Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

2016/12

祭りは終った。
11ステージのうち、追加公演以外は全て完売。約900人もの人々がここに訪れた。
リピーターも多い。他の公演は来なくてもこれだけは欠かさないという人もいる。
人はこの時期、ここに何を求めてくるのだろう。と、いつも考える。
言われてみれば、クリスマスはクリスチャンでない我々も含め、愛や平和について考える場なのかも知れない。
確かなことはこれ以上ないほどの笑顔で溢れていることと、中には気持を抑えきれず涙をぬぐう方々がいることだ。
もちろん我々は出来得る最高の音楽メニューと演出で臨んでいる。
おそらくお客さんの方は我々の全て含めて、ここの環境、ここに来る他のお客さんたち、それら全ての優しさと温かさを求め、受入れてくれる。
すでに気持が一つになったところから始められる、特別な演奏会場なのだ。

「来年も必ず来ます」「お腹の子が3才になったら連れてきます」
その言葉がある限り、我々は生きて舞台に立てる限り、何があってもやり続けなければならない。
プレゼントを渡し続けるサンタのように。 

zoo
サーカスのシーンで廻る象のオブジェ(中里繪魯洲氏作)
nagai-omen
作成途中の幸せを呼ぶ長井お面(福袋用)

FBコメントより

>Makiko Sakamoto 12月26日 8:35
わ、長井さんがいっぱい wwww 
900人もの笑顔を想像しています。本当に、素敵な時間だろうなぁ~いいなぁ~ ずっとずっとサンタでいてくださいね。
「クリスチャンでない」というところ、とても重要で、そこが、とても素敵なところだと思います。愛は、宗教を超えるのだっ! w

>上野 哲生 12月26日 18:45
「クリスチャンでない・・」というくだりはガリュウさんが公演で話す言葉ですが、この分け隔てない愛の感覚はどちらかというと仏教にも通じると思うのです。
世界の風潮として自分たちさえ良けりゃ良いという波が強くなってきてますが、西欧だけでなく日本ももっと難民を受入れるだけの愛があればと思いますが。

>Makiko Sakamoto 12月27日 7:25 
今年の、クリスマスのローマ法王のメッセが、「宗教を超えて・・」というのも、日本に突然出没のダライラマ師とか、そういうのもありつつ、とにかく、誰かの教えとかでなく、みんな、静かにある一夜に思いを思いを持つ、とか、もう、生き物共通の何か、ですよね。 
クリスマスって、冬至の祈りに生まれた民族的な、何かの祭りとか、そういうのと一緒くたになってるやつですよね。だからこそ、もう、今のように、色々わかっているからこそ、もう、宗教を超えて、いいの、あなたを幸せに、っていう基準で、全ての、生 を得た人は、さらに他の生のために、何かを。サンタを信じるすべてのひとには、心にサンタが住んでいる。 そのサンタが、こっそり何かしている。
というのに、本当に、最近の風潮は、逆行していますよね。。。 ただ、価値観は、いつもオセロゲーム、人の心も、振り子のように、ある程度振れると、また戻る、はず。。。と信じています。
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>上野 哲生  12月27日 16:25 
その辺りもう少し人間は進化しないといけないでしょうね。宗教に何で戒律があるかというと子どもに怒るのと同じで、これしちゃあ駄目だよ。罰を与えるよ、と言わないと解らないからあるわけで、本当は宗教に頼らなくても自立して解るようにならなくちゃいけないと思う。

>保阪聡 12月27日 4:54
長丁場お疲れさまでした。家業故に(ケーキ屋さん)なかなかクリスマスコンサートに行けないのが悔しいのですが、来年こそはと思っています。
私も以前、この空間で、幸福感に包まれ思わず嬉し涙を体験してしまいました。子供達のためにと聞き始めたロバの世界ですが、とっくに自分が一番はまっているのかも知れません。いつまでもサンタであることを強いている一人です。

>上野 哲生 12月27日 16:55
ケーキを作るのもコンサートをするのも、きっと役割は同じだと思います。コンサートはその場ですぐ反応が返って来るので解りやすいですが、それぞれの家庭の中で笑顔でたくさんの拍手を受けていることと思います。
お互いいつまでもサンタであり続けましょう。 

ほんの少しだけですが、僕が古楽器演奏で参加したアニメ「終末のイゼッタ」のDVDとCDが出たようです。
音楽担当の未知瑠さんがインタビューの中で、僕のリュートやサントゥール、プサルテリーを起用したことについて語っています。
アニメ音楽界に新星現る『終末のイゼッタ』劇伴担当 未知瑠インタビュー

アニメの中では台詞に被って解りにくかったですが、CDでは恐らく台詞も無いので、良く聞えてくるのでは無いでしょうか。楽しみです。
因みにiTuneStoreで「終末のイゼッタ」を検索すると、以下のとラックに僕の演奏が確認できました。
2.週末のイゼッタ(サントゥール)
7.フィーネ愛のテーマ(プサルテリー)

12.夜明け前(リュート)

 終末のイゼッタ(iTubeStore)
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戦いは負けたらそれでおしまいかもしれないが、勝ち負けでは測れない「負け方」と言うのがあると思った。
クラブワールドカップの鹿島とレアルマドリードの試合である。
技術もパワーも一枚上手で、まるでティラノサウルスに向かって行く小人のような力の差なのだが、確かに一時は鹿島が押していて、あのリアルを相手に2-1でリードもした。延長直前に決まりそうなシュートまであった。
偶然、同時刻に放送していた、寸座の所まで家康を追い詰めた「真田丸」の最終回とダブるものがあった。
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よく考えたら鹿島は10日間で4試合もして、レアルはシードでいきなり準決勝。つまり2試合しかしてない。この疲労の中で互角だったのだ。
PKをもらって何とかリアルが同点までこぎつけたが、もともとペナルティキックとシュートゴールが同じ価値だなんておかしいと思う。だから僕のルールでは2対1.5で鹿島の勝ちだ。

芝居の始りが「真似をする」ことであるように、音楽も同じ「真似る」事から始る。

つまり大概は形から入る。
役者は、お爺さんはどんな仕草をするのだろうか?どうすれば幼子に見えるか?ヤンキーはどうやって凄むか?やろうとすればその形を真似る。
音楽もモーツァルトの旋律を真似して作曲する。クラプトンのカッコいいギターフレーズの真似をする。コルトレーンのアドリブをコピーする。

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僕は音楽家としては真似が上手い。
ビートルズに始り、ロックにハマり、クラシックに目覚め、古楽に目覚め、世界の民族音楽に目覚め、日本音楽にも目覚めた僕は、それぞれの音楽の構造を色んな角度で分析してきた。
カラクリが解っているからコピーするのも早い。曲の伴奏を覚えるのも予測がつくから早い。
またそれぞれのジャンルの音楽を、元々そんな曲があったような形に作ることも出来る芸当を持つ。

人々はその事を「すごいですね〜」「素晴らしい!」とお褒め頂く。
その評価は悪いことではないのだが、それ自体はただの「真似」や「なりきり」の世界で、ただ音楽をしていると言うだけで芸術活動と呼べるものではない。

「芸術」という言葉を使ったが、基本的には芸術=表現であり芸術家とは表現に特出したプロだと思っている。
プロの表現者は「誰のために」「何を」「どんな手段で」伝えるかが明瞭である必要がある。
「誰のために」は対象者で、これは神でも自然でも観客でも恋人でも良い。
「何を」は対象者の「誰」に向って表したいもの、例えば心の中であったり、表現者にしか見えない美の世界だったり、大自然の摂理であったり、少なくとも誰にでも簡単に見られるようなものならわざわざ題材には選ばない。
「どんな手段で」は表現方法である。目に見えないような世界を伝えるわけだから簡単ではない。よりよく伝えるためには新しい方法を開拓する必要がある。「何を」「どんな手段で」を突詰めたら否が応でも独自の世界が仕上る。僕の場合ここを「芸術」ととりあえず定義しておきたい。
「何を」伝えるかが「形」だけであったり上っ面だけであったりするならそれは本物を見れば良いのであって、真似の技術を「すごいなあ」と楽しむだけで、芸術の範疇とは思えない。
(人にもよるが、僕は「ものまね芸人」の芸は高度な芸術だと思っている。それは芸人の目を通して内在しているものが引出されデフォルメされているからで、やはり普通の人には見えないものを表現しているからである。)

ところが一般に音楽の修練はほとんどか真似の訓練で終始する。指が良く動いたり、高度な古典的技術を身につけることは大切なことではあるが、モーツァルトやコルトレーンに代わる新しいものを生み出す思考性を欠いている場合がかなり多い。
彼らのようにかっこよくなりたいだけで、「何を」「どんな手段で」の中身がないからだ。
別な言い方をすれば如何に真似されるほどの新しい音楽、世界で自分にしかできない音楽、それを見つけなければ芸術ではなく、大概は真似になってしまうのである。

もし音楽家全員が、練習量の三割でも「誰のために」「何を」「どんな手段で」を考えて演奏に望むなら、簡単に世界のどこにもないスタイルの作品やパフォーマンスを築くことが出来ると思う。

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真似の話はここまでで、表現の事で一つだけ僕の実践例を挙げておこう。

演劇の役者たちに歌を教える時、発声や歌い方以外に表現をトレーニングする時がある。

何でも良いが知っている曲=「メリーさんのひつじ」など誰もが知っている歌を
「子どもが歌う」「おじいさんが歌う」「子守歌の様に歌う」「イヤラシいおじさんが歌う」その他、思いつく限りの設定の中で歌わせる。

あまりちゃんと歌を歌えなかった役者も、設定の人間をイメージすることによって100の設定を与えたら100通りの歌い分けが出来る。
これはいつも同じベストの声のみを目指す声楽家は得意ではない。

歌手だけでなく、演奏家も似たような設定を作り、同じ素材を弾き分けてみてはどうだろうか?
漠然と設定の人物だけでなく、その人の内在する「何を」をより深くイメージすることで、表現法、音色、ダイナミクスなど訓練すれば恐らく万の種類の表現を得ることが出来るだろう。これに即興的にフレーズを作ったりすれば、可能性は無限大だ。

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