Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

2018/11

Queen→ペルシャ→日本について、多くの方が興味を持ってくれたみたいなので、図に乗って続編を話したくなった。
僕はペルシャ=西アジア地域は音楽家にとって最も重要な場所と捉えている。世界の楽器はあらゆる地域で自然発生的に生れているが、現代に至る重要な楽器の元は、多くはこの地域から生れていると言って良い。

先ず、この地域が如何に文化文明的に優れた人たちであるか知ってもらいたい。
皆さんはソクラテスやユーグリッドみたいなギリシャ文明をローマが受継ぎ、そのまま西洋に文献が残ったと思っている人が多いのではないか?
実は初期キリスト教徒からギリシャの書物を受継いだのはササン朝ペルシャで、ペルシャ語に翻訳され文化資産として受継がれていった。元々高い文明を持っていたペルシャの学問に融合し取入れられた。
この頃はまだペルシャ人の多くはゾロアスター教だった。
時を経て7世紀くらいにイスラム教=アラブが台頭してくるとペルシャに侵攻し、多くのペルシャ人はイスラムに改宗されたが、逃延びたゾロアスター教徒たちはインドや長安の都まで逃げ延びた。一部日本にまで来たことは前回お話しした。
イスラム化したペルシャはギリシャ文明もペルシャ文明も吸収し、元々あるアラブ文明を組合わせ、天文、医学、科学、思想、音楽まで含む全ての文明をまとめ上げた。全てはアラビア語に翻訳された。

その頃のヨーロッパは無法地帯で、ローマは時代と共に荒れに荒れた。キリスト教の様な啓示宗教(簡単に言えば悪いことをしちゃいけませんという宗教)が必要だったと思う。それによって秩序が保たれ、今のヨーロッパが形成されていった。
その文明の拠所にしたのが西欧の起源と言うべきギリシャ文明だったが、アリストテレスもプトレマイオスも全てアラビア語から翻訳された。12世紀、十字軍とアラビアが戦っている頃の話だ。
この話は一般の西洋史の本には絶対に出てこない。
以降、西洋は世界に侵攻しアラブ世界をも支配下に置いてしまう。まあ世界はご覧のような力関係でバランスが取れてしまった。

西欧がアリストテレス等の書物を知ると同時に、楽器や音楽の形態や理論も流れていった。これがカテリーナ古楽合奏団の演奏する古楽の時代で、ロバの音楽座が使っている楽器にも関係する。

結論から言えば現代の優れた楽器の基本形態は、殆どがペルシャ近辺で生れている。
ギターのように胸に胴体をあて、(右利きの場合)左手で弦を指板に押さえつけ、右手で弦を掻き鳴らす楽器は、何百年も基本的な構造がほとんど変わっていない。おそらく未来も生き続ける楽器の「種」であろう。
こういった弦を押えて音程を変えるギター系のシステムの最古のものは、ネックの曲がった古代ペルシアの「バルバット」という弦楽器とされている。それが東に伝搬したものは中国の「ピーパ」日本の「琵琶」。西に伝搬したものはアラビアの「ウード」西洋の「リュート」と変わる。この弦楽器の伝搬は、さながら現人類=ホモサピエンスがアフリカに住んでいた一人のイヴから始まり、その子孫が世界の至る所に流れていったのとよく似ている。
ギターはリュートの胴体を平らにしたもので、同じ血を分けた分家と言えるだろう。自然発生的な楽器も多々ある中、もし楽器というものにDNA鑑定が可能なら、この種の楽器の伝搬と影響を詳しく調べてみたい。
他にもこの土地から生まれた特徴的な楽器は打弦琴(サントゥール=西洋で鍵盤が付いてピアノに変っていく)、箱形琴(プサルテリーのような楽器=チェンバロの前身)、タンブール(後にマンドリンや三味線に展開していく)、壺太鼓(ダルブッカ)とあるが、実は全て僕の得意なものばかりがここから生まれている。
さらに弓奏の楽器(ヴァイオリンの元)や笛系(これは自然発生的なものとの区別は難しいが)を挙げ出すときりが無いが、少なくとも数学・科学などの高い学問から作られる楽器は相当質の高いものが出来ていたに違いない。

ぶっちゃけた言い方だが、もしペルシャが存在しなかったら、ブライアン・メイやジミー・ペイジはギターというものを演奏していなかった。ビートルズもセコビアも違った表現媒体の音楽となり、20世紀の音楽シーンは大きく様変りをしていたろう。

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このペルシャで楽器を発明した人たちはどんな人たちだったんだろう。ここからは僕の空想の世界になる。

イエスの降臨を予言した東方の三博士の話でも有名なあの聖職者たちのことをマギという(単数形はマゴス)。この人たちはゾロアスター教の聖職者階級で、天文、医学、呪術、幾何学に優れ、ペルシャ文化の礎となっている。マギはマジックの語源でもあるところが興味深い。
西洋音律理論の基盤を作ったと言われるピタゴラスは、30際の頃から約30年にわたって世界各地を放浪することになるが、よくマギとの接触の可能性を言われている。

このギターの先祖を始め優れた楽器の発明者達は「マギ」だったのではないか?
ピタゴラスが、世界各国を廻ったときに様々な世界の楽器に興味がなかったはずはない。ゾロアスター教の聖数は「7」だが、ピタゴラスにとっても「7」は聖なる数で、西洋音階の基本数も「7音」。
おそらくマギたちの音楽理論も確立していて、その神秘的宗教奥義には、後の基督教や仏教同様、音や音楽そのものが単なる宗教効果だけではなく、神との橋渡しを担い、当然様々な楽器達が作られ試行錯誤し、淘汰していったことと思われる。
ピタゴラスが音律を調べたのは「モノコード(単弦の弦楽器)」と言われているが、音律を調べるなら2弦以上ある弦楽器だろう。ギターのように箱に駒のあるしっかりと固定された減衰音の長い楽器ではないと、共鳴の状態は解らない。
ピタゴラスの楽器は、教団の迫害、弾圧とともに消えてしまい、マギの実態も密儀で本質は外に漏らさない為、本当の事は何も解らない。しかし、今僕が弦楽器に夢中になるのはマギの仕業ではないのか?
マギがいなかったら世界の音楽はまた違う方向に行っていたかもしれない。そんな魔法使いのような影響力の強い人々に敬意を表して、自身のレーベル名にも「MAGI」の名を使わせてもらった。

インドに渡ったゾロアスター教徒=パールシーの末裔にフレディ・マーキュリーや指揮者のズービン・メータがいる。
長安の都までやってきたゾロアスター教徒たちの一部は日本に来て優れた建築などに相当貢献している。「日本に来たペルシャ人」などでネット検索をかければ、親切な歴史愛好家がかなり詳しく教えてくれる。
ここに全てを書き表わすことは出来ないが、マギの末裔はとてつもなくエネルギッシュな印象がある。智恵もあり徳もあり一筋縄ではいかない彼らの生命力は、多くの日本人の僅かな血の一部として活き?づいているのではと思ってしまう。

フレディはイギリスに渡った時ずいぶん差別されたらしいし、日本も渡来人は随分と差別されてきた歴史があるらしい。
でも歴史を紐解けば全く逆な立場だった。数百年前まで西欧は後進国だったのだ。差別したり争ったり、やれ制裁だ、移民だ等と言合っている輩の何と多いことか。
少なくともどんな民族でも何万分の1かは共通した血が流れている可能性があると言うことを忘れてはならない。

Queenのフレディ・マーキュリーの映画が公開されてニュースでもFBでも話題になり大絶賛されているが、まだ観ていない。長くなるがQueenの話をしたい。

僕等の時代だとQueenは20歳を過ぎて出会ったグループで、デビットボーイ同様、多感な時期からは既に外れていた。
ビートルズの後、沢山の様々なアートロック(ニューロックとも言われていて文字通り芸術的ロックだが、それはもうロックというカテゴリーを超越した様々な音楽様式の融合体だった)を聴いたが、Queenに似たタイプとしてはハードロックと古典音楽の両面を持ったザ・フーや、少し後の中東や北アフリカ音楽をロックに取入れたレッド・ツェッペリンにすでに多大な影響を受けていた。
当時、同じ大学の女性にチケットがあるからと誘われ、武道館までライブを観に行った。1975年くらいだと思うが、殆ど初めてQueenを聴いた。
コード進行はアートロック時代に比べるとありきたりの進行が多く(もちろん細かな捻りは加えているが)、時にはこちらも着いていけないくらい一貫性がなくぶっ飛んだ信仰をしたり(ボヘミアン・ラプソディー等)、そんなに好きになることはなかった。

21世紀になってから高校生になった息子=琴久がやたらQueenを歌いたがる。なるほど、歌だけ聞いていると何とも凄みがあって自由で面白い。
あんなにビートルズを歌っていたのに、今は流石にもう飽きたという。ツェッペリンは歌わないのかというと、「Zeppelinの歌は『オーベイビー、愛しておくれ』みたいなことしか言っていないけど、Queenはもっと男女の愛だけでなく、友達とか人類とかもっと視野が広い、時折男声愛的な歌もあるけど」と言っていた。なるほどと思わざるを得なかった。
Queenの事は世代的に律子もよく知っていて、同じ頃キムタクの出るアイスホッケーの「プライド」と言うドラマで全編Queenの音楽を使っていたが、これには驚かされた。全く現代のサウンドと言って良い、素晴しくドラマにマッチした音だった。

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同じ頃もう一つ気になる話を聞いた。ボーカルのフレディ・マーキュリーはイラン人の血をひくという話を聞いた。僕はサントゥールをはじめイランの楽器や音楽が大好きで、自分の中にも遠くイランの血が僅かに流れているのではないかと思っているほどだ。(日本とイランの血の関係はここで書くと長くなるので後述する)
Queenの音楽にはペルシャティストは全くと言って良いほど感じないが、ただあの声と発想力と詩のイマジネーションはそういう血から来るものかも知れない。
後で知ったが、彼はパールシーでペルシャ系インド人で、インドで育って高校の時内乱を避けてイギリスに渡ったそうだ。インドに居た頃からピアノを習ってロックバンドも組んでいたようだ。裕福だったらしい。

改めて色んな楽曲を聴いてみると、様々な発見がある。
ボヘミアン・ラプソディーを聴くだけでも色んな工夫がある。何重にも重ねたコーラスは凄いが、その脈絡のない継ぎ接ぎはまさにコラージュだ。それぞれのブロックの手法に一貫性はない。
ビートルズの後期の音の細かな工夫も凄いが、それを遥かに超えている。ア・デイ・イン・ザ・ライフを受入れた僕が、これは当時受入れられなかった。
ギターの重ねも分厚くて凄い。感覚で即興フレーズを弾くのとは違い、かなり計算ずくで音を重ねている。シンセが流行りだした頃こんなサウンドを作っていたから勘違いされないように「no synthesizer」とまでアルバムに書いてあったらしい。

とにかく映画を早く観たい!律子と2人でシルバー割引きで見る約束をしているが、こちらも忙しいのと律子も親の介護があり、時間が取れるのが12月になってからだ。
律子もそうだが、Queenは女性の食いつきが良い。特に日本の女性が欧米より先にQueenを認めていったらしい。
ビートルズは別格だが、それまで男性社会だったロックに女性が参入してきた、彼らはそういうロックなのだと想う。

<日本とイランの血の関係について>
僕にとっては米のイラン経済制裁は故郷に喧嘩を売っているようなものだ。
歴史を紐解けば書いてある事だが、ペルシャは元々ゾロアスター教で、医学・天文学・数学・音楽・文学とあらゆる事に秀でた民族だった。8世紀になって突然イスラム教が台頭してきて、多くの西アジアの国がイスラムに征服・改宗された。ペルシャの多くのゾロアスター教徒は逃げて、一部はインドに(フレディもその末裔)、そして相当の人々が長安の都にまで逃げて来たらしい。それはペルシャのマジシャンとして手品師や軽業師が沢山いたという。
日本書紀などには胡人と言う名で西アジアから来た人たちが日本にやって来たことを書いている。特に遣唐使や鑑真等と一緒に仏教徒となって日本に来たペルシャ人の名前が何人も出てくる。建築の分野で活躍したらしい。松本清張の「ペルセポリスから飛鳥へ」にもその辺りの事が詳しい。
司馬遼太郎の処女作も「ペルシャの幻術師」、西沢裕子の「波斯の末裔」では、主人公の司堂義保もペルシャ人の末裔、文人たちもこの風土を越えた異文化の流れが気になるところなのだろう。
少なく見積って数十人のペルシャ人が日本に来たとして、その人たちが日本人と子をなせば、30代後には一億人を越えるペルシャ人の血の混じった子孫が出来ている可能性がある。計算上のことだが、そのくらい地球はグローバルに出来ていると思う。

そもそも胡人の多くはどこへ行ったのか?
ここからは独自の見解だが、ペルシャのマジシャンたちは日本の忍者になったのではないかと思っている。
忍者の多くは渡来人と言われている。元々飛鳥の時代から伊賀の里に住んだのか、串本に流れ着いた後続派が風摩になったのか、何も証拠はないが、明らかに異文化の発想、伊賀甲賀などの場所、部落問題、人里離れて住む理由が何となくそれを思わせる。

遣唐使と共に来た皇甫東朝は音楽の素養があったらしく「雅楽寮員外助兼花苑司正」に任ぜられている。
個人的には僕がサントゥールやセタール系の楽器に惹かれるのも、ペルシャの音楽に血が騒ぐのも、そういった事が起因しているのではと思う程、先人の魔力に取憑かれている。

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