生命体の面白いところは、生命と言うものの緻密な肉体の管理システムと、貧困な思考力や欲望とのギャップである。

どう言うことかと言うと、例えば人間が生命を維持していくだけでも何億という細胞がそれぞれ連携しあって、呼吸や血流という生命を維持していく事はもちろん、成長や怪我病気などあらゆるトラブルに相応の対応をして、次世代に全ての情報を受け継いで行く素晴らしいプログラムが完成している。
ところがそのシステムを利用する人間自体の思考は、それから比べると実に低次元の働きしかしていないように思われる。多くは人間全体、地球全体のことなどを考えているわけでも思っているわけでも無く、ひたすら欲望と自我のままに動く。

遺伝子一つで百科事典数千冊分とも言われる情報量。その遺伝子核の入った細胞が60兆個集って人間の生命が形成されている。生命がここに至るまで何十億年もかかった。淘汰され偶然にここに至ったとは考えられない。明らかに綿密な意図がある。その意図を人は神と呼んだり、創造主とか宇宙の意志とか称したりする。
ところがその究極のコンピュータを操縦する当の人間の意志や思考は、どう見ても貧弱に思えてならない。

例えば平均的な30代の男の思考。
「ああ、まだ眠い。お腹が空いた。会社に行かなきゃ。電車に遅れる。仕事きついな。ああ、あの娘可愛いな。パンツ見えないかな。仕事やめたいな。何だ、既読なのにスルーかよ!お金がない。みんな政治が悪い!酒飲みてえ!ミサイルが怖いなら先制攻撃だよ!おお、レアアイテムをゲット!暇だ。眠い・・・」
仕事に賭ける人、創る人、極める人、尽す人、そう言った人はこの限りではないが、立派に見える人でも思考は欲望で出来ていて、語弊があるかも知れないが、多かれ少なかれこんなレベルで一日を過し、欲望がほとんどだ。
自分自身を診てみると上記の30男と五十歩百歩だと思う。
言わば精密なスーパーカーを乗回す無免許の赤ちゃんのようなもんだ。

つまり創造主の意図とは反し、多くの場合人間の精巧な肉体に対し、精神は宝の持腐れのようである。こんな浅はかな意志や思考のために高性能プログラムを作ったのか?果して神は天空からこの状態を嘆かわしく思われていないのか?

恐らく神はそこまでも計算の上なのかも知れない。何十億年かけて淘汰されたプログラムは、生れたばかりの生命、さらに人類にはまだ充分に扱えるとは思っていないかもしれない。
それでも人間は複雑な感情や芸術作品、おおよそシステムの中だけでは生まれ得ない、創造主も驚くようなものを生む力や可能性があるだろう。創造主は花に水をやるように、その成長を楽しんでいるのかも知れない。
まさにアーサー・C・クラークのSF小説「地球幼年期の終り」の様に。

生命は単細胞生物から単純な進化を繰返し、動物や人間が感情を持つまでに至り、さらにその先の今の常識や発想では計れない超能力を身に付けていくのかも知れない。
想像も及ばないことだが未来に思うのは、僅かな表現で人同士が語り合わなくとも人個人の内面が理解でき、壮大な意志・目的を持ち、それぞれの尊さが解り合え、争い、差別、怒り、嫉妬、それらの無駄を理解し、創造主のような存在を見つけ出し、その意図や生命プログラムの意志まで理解する時が来るかも知れない。
今我々がすることはおそらく、それまでの肉体の中の精密なプログラムだけでは作ることの出来ない、独自の発想のものを生み出そうとする、その意志や方向性こそが思考を進化させ、我々をその次のステップに導くのだろう。

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僕はこどもの頃から自分の身体という高性能なマシンを不思議に思い、自分の意志とは関係なく血は脈打ち、呼吸をし、寝たら勝手にいびきをかき、勝手に成長していく。僕の意志ではなく。

ならば、僕はどこから来たんだろう。きっとどこにでもあるような魂の一部が一時的に間借しているだけに過ぎない。色んなものにサポートされつつ生かされている自分を感じていた。

ところが大人になって、唯一自分から生れたと思っていた音楽も、どこか別の所からやってくるような気がしている。自分で捏ねくり回すより、スラスラと勝手に浮んでくる方が、世ほど良い作品が生まれる。
じやあ、自分は何をしてるかと言えば、そのどこからともやってくるものを選び、汲上げ、まとめて、形にする力だけがある。
広義な意味でliveをやっている人なら、瞬時にその流れをくみとり、表現や身体に指令を出す。営業のプロも職人もアスリートも、自分がスラスラ事が運ぶことに説明が付かない。それでもそれを操縦するのは自分でしかないと。
確かにそんな自分の恵に感謝しなきゃ。それを支える家族、仲間、町、地球、宇宙、その全てが自分を成立たせてくれているようだ。
そんなこんな自分のして来たことが、また未来に繋がっていくのではないかと勝手に思う。
何万年後か、人類が生残っていたら、どういう形にせよそれは我々の代の影響もあるだろう。様々なものが淘汰され、ようやく創造主も
「おおっ!」
と唸るような存在になっていて欲しい。