今年も恒例の「ロバの学校」が、本当に無事終りました。今年で39年目です。
39年前と言えば、今年の参加者の子どもたちの多くの親たちはまだ生れていなかったという事実にただただ驚くばかりです。
ここのところ「今年のロバの学校は今までで一番良かった」と毎年言っていましたが、今年もそう言いたいです。
それは環境との馴染も、参加者たちとの信頼性も、僅かばかりの経験値も、少しずつ進化しているところもあるのかもしれません。
音楽を文章で話しても意味のない事と同じで、今年のロバの学校を多くの映像も揃っていない中で僕がいくら説明しても伝わるものでもなく、素材が出揃ったとき、紹介できればと思います。
ただ特記すべきは2日目の植木鉢を使った太鼓作りの最中に、異常気象でもの凄い風と共にミニトマトサイズの雹が降ってきて、作業場の屋根付テントごと飛ばされそうになったこと。これが本当に飛ばされたら大変な事で、スタッフや大人で力を合わせテントを押えてなんとか凌ぎきったという感じでした。あまりのもの凄さに泣出す子どもも居ました。
ちょうどそれはみんなと冒険をして嵐を乗切ったような、魔物を退治したような達成感、または一体感のようなものが生れたのも感じました。
3日目のガランピー祭も雨に見舞われました。実際に屋根付テントの狭い中で皆で歌ったり踊ったり、ようやく雨が上がり外に出て全員の静かなコンテンポラリーダンスを演る頃には、全員がこの限られた空間と時間の中で何か記憶に残る証を築こうと一心不乱に動いていました。
素晴しい自然派在るけれど、何もかも完璧には揃っていないこの合宿。何かが足りない中を満たしていくのが創造ではないかなと感じました。
ふと、京アニの事件を思い出しました。
僕の場合、ここで終りにして後は空白にしておけば纏りが良いのに、どうしても自分の思考回路を見せないと気が済まない性格なのでしょうか?
京アニの事件自体は本当に酷い事件ですが、僕が驚いたのは京アニの作品に救われたという人が世界中にこれほどまで居たんだと言うことです。
僕個人はアニメも好きだし、人生観を変えるほどの作品に出会うこともあります。でもそれによって救われるくらいの絶望感はよほどの事であり、もちろんマスメディアだからこそ層が厚いからでもありますが、まるで親鸞や日蓮が亡くなったのと同じくらいの影響力だったと言うことです。
最近のアニメのストーリーによくあるのは、平凡な人生を送る主人公がコンビニを出た途端に何か異空間に迷い込み異世界での生活が始り、現実世界ではあり得なかったほど人空頼りにされ、最後には邪悪なラスボスを倒すヒーローとなって人々から愛され、異世界で幸せに一生を過す・・・つまりもう現実には帰ってこないストーリーが多いのです。
こんなストーリーばかりではないですが、実に現実から逃避する話が多いのは社会に受入れられなかったり、人間関係が上手くいかなかったり、逃場のない人たちが如何に多いかというのを示しているのではないかとは思っていました。
もちろんアニメで救われるのもアリですが、世の中にはまだまだ色々な救われる要素があります。
中にはユーミンの歌、谷川俊太郎さんの詩、TVドラマや様々な演劇、舞踏、宗教、絵画、ロバの音楽や合宿もその中の一つかも知れません。
でも一番大事なのは人と人の繋がりで心の内を話したり、コミュニケーションを取っていくことがあって、そこが正常でない世の中はなかなか住みにくいのではないでしょうか?
隣の人同士が語り合い、笑い、歌い、多少考えが違っても互いの良いところを見つけ合える、そんな人間の集合体が社会であれば、間違っても戦争なんか起らないはずなのですが。