感染者が一千人を越える勢いの沖縄に来たと言うだけで、色んな人からやたら心配の声をかけられる。
もちろんこちらも十分に感染には気をつけてはいるが、何か報道の一方的なやり方に悪意すら感じる事がある。
オミクロン株は従来の変異株ほど肺を容易に感染させないとの結果も出ている。
米カリフォルニア大学サンフランシスコ校の免疫学者モニカ・ガンディー氏は「われわれは今や全く異なるフェーズにある」と分析。「コロナウイルスは常にあり続けるだろうが、この変異株で非常に多くの人が免疫を持つようになることでパンデミックが沈静化すると私は期待している」と述べているらしい。
そんな話が出る中でも報道は重傷者の数は一切報じず、感染者の数のみ記録更新で増えた増えたとあおり立て、発行部数や視聴率を増やしている。
今の新型コロナを結核やSARSと同じ第2種からインフルエンザレベルの第5種の感染症にダウングレードしようという案が随分前からある。それで医療のひっ迫や保健所の過重労働を解消できるだろう。でも厚生労働省は頑なにダウングレードはしない。それは分科会と特に医師会からの圧力が凄いと聞いている。
実際にこの煽りの恐怖と経済的困窮で何万人もの自殺者が出ている。それは明らかに感染して死亡する人の数より遙かに多い。鬱病もかなり増えている。
インフルエンザと比べても、新型コロナの場合、肺炎で亡くなった人など何でもかんでも感染で死んだ事になり、合併症があっても全てコロナの所為になってしまうので、同じ様な方法で統計を取ると毎年のインフルエンザとさして変らないだろう(病気の原因は統計では計りにくい)。
とにかくこのまま非人間的な生活が続けば、人間は人間性の損失が加速するだろう。感染に殆どかからない子どもたちはおしゃべりもおふざけも禁止され、コミュニケーションのとれない子どもたちばかり増えるだろう。
野放しに全てが安全だとも僕は言っていない。何が安全で、何を心配するか、もう少し色んな角度でものを観ないととんでもない事になる気がする。
たとえば飲食店が安全対策店は9時以降、対策をしてない店は8時以降営業しちゃダメってなんの効果があるのか常識的に考えておかしいと思わないのか?問題はその規則に従わない者は周りからパッシングを受けることになる。あなたは非国民だと!
沖縄料理は大好きだが、今回ばかりはさすがの僕も一人でひっそりとしたところを選んだ。万が一感染でもしたら公演自体がパーになるからだ。新変異株が如何にたいした事は無いと言えど、既に個人の問題では無い。
蔓延防止を決定したその日は沖縄最後の夜だったが、中心街からはかなり離れた石嶺食堂に行った。昔から離れた場所にあるためよほど決意を持って行かないと疲れてしまう。最近は歩いて10分くらいのとこ子にモノレールの駅も出来て、タクシーの世話にはならずに済む。
と言う理由は建前で、あくまでも僕はこの店の料理と雰囲気が沖縄で一番好きなのだ。特に焼きテビチとソーキ焼は同じ味はどこにもない。何を食べても美味しいが、一人なので何を頼むべきか本当に迷う。焼きテビチはハーフサイズもあるが、更にその半分を頼んだりして身体のことも考えた。
ここには僕の大好きな「菊乃露」の古酒も置いている。いつもは安価で旨い「菊乃露ブラウン」だが少しだけ奮発した。この宮古島の泡盛は僕に幸せを感じさせてくれる。三日間の疲れを全て浄化してくれるようだ。
お婆さんが一人先客で沖縄そばを食べに来ていただけで、すぐに僕一人となった。静かに沖縄民謡が流れるだけで、風もゆるやかに吹いて(その日は気温20度くらいで窓も開いている)、国際通りの喧騒や基地問題からもかけ離れた昔ながらの沖縄があるようだ。
この人里離れたお店でも、当然ながら時短営業されられる。女将さんも「いつまでつづくんかねえ」と嘆いていた。
東京でもコロナ禍で、僕の好きな店が何軒か無くなった。お年寄や疾患のある人は本当に気をつけなければならないけれど、いきすぎた規制、報道、偏見は人から大事なものをどんどん奪っていくような気がしてならない。