもを作ってしまえば親は用なしになる。そうやって命を繋いでいくのが雄と雌の存在システムとなる。生物学的にはだが。

種族や部族、家族が生き延びれば死は大きな痛手はなかった。その人に会えなくなることは悲しくても、他が生かされることで損出にはならない。

近代になって、人間は個人で完結するようになった。それは本を読んだり音楽を聴いたり、学問を学んだり仕事を選び技術を持ったり、自分の親や息子と共有できない人生を持つものがほとんどの現代人だ。つまりそういう人生は次の代に受け継がれないし、受け継ぎもしない要素がほとんどだ。

そういう流れだからか、僕自身は死に対して恐怖を抱く以上に、今まで生きられて儲けもんで、感覚的にはいつ死んでも悔い無しと思える。
曲作りとして自己満だが納得のいく作品もいくつかあり、もう少し知名度があって世界規模で聴いて欲しかったとも思うが、歴史の中ではきっともの凄い天才が何人も人知れず埋もれていっただろう。
亡くなって注目を浴びる人もいるのが、本人にとってはそんな死後のことは認知できないだろう。本人がどう生きてどう満足したのか、それだけで良いではないか?

ただ、いくら自分だけが死を克服しても、やはり家族や周りの人々が悲しむのを想像したくない。
実際にまだまだ美味いものを食って酒も飲みたいし音楽も作りたい。面白い映画や本も見たいし新しい友人も作りたいし可愛い女性の顔も拝みたい。ああ・・これが本音か。

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11/5〜6、栃木県茂木町主催の音楽劇「銀河への招待状」〜宮沢賢治と仲間たち〜 作・演出:江藤寛
音楽は賢治の作詞作曲「星めぐりの歌」以外は書下ろしました。一部「琴霊」からも使いました。

今年の2月頃から着工を始め、4月から音楽を含め稽古が始り、録音での伴奏がほとんど生演奏に変りました。
狂言回しで演じる予定だった亡くなった岡さんの代りを江藤さんが務め、総勢80名から成る大編成をほぼ一人で切盛りしていました。

僕は6日の公演に律子と義妹夫婦と観に行きました。
茂木の皆さん、素晴しかったです。お疲れ様でした。
この皆さんの笑顔から如何にこの公演が良かったかが察することが出来ると思います。

本当に皆さんが心をひとつにして、何かを伝えようとする姿勢が強く伝わって来ました。
長めの演劇ですが、見ている人達をどんどん引き込んで行き、義妹夫婦も本当に感動したと言っておりました。
演技も個性がそのまんま味になり、こなれたプロには真似できない感動を呼びました。その印象がいまだに消えないところが凄いですね。
皆さん力み過ぎないで力が上手くぬけていて、とても良かったと思います。

茂木町はつくづく文化意識の高い町だと思いました。
また機会があればご一緒させていただきたいです。 


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