Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

2020/05

新型コロナウイルス感染症=COVID-19 の発生から半年が経とうとしています。
 

日本は感染拡大を押え込んでいるなどと世界から評価されたりしています。確かに西欧を始め他の国よりは感染者数、死者数の割合も極度に低く、韓国などと同じように感染は少ないでしょう。でもそれは政府の適切な対処で押え込まれたのでしょうか?
 

日本は国として何をしてきたかというと、厚労省内に2月末にクラスター班を設け4月初めに「緊急事態宣言」を発令し、病院はマスクや防護服の不足の中、必死の努力で医療崩壊をさせないで頑張ってきました。
しかしながらPCR検査が少ないと言っていたのは3月の半ばであり、あれから2ヶ月以上経つが検査が増えているという話はまだ聞きません。感染数が減ったとは言え検査が増えなければ第2波を防げないでしょう。
4月半ばには一律給付金、持続化給付金を決定しました。持続化給付金は電通などIT部門を外部に頼むことにより若干動きが速いようですが、一律給付金は都市部ではようやく申込用紙が各家庭に届いたペースです。
 

日本が感染者数が少なくて済んでいるのは単に運が良かったと言えます。日本を含めた東アジア地域ではその原因は解っていませんが、総じて感染者は少ないのです。生活習慣も有るかも知れませんが、日本は何とか押え込んできました。
それを国が動くことで拡大を防げたかというと、ちゃんと動いていればもっと拡大を防げたと思うのです。
緊急事態な時ですから、こう言う時こそ無駄に多い手続きなどをバイパスして如何に経路を短くするかが必要となります。「自分の責任で・・・」とリーダーシップを取れる人が公務員の中には多くはいないのでしょうか?
ただ大事なのは動くに当って、これを行って間違いはないか、国会ではなく専門家の意見は聞く必要はあります。
 

今回、特に2月の終りに総理は独断で小中高校などを3月2日から春休みまでの間、臨時休校するよう要請を出しました。この判断は結果的に良かったにせよ、もっと早くから準備をしてその休校を生かせる状態を作り休校が始れば、子どもたちだけで亡く親や学校もどんなに助かったことでしょう。緊急事態宣言も出すならもっと準備して説明して、理解させてからならもっと国民も協力したでしょう。どうも政府のプライドと経済と様々な都合でギリギリまで踏ん張って、最後は押切られた感があります。
 

100年前の日露戦争の頃、陸軍の医者としての森鴎外もプライドを捨てられずに2万7千人以上の戦士を殺してしまった同然のことをしています。海軍に対抗して麦飯を出さなかったため多くの人が脚気で死んでしまったのです。司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも鴎外のこの独善的な行為を相当怒って非難しています。鴎外は生涯この事の罪を認めませんでした。

結局今の総理は、独善的なプライドで動くとこの森鴎外と同じような結果になった可能性があるのです。本当は早い時期から専門家の意見を取入れ、最初から出費をケチらなければ早い時期から準備をして明瞭な采配が出来たはずです。それ以外の所で検査のバイパス化や給付金のシステムなど、リーダーシップで改善してスピードアップできる方法を模索できたと思います。
 

我々音楽家や演劇人は緊急事態宣言解除後も最後まで正常な形での公演は簡単には出来ないでしょう。少額の給付金を貰ったところで、一度活動を停止してしまうと生の舞台は簡単には帰ってきません。
 

自然淘汰と言えばそうなのかも知れませんが、「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と言ったドイツのメルケルさんの言った言葉くらいは発して欲しいです。共産党に言われたなどというプライドは捨てて。

最後はご機嫌な山下洋輔さんの本で締めたいと思います。
特にこの本が山下さんの一番と言うわけでは無いのですが、僕やロバの音楽座の話題がちょこちょこ登場します。
 

山下洋輔

山下さんとのご縁は同じ国立音大作曲科の中村太郎先生、溝上日出夫先生の門下で、山下さんが10年ほど先輩です。
お会いしたのは卒業後、中村先生の新年会に参加し、その時参加していた山下さんに密かにファンだった僕が思いきって声をかけてからです。
「なかなか面白そうな奴だ」と言うことで、僕の実力も知らないのにいきなり「題名のない音楽会」でトリオと共演するときのオーケストラアレンジを任されました。それ以降、「オーケストラがやってくる」を始めオケや室内楽と一緒に演るときはアレンジを任されました。「ラプソディー・イン・ブルー」も最初にアレンジしたのは僕だと思います。
 

山下さんとオケが対決するためには、原曲をなぞるだけではオケが目立たないし、山下さんも面白くないので、様々なオケの技法的実験をやらかしました。
「この僕の後輩である上野君のアレンジは素晴らしいのだが、何が凄いかと言えば、お構いなしに自分の曲を中に入れてくる。」
とアレンジのことを舞台で紹介してくれたりしました。
その中にクルドのリズムと称した曲を作り、それが山下さんのヒット曲「クルディッシュダンス」の基になりました。
 

僕もロバの音楽座が忙しくなり、山下さんも僕より腕の良い著名な作曲家達の編曲の基、世界を駆回ります。
その後ロバの音楽座とは「もけらもけらコンサート」で山下さんとはどこにもないジャズと古楽との夢のような世界を作り、子どもも聞けるジャズと言うことで、近年も何度か演奏しています。
 

自分の話ばかりで恐縮ですが、葉山から立川に越す縁を持ったのも、「立川近辺でピアノがガンガン弾いて怒られない家はないか?」と僕に電話が合ったので、側にいたロバのがりゅうさんが「ちょうど家の前の米軍ハウスが空いている」と答えたのがきっかけでした。まだロバハウスが出来る少し前です。山下家と松本家はご近所づきあいが始りました。
 

文筆家、ハナモゲラ和歌、笑いの発掘、囲碁、書いていくのも憚るほどあらゆる方面の興味が絶えない方ですが、やはりどこにもない独自のジャズスタイルがあってこそと思います。そして音をあそぶというロバのコンセプトと一致するところが有り、あくまで山下流であり、どんなに激しい肘打ちをしても、力まないしなやかなそのピアノは日本の宝だと思います。その無限の興味があってこそ湧きでるピアノフレーズと僕は解釈しています。
 

そんな山下さん、世界的な有名人を沢山知人に持ち、受賞パーティーを開くと各界から500人以上集るような広い顔を持ちながら、何かしら(特にMac関係の事で)僕に頼ります。家がロバハウスから近いこともありますが、事あるごとにやや遠慮がちに頼ります。
僕にとってはそれは何とも嬉しいことであり、何とか力になろうと、そんな気持にさせてしまう人格者であります。

小学6年生の時、始めて詩というものを味わった,いや詩というものが何なのか諭されたのが寺山修司の「ビートルズって何だ?」という詩でした。
これを詩と言って良いのかどうか解りませんが、当時ビートルズが大好きでビートルズを特集した雑誌に掲載されていたこの詩に、まさしくカウンターパンチを食らいました。
その終りの一節はこんな感じでした。
 

(抜粋)
一口で言えばビートルズの唄は、
養老院の風呂ガマを爆発させる唄だ。
学校の黒板へ書き散らしたラブレターだ。
教会の青草にひっかけた小便だ。
バス・ルームで入浴しながら聞く
電気カミソリの髭剃りの音だ。
四十匹の雄猫の春情あふるゝ呻き声だ。
女の子のスカートを
毛むじゃらの手で引き裂いてゆく音だ。
ビール壜からあふれ出したマイアミの海だ。
ブレーキなしで断崖を降りてくるリムジンだ。
・・・・(後略)
 

ビートルズに対するある種の感動を、まったくビートルズの音楽や詩のテーマと無関係に言放って、それがより強くビートルズの内在するもの、エネルギーを感じさせる。ああ、これが詩の力なんだな・・・と子ども心に思いました。
 

後々10年くらい経って仕掛が解ってくるのですが、ビートルズという題で印象を植付けながら、まったく関係のない言葉を掛合わせる、所謂これがシュールリアリズムの手法だったわけです。
「ジョージのいきなり繰出す泣くようなギターは僕の心を打抜き・・・」なんて直接その場を説明しても何の感情も読手には伝わらないですが、
「四十匹の雄猫の春情あふるゝ呻き声だ」と無関係なものを持ってくる方がイメージが膨らみ、より音の本質に迫るものがあると思うのです。
 

もちろん寺山修司はシュールな手法ばかりではないですが、その趣味の特異さといえば澁澤龍彦に並ぶのではと思っています。
 

大人になってから初めて読んだのがこの「幻想図書館」です。所謂、一般的に読んじゃああかん本です。

幻想

サド・マゾ、拷問の歴史、髭女、娼婦、見世物小屋、そんなものの羅列です。そんなものたちをとても魅力的に紹介しています。
その中に出てくるのが音符が人になって踊っている、イギリスのイラストレーター、グラングィルの絵でした。
その絵の基を探しているのですが、寺山修司がこの絵をどうやって知ったか、それ以降このグラングィルの情報がネット上などに上がってこないのです。
 

本は無くしてしまいました。全ては幻想の如くで何か昔見た見世物小屋の風景のようになってしまいました。
このブックカバーチャレンジが始って買い直そうとしてメルカリで手に入れたのは「不思議図書館」の方でした。これでは無かったです。

不思議

僕の欲しかったのは下の絵の「幻想図書館」でした。残念ながら同じ絵の物は手に入りませんでしたが、Amazonであさって届きます。リレーも終っていますが・・・。
 

なので今回は「幻想図書館」はネットからですが、間違って買ったこれから読む「不思議図書館」両方を載せます。

些か、文字を考えることに疲れが出てくる頃です。
数行で済めば良いのですが、性分なんでしょう。僕は俳句や川柳は書けません。
 

そもそも本題に入るまで長いです。
4日目に映画の話が出て来ましたが、そもそもロック兄ちゃんの僕がクラシカルな音楽を生業としたいと思ったきっかけは、高校生の時観た一本の映画がきっかけでした。
 

それは”A Space Odyssey”(邦題は『2001年宇宙の旅』←この題は好きではない=文部省推薦みたいで。)です。
もうSF映画の古典ですが、まず映像に驚きました。どう見たって実際に宇宙遊泳していたり、月に居たり、宇宙そのものの真っ只中に居るとしか思えないのです。この影響で僕の動画年賀はいまだに宇宙を追いかけます。
そして音楽です。多分音楽を知らない人が西欧の協会でヘンデルか何かを聴いたとき以上に神に出会ったような気分になったのでしょう。テーマ曲の『ツァラトゥストラはかく語りき』はR.シュトラウスが何を感じたのか知りたくてニーチェに埋没する時期もありました。でも音楽で凄かったのはリゲッティの映画の中の3曲です。オーケストラや合唱の『ルクスエテルナ』『レクイエム』『アトモスフェール』これらのクラスター(当に音の超密集)まさしく宇宙の音、この映画のテーマでもある「神」の音楽を感じたのです。
僕はそれまで漠然と音楽家を目指してはいましたが、いわゆるこの手のオーケストラを扱える作品を作りたいと思いました。
それまでロックやポップスをガンガンやっていましたが、そのためにクラシックを一から学ぼうと思い立ち、音大受験を決めました。
 

この映画は3部構成になっていて、2部までは在る意味ストーリーのある映画です。この最後の15分が世間では問題になりました。
リゲッティの『レクイエム』『アトモスフェール』が流れる中、ひたすら宇宙をワープするイメージのサイケデリックアートが続くのです。簡単に言えば神に等しい何かとの出会いのシーンなのです。
 

高校生のウブだった僕はこれが何を表しているのか、訳がわからなかったのですが、何か得体の知れないもの凄い物を観た気分になっていました。ショックで何日もこの事しか考えなくなりました。これが何なのか知りたかったのです。
 

この映画はSFの大家=アーサー・C・クラークの原作に監督のスタンリー・キューブリックのアイデアを絡めたストーリーに基いて製作されたとされていますが、クラークの原作を読んでもよく解りません。聞くところによるとキューブリックの映画に原作のクラークはどうも不満があったようです。原作だと「無限に進化した人間は神と等しくなる」という考え方で、そこをもっと説明的に描きたかったのでしょう。僕はこれはこれで神に出会ったと同じような気持になれたので良いと思ったのですが。
 

キューブリックはもともとクラークの別のSF小説を読んで、こんな映画を作りたいと言ってクラークに映画になり得るストーリーに変えてくれと言って作ったのが”A Space Odyssey”でした。
ではそのキューブリックを動かした小説はどんな小説か、それが(ああ、やっと本題に入れる(^^;))「地球幼年期の終り」です。
 

幼年期の終り

SF小説の好きな人から当り前すぎて笑われるかも知れませんが、僕にとって映画のラストの答えはここにありました。まさにSFの最高峰。ストーリーは全然違いますが、その核の部分はしっかりと受継がれています。キューブリックはこれを越えたかったのでしょう。
 

まさしく超人類との出会い、なぜ『ツァラトゥストラはかく語りき』を使ったか、ここでも結びつきます(もちろん効果ありきですが)。宇宙哲学という物が存在するならこれだなと思いました。
 

最近は「幼年期の終り」となっているようです。カバーも何度も変っていますが、僕は昔のこの絵が好きです。ただあまりに昔過ぎて本が見つかりませんでした。これはネットからの借用です。
 

ストーリーは言いません。ただ映画化できるスケールではないと思います。

田島征三さんの「絵の中の僕の村」です。これは1992年に発売された、絵本ではなくエッセイです。
双子の田島征彦と田島征三の高知での少年時代を描いた、自伝的エッセイです。表紙もそうですが、カラーで征三さんの思い出溢れる絵が何点も描かれています。
 

絵の中の

これを読んだ「もう頬づえはつかない」「橋のない川」などで有名な東陽一監督が、この本を題材に映画化を考えていました。
1996年にシグロ配給で封切りになったファンタジックで郷愁あふれるこの映画は芸術選奨文部大臣賞、第46回ベルリン国際映画祭銀熊賞などをはじめ、国内外で数多くの賞を受けることになるのです。
母親役が原田美枝子さん、父親を長塚京三さん、本人達も最初と最後に登場しています。
 

東監督はこの映画の撮影が終って編集に入る前、音楽を中世・ルネサンスの古楽で統一したいと決めていました。そこでありとあらゆる海外の古楽のレコードやCDを聴きまくったそうです。ところがどうしてもフィットする音楽が無い。
最後の最後に日本のグループで「カテリーナ古楽合奏団」というグループのCD「ドゥクチア」にたどり着きました。
東監督は「これだ!」と思い、映画の全編にこの音源を散りばめ、カットを音楽の長さに修正していきました。(一部、藤原真理さんのチェロ独奏の音があります)
 

東さんはカテリーナの音を、
「形式にとらわれず、野放図で純粋なのが中世ヨーロッパ音楽の特徴。それが、この映画の持つ雰囲気にぴったり合うと直感した。日本映画は音楽を重視しない作品が多いが、音楽一つで作品の印象が全く違ってくる。昔の少年を描くからといって感傷的な音楽を使っていては、感性豊かな観客の心をつかむことはできない。」6月24日 読売新聞夕刊より抜粋
と、評してくれました。
 

結局カテリーナの事を言いたいが為にこの本を引合いに出した恰好になってしまいましたが、この田島さんの原作があって原田さんや双子の子どもたちがいて、素晴しいスタッフがいて、カテリーナの音があって、それを東さんが見事に構築した、何かが欠けても成しえない素晴しい作品が出来たと思うのです。
 

もう24年前の出来事で、僕等もしつこく話題にしていませんが、次の世代に伝えたい素晴しい映画です。で、その映画の基がこの本です。
このエッセイの話しを盛りすぎず、ほとんどその話しのまま映像化しています。
唯一映画でしか登場していないのは木の上から眺める謎の3人の婆さん達です。この婆さんが出てくる度に出てくるのが「ドゥクチア」の「優しく美しい乙女」です。もちろん東さんは音重視で、ほかの曲ではこの雰囲気は出せないからですが、タイトルを知っている人はクスッと笑ったでしょう。
 

YouTubeで一部分だけですがこの映画の雰囲気が解ります。
 

古事記は現存する日本最古の歴史書であるとされます。
編纂が712年。紙に書かれたものはいずれは朽ちます。古事記も原本は現存せず、幾つかの写本が伝わるだけです。
古事記は日本最古を主張しています。「帝紀」や「旧辞」というのが原点とされてますが、現存していません。
時の権力が古事記以前に書物があってはならんとして、それ以前の書物は全て燃やされ根絶やしにされたというのです。元々ヤマト政権以外の豪族は平定され、それぞれの歴史も無かったことにされたと言うことはあっても不思議では無いでしょう。

古事記以前に書かれた書物が幾つもあるという説があります。つまり滅ぼされた側の歴史です。
それは共通して感じ以前の文化で神体文字という記号のような表音文字で書かれていて、多くは門外不出となっています。多くの古代史研究家からは偽書とされ、いわゆる「眉唾物」と言われています。
それらを総称して「古史古伝」と言われています。

「古史古伝」という言い方は、吾郷清彦が『古事記以前の書』と言う本で最初に提唱したもので、佐治芳彦が呼名に訂正を加え「古史古伝」とし、一般的な総称となりました。それに値する古書とされる物は日本の各地に姿を隠し、現在公開された物はざっと20を越えます。
神体文字で残っているものもあれば、近年それを日本語に訳したものだけが残っていたり、様々です。 ただ面白い事にそれぞれの神話があり、歴史があり、文化があり、また互いに共通したものも多いのです。

例えば有名な「日ユ同祖論」、天皇家はユダヤの十部族の末裔だったとか言う説がありますが、その事が書かれていたり、キリストが日本に来たことが書かれていたり、歴史学者がひっくり返りそうなことばかり出て来ます。
凄いのは幾つかの古書で共通しているのですが、ニニギの孫で神武天皇のお父さんにあたるウガヤフキアエズという古事記には名前しか出てこない1代のみの神様がいるのです。幾つかの古書ではこのウガヤフキアエズが王朝の事で70〜80代続いたと言うのです。この代が微妙に違っていて逆に口伝ぽくて面白いのです。一人一人の名前まで書いてあるのもあります。ウガヤは伽耶から来て神武天皇はそこからやってきて降臨したという考え方なのでしょう。

当初「古史古伝」は「超古代史」と呼ばれていたこともあります。有名な竹内文書などは「創世記」にあたる天神七代は3175億年前に宇宙そのもののを作り、地球に降臨するまでの現象を7区分したような系統が書かれています。宇宙船、ムー大陸、ノアの箱舟、モーゼ、イエスの来日、まさにSF漫画的題材の宝庫です。

こういった胡散臭いものは僕は大好きです。どちらかというと妖怪物や超常現象の類に近いかも知れません。
逆な観方をしてみれば古事記だけをスタンダードとする理由も無いような気がします。歴史は元々時の政権が都合良く改ざんしていくものだし、史実とは考えにくい事も沢山あります。
古事記同様、大概は写本しか残っておらず、当時書かれた証拠はありません。ただそこに共通して消え去った神々の名前が希に共通して出てくるのです。横の繋がりがあったのか、どれかの古文書を元にして書写しながら別のストーリーを構築したか?
ただこの残された書物の量は膨大です。人間一人で完成できるような情報量では無いのです。

これらのテキストは暫し明治以降の日本の新興宗教の基ともなっているようです。もしその多くの新興宗教が古史古伝の影響無しに作られたとしたら、それはそれでとてつもない神的類似性として、見過せない信憑性を帯びてくるでしょう。
古史古伝の多くは戦前、新興宗教と同じように国からの弾圧を受けます。皇室のルーツに言及する事が多いからでしょう。

僕も信じるか信じないかと言えば後者の方かも知れません。でも妖怪は信じなくても妖怪は居たら面白いと思うのです。
仮に近年になって創られたフィクションだとすれば、一体これだけのでっち上げをなんのために行って、しかも門外不出にする必要があったのでしょうか?つまりこれだけのものを作り出した人間の心理、想像力そのものにとても興味があります。
古史古伝

とりあえず家の中から探し出した古史古伝関係がこの5冊です。他に5冊以上は在ったのですが・・・。
佐治芳彦氏の本を最も読んでいます。この方はちゃんとした歴史学者で、様々な古史古伝を比較し客観性を持ってみています。太平洋戦争、特に石原莞爾の事や、木地師の成立についての本なども有り、読みやすく興味が共通しているところがあります。

僕はいい歳して結構な漫画好きです。活字の本より時間にすると漫画に接する方が多いでしょう。
一つには音楽漬けになっていると頭で音がループして寝られなくなるし、次の曲を作ろうにも前の曲が鳴り響いて頭が混乱することが多くあります。
そんなとき、頭をリセットしてくれるのが漫画です。曲を作ったり演奏したりして興奮した頭を沈静化してくれるのです。とてもくだらないお下劣な作品で大いに笑って、全てを忘れます。週刊漫画だと次はどうなるのだろうとか思っているうちに音楽のことはすっかり忘れています。

これが文章で読むと、文字の隙間に色々なことを考え出します。その隙間に再び先ほどまで忘れていた音楽を思い出し、またループしていく事になります。それが良い場合もあるのですが、忘れるためには向いていません。
たまに音楽をまったく忘れてしまうほどのめり込むこともあります。同じ題材で小説と比べると漫画の方が数段表現力が上と思わざるを得ないものがたまにあります。
三国志演義も横山光輝が有名ですが、曹操を主人公にした『蒼天航路』などはスケールの大きさ、画力、詩や音楽などの当時の文化の捉え方、僕は吉川英治が描く視点とは比べものにならないくらいに芸術作品を感じます。数百人いる登場人物のキャラをフィクションを交えながらしっかり立たせていると思います。今回この表紙を載せようと思いましたが、以前にも話題にしましたのでやめました。

同じ歴史でもギャグと史実を混ぜ合せ、関ヶ原から幕末を描く大長編歴史漫画で始ったのが1979年で未だに連載が終っていない、みなもと太郎の「風雲児たち」を紹介します。
風雲児たち
 
元々幕末を描くはずだったのが、幕末は関ヶ原で負けた薩摩、長州、土佐の末裔が起していくという300年の因縁を描きたかったのでしょう。
登場人物の癖などはフィクションが多いですが、殆ど史実に基づいていて、それを視点が変るだけで吉本風のギャグの要素が沢山出てきます。史実ですから人情話もあり、悲劇もあり、言わば落語のような歴史書です。

色んなシーンがありますが、特に描き方が素晴しかったのは大黒屋光太夫の話です。ロシアに漂流して日本に帰るに帰れず、最後は女帝エカテリーナ2世に謁見して帰国を願い、日本に帰り着くまでの9年の話しです。井上靖は『おろしや国酔夢譚』と言う小説で描いていてこちらも読みましたが、風雲児たちの方が圧倒的に光太夫の内面を描ききっていると思うのです。主観ですが。
史実を描いているだけで面白いという意味はもう1枚の中の写真にこっそり載せましたが、光太夫のロシア入する遙か昔、ピョートル1世が未知の国大阪から漂流してきたデンベエに逢い、世界初の日本語学校の教師になるというシーンです。 デンベエの死後は薩摩人が漂流して来て日本語学校の教師となり、その次は津軽の漂流民が教師となる。それを描いていくわけですが、どんな事態になるか想像が付くでしょう。(中を見せるのもルール違反か?)
こんな感じで史実に基づいているだけでこんなに面白くなるのです。

三谷幸喜は「風雲児たち」を題材とした歌舞伎まで作りました。これを僕が見逃したことはとても悔まれますが、果して三谷氏と言えど原作の面白さを越えられるか心配です。
江戸時代で好きな人物がいれば、その登場する巻だけでも読んでみると、今までの見方とは違った人間味が感じられるかも知れません。

『7日間ブックカバーチャレンジ』リレー初日。
ブックカバーチャレンジがkanさんから渡ってきました。わざわざご指名ありがとうございます。光栄です。

色々ルール破りばかりやりそうですが、始めた意図として恐らくこの時期に本を読む大切さを伝えたいのだと思います。その趣旨のみ賛同して勝手に始めさせていただきます。

僕の1日目に紹介したい本は著「音楽の西流」という本です。僕が生まれる1年前に書かれた、当時110円で売られていたハガキ大の小さな文庫本です。
カテリーナ古楽合奏団に入る前に音大の図書館で偶然見つけて、小さいので借りては無くし、その都度弁償させられました。110円では申訳ないので220円を。
音楽の西流

人に貸しては戻ってこないので、何度も買い直しました。多分6冊目くらいになるのかと思います。

この本は先日亡くなられた皆川達夫さんとは真逆な文化論を持っておられます。
今西洋音楽と言われるものの元になったのはアラビア音楽であり、楽器そのものと名前、音楽理論、ドレミの呼名、とにかく殆どの出所がアラビアにあると言っています。
我々が高校で習う世界史は西洋史であり、西洋の元はギリシャ文化にあり、それが脈々と伝わってきたかのような歴史改ざんがあります。
前にもQueenの所で書きましたが、実際にはギリシャ文化が西洋に伝わったのは、プラトンもアリストテレスも全てスペインのコルトバの図書館などで、アラビア語に訳されたギリシャ文化を学んでいったのです。この事は西洋人にはとてもプライドの傷付く部分だと思います。

ギリシャ文化はローマに受継がれたと言いますが、ローマが衰退する頃の西欧は無法地帯で、だからこそ啓示宗教(こんな事をしちゃ駄目と戒める)のキリスト教が盛んになるのです。それを大事に取って置いたのが古代ペルシャで、ムハンマドの台頭したイスラムにペルシャ文化と共に吸収されるのです。この文化文明のレベルは半端ではなく、天文学から医学、数学、兵器や楽器まで、その本の多さだけを見ても他の文化圏を遥かに圧倒していたといえるでしょう。

後ウマイヤ朝はスペインの一部がイスラムになり、コルトバの図書館には山のような本があったでしょう。そのレベルの図書館は他の西欧にはありません。当然楽器もアラビアから伝わった記録もあり、西欧はここから学び、自分たちの独自の物に変化させ、時間をかけてルネサンスに至る。この「再生」という意味はギリシャ文化の再生だが、その中にはギリシャ、ペルシャ、アラビア、これらの文化文明要素を融合した物だ。

この「音楽の西流」の岸部茂雄氏は東京大学名誉教授であるが、戦後間もない日本の片隅で、誰が読むかも解らないアラビア音楽がどう伝わったか、かなり詳しく書いてある。
確かに中東の学問などは西欧の学者が書いたものを参考にするが、この文化の根幹に関わるところは西欧では論文が少ない、というか作りたがらないでしょう。
岸辺氏がアラビア語を訳されたどうかは解りませんが、この時期に良くここまで調べ上げたという他は無いです。まだ日本がアラビアどころか、海外に眼を向ける余裕など無いような時期にこの本が書かれたのはさすがだと思います。

当然絶版ですが、たまに古書が出回るときがあります。後世に残したい一冊です。

ロバの音楽座の母体である我らが「カテリーナ古楽合奏団」は「中世・ルネサンス音楽を演奏する・・・」と説明を付けるが、この「中世・ルネサンス」というひとくくりにしたこの言い方が定着しているのは偏に、1970年代に出版された皆川達夫先生の著書「中世・ルネサンスの音楽」がこの時代の音楽を知る上での多くの人の入門書となったからかも知れない。

皆川さんは1965年から1985年まで毎朝6時に放送されていた、NHK-FMの「バロック音楽のたのしみ」のジョッキーを担当していた。50代から上の古楽ファンなら皆川さんの声を知らない人はいないだろう。少ししゃがれた声がカッコイイ。
「解説は皆川達夫です・・・」

我々カテリーナもLPの時代に2度番組で紹介され、全曲流してもらえた。その「古楽の調べ」という当時45回転の30cmLPはライナーノートを皆川さんにお願いしている。
「今日は日本の若者たちが古楽を演奏するカテリーナ古楽合奏団というグループのレコードを・・・」みたいな感じで放送されたと記憶している。
CD「ドゥクチア」発売は1993年なので残念ながら番組は終っていたが、レコード芸術誌上でも皆川さんに推薦盤のお墨付を頂いた。

皆川さんの指導する中世音楽合唱団にもゲストで3度ほど出させてもらった。
また1999年にはロバハウスにお招きし、カテリーナ古楽合奏団の演奏会を皆川さんの名解説で進行した。ワイン好きで何時も打ちあげで最高のワインを持ってこられた。
皆川カテリーナ1
皆川カテリーナ2
 

皆川さんは先月19日、老衰で亡くなった。あと少しで93才と言うところで、天寿を全うされた。
その後すぐ「こころの時代」という宗教の番組で「宇宙の音楽(ムジカ)が聴こえる」というアーカイブスに出演されていた。2005年頃の番組だ。
相変らず話しは面白い。水戸藩士の皆川家に生まれ幼い頃から謡曲を習っていた。
皆川さんの業績の中に、「中世・ルネサンス音楽」の紹介や指導が有名だが、西洋からキリシタン文化に乗って日本に入ってきた、西欧音楽の日本音楽への影響も大きな功績だろう。その中の一つに隠れキリシタンの「オラショ」がある。

「オラショ」は隠れキリシタンが密かに歌い続けて来たグレゴリオ聖歌だ。もちろん節回しは口伝なので和風に変ってきている。この原曲を求めるのも皆川さんの大きな仕事だ。

「キリシタンを散々弾圧してきた水戸藩士の私がオラショを世に出すことは、水戸藩士の贖罪の意味を込めています。」みたいに冗談めいて言っていたが、なるほどそれはその通りだと思った。

皆川さんの考え方は多分にキリスト教徒だ。
我々は「中世・ルネサンスの音楽」は多分にアラブ文化の影響があると見ているし、音楽の作り方や楽器の選び方も多分にアラブ的な解釈をする。
皆川さんは「中世・ルネサンスの音楽」は西欧独自の文化の中に生まれ、仮にアラブの影響が多少あってもそれは完全に西欧流の秩序に則って生れたものと考える。

両者の意見を戦わした事は一度も無いが、音楽を聴けば解る。
それでも皆川さんは我々を認めてくれている。
考え方の違いはあれど、音楽の美しさ、感銘を受けることには隔りは無い。
何年も御無沙汰してしまってはいたが、我々の大きな理解者が天に向って旅立って行かれた。

こころの時代〜「宇宙の音楽(ムジカ)が聴こえる」の番組はオンデマンドでも観られます(220円で)。この番組を観るだけでもこのお方の素晴しい業績と魅力が心に残ると思います。
ご冥福をお祈りします。

ただでさえ引きこもり気味な我が生活に加え、世の中がこうだと恐ろしいほど運動不足になり、とりあえず散歩することが日課になった。

幸い近くには多摩川が流れ、晴れた日は景色が綺麗なので必ず土手を歩く。毎日同じような場所を歩いていると日々の風景は同じに見えても、全てが入れ替っていることに気づく。
それはまさしく鴨長明の「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」がそのままであり、ヘラクレイトスの「万物は流転する」を体感する。

まあ、そんな理屈っぽいことが頭に浮んだり、絵を描きたくなってみたり、音楽が浮んできたりする時間なのだが、こういった自然の風景(もちろん視覚の中に人間の生活感は入り込んでくるのだが)を見ていると自分という存在が消えていく時がある。
そんな作為性のない状態で、とにかくメロディが止めどなく浮んでくる。作為性がないから昔どこかで聴いたメロディかもしれない。印象派の影響が多分に有るかも知れない。

そのメロディをまとめて構築してチェロとハープの曲に仕上げてみた。
散歩の時に撮りためた多摩川の映像を流し、演奏はウィーン在住のチェリスト、ハーピストにお願いした。
(というのはフェイクで、Vienna Symphonic Libraryというウィーン生れの初音ミク的存在のPC音源です)
 

IMG_3909

ご存じのように、今年の5月5日は谷川俊太郎さんとのロバハウスライブは延期になりました。今の世の中の流れの中で様々な不安がありますが、僕にとってこのライブが出来なくなってしまう不安はマスクや食料が手に入らなくなることよりも、何よりも大きいのです。

前にも話しましたが、うちのビデオは自動で谷川俊太郎さんの名前の出ている番組を検索し録画するように設定しています。だから見逃すことはありません。
杏林大学の金田一 秀穂さんとタレントの滝沢カレンさんが谷川さん宅を訪問し、カレンさんが詩を書いて来て、それを谷川さんが同じテーマで詩を書くという、俳句の連歌のようなEテレの番組、NHK高校講座が今日も再放送されて録画されていました。
まずこの番組に出てくる谷川さんのプロフィールを紹介する写真はロバハウスの2階で撮っています。谷川さんの向こうに「ロバの音探し」のジャケットも写っています。

僕は谷川さんの詩の中でもこの時の詩が好きで、詩集に載ったら一冊欲しいなと思っていますが、未だに検索をかけても市販の詩集の中に登場していないようです。

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いつも谷川さんとのライブのある5月5日の頃になると、改めて谷川さんの詩に触れて、なにがこんなに人の心を揺さぶるのだろう、と色んな角度から分析をします。
それは自分が音楽を作るときの自分にない、何かが隠れていると思うからです。

最近松尾芭蕉に興味が出て来ました。
俳句のことは疎く意味もよく解りませんが、芭蕉は母音と子音の使い方がとても流れが良く、音楽的で響きとしてとても心地よく、違う言葉に置換えてみるとその凄さが解る、その程度の理解力しかありません。
ただ「奥の細道」の後半から良く言われる「かるみ」という境地がでてきます。
「かるみ」を簡単に言うと日常に新たな美を発見し、それを複雑ではなく、解りやすくさらりと表現することになります。
「奥の細道」の最後には「不易流行」つまり万物は流れ変りながらも何一つ変らないという悟りのような境地があり、そこに人の世を重ねたときに見えてきた観念が「かるみ」と解釈できます。
人の一生は悲惨な別れの連続かも知れないけれど、そのような変わりゆく宇宙が不変の宇宙の中に包まれている。 そこにだれでも入ることの出来る大きな懐こそが「かるみ」と僕は勝手に思うのです。
それには表現は解りやすく、優しく、小さな自我はなく、あえて言えば「梵我一如」でしょうか。

この「かるみ」こそが実は谷川さんの詩にもっとも当てはまる言葉ではないかと思いました。 谷川さんが芭蕉に影響を受けたかどうかは解りません。
ただ言葉という装飾も何もない活字の中での無限を求める中、行着いたところがこの「かるみ」のような概念であったのかな、と思う次第であります。

「宝だから」を改めて読むと、僕にとっては今のこの時期にもの凄く響く詩なのです。
早く谷川さんにまたロバハウスでお逢いして、この事を語る時間が欲しいです。

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