カメムシ

今年も夏の祭典が終った。

本当に祭りが過ぎたら秋の風に変ったようだ。

 

どんな価値のある面白い合宿だったかは僕の言葉だけでは的確に表せない。

僕の下手な携帯Photoしか用意出来ず解りにくいが、いずれロバのページから公式にカメラマンの撮った素敵な写真や映像がアップされると思う。そちらに期待して欲しい。

ここに載っている写真はあくまでその雰囲気の一部と捉えて欲しい。
 

ningyou



 

僕が今から言いたい事は合宿の内容では無く、糸島や小諸で一緒に過した子どもたちとの接触から感じる、子ども=人間の可能性についてだ。

 

僕は何度も似たような話をしているが、生命は雄雌を持つことで子の代孫の代と生きながらえるシステムを作った。つまり種族全体による命であり、集団で目的や希望を共有することになる。

人間が他の生命と違ってるのは個の中で目的や希望が生れて、その一生の中で完結する能力があることだ。

そのパワーや可能性はかなりの優れもので、想像力だけで世界を構築するほどの能力を持つ。それは人間一人が生命の一種族集団に匹敵する表現力やコミュニケーション能力を持つことだ。

現段階でそれを単純に言えば創作能力とも言える。詩、曲、美術、物語、哲学、遊び、身体表現、大発明、それから派生する未来のジャンル。誰もがシェークスピアやバッハ、チャップリン、ニジンスキー、谷川俊太郎、ピカソを越える可能性を持って生れてくる。


 

 

この可能性を社会が見事に潰している。子どもの時期にしつけは肝心かもしれないが、社会に適合することばかり考え、既成の社会的基準のみでの評価しか出来ない中で、子どもを檻の中に閉込めているような気がする。

枠のない大海の中なら魚も巨大に育つ。でも水槽ならそれより大きくなる事はない。

子どもなら興味を持てる僅かな刺激とそれに対応できる少しだけの環境を準備してあげるだけで巨大に成長していく。

 

yoru



今回の合宿で子どもたちとはそんな子どもたちだらけだと感じた。

それはある意味で脅威だ。

我々にはまだ技術と知恵があるから負けないかもしれないが、もし同じものを持ったことを想像すると恐ろしいほどだ。

 

子どもたちを集団の一部として機能させる教育しかしていなければ、エジソンもアインシュタインも生れない。大人が唖然とするほどのものを未来の子どもは生み出してくれるはずだ。そんな子どもたちが育つ広い器を用意してあげるだけで、全く新たな発想力が生れ、日本や世界の未来にも光明をもたらす気がする。

 

合宿で何かがはじけ解放される子どもたちを見ていると、すでに次の進化は始っているような気がする。


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