Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

2022/03

「麦と空」ウクライナと何も知らないロシア兵のために by Tessey Ueno


2011年に福島の事を想い作った「レクイエム」という曲(MAG RECORD-002)を、今回「ウクライナと何も知らないロシア兵」のためにリミックスし再構成しました。
とにかくこの戦争は誰が得をするわけでもない、誰も幸せにならない、世界中の誰も良い思いをしない。「プライド」と「誇り」という実態のないものが得をするだけで、焦土と悲しみだけが残っていく。
僅かな確率の中やっと得られた人の命は、誰もが平穏と幸せを得られる権利がある。
やがてやって来るであろう地球の大惨事の為に、人と人は理解し合い協力し合い、、無駄な争いでエネルギーを消費すべきではない。
人間はもう少し進歩し、進化したと思っていたのだが・・・。
動画はStoryblocksから、画像はShutterstockから購入したものです。限りある素材と予算の中での編集作業なので、充分に表現が伝わるかが心配です。
リュート、プサルテリー、タール、ザルブ、ヴィオラ・ダ・ガンバ、リコーダー、その他、作曲:上野哲生
歌:上野律子

2月26日

結局、邪悪なゴーレムから身を守るには仲間が必要だが、ウクライナ君には助けに来る仲間がいない。
勇者がいなければゴーレムを倒せないが、勇者とは結局地球を破壊してしまうほどの強大な武器を持つものだったりする。
元々世界警察を名乗っていた勇者は今は最新鋭の武器を与えはするものの、直接助けには行かない。
結局、脅威には脅威で対抗するしかないのか?そんな図式に何も出来ない自分等に嫌気が差したりする。
自分がスーパーマンのようなヒーローになって、ゴーレムを一掃してしまえばそれで解決か?
この手の喧嘩は絶対に仕掛ける方が悪いのだが、どうもこの戦争は一筋縄ではいかない気がする。
勇者からもらった武器でゴーレムも結構やられているらしいが、もしウクライナ君が勝とうものなら手を汚さない勇者が儲るように出来ている。
何がどうなっても全てがすっきりしない。自分等の身に迫ったとしたら、どういう行動をすれば正解なのだろう?
とにかく、威信や金儲けが人命より大事なんて事はあってはならない。民を守るために国というシステムを作ったのでは無いのか?

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国、って厄介ですね。
国ってヤクザの組織の様なもので、威信という舐められたらあかんという体裁がある。間違った判断で妥協すれば政権も命も失いかねない。
道を曲げないという意味ではウクライナもロシアも同じで、落しどころをさっさと見つければ良いのに頑として曲げない。要するに政府の意地で一般市民や兵隊の命が危険にさらされているようなもんだと思います。
これが台湾と中国の関係にも同じ様な事が起ってもどこを落しどころにするのか、人ごととはとても思えません。
 
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3月6日
確かロード・オブ・ザ・リングで、ある国が圧倒的な敵の武力に屈しようとしていたとき、「戦うべきだ、誇りにかけて」的な決意で結局戦い、結果的には勝利したという曖昧な記憶がある。
僕はそれを観たとき、結局追詰められたら戦うのか、誇りを捨てて奴隷になるのか、相手が圧倒的な暴力で来るときは戦争も免れないのではと、ただそうやっていては戦争はなくならないのだろうと思った。
今回はNATOに入りたがったウクライナの主張に端を発している。ロシアからしてみればNATOの包囲網が脅威だった事は確かだろう。
もちろん独立した国の主権を奪うのはとんでもない事だ。これは身近な台湾と中国の関係と似ている(僕等の子どもの頃は中華民国の名が地図に載っていたのを覚えている)。でも結局力には力で対抗するしか無いのか?
国家というのはヤクザのノリと同じで、舐められたらあかんと言う事で威信にかけて絶対に主張を曲げない。
それはロシアだけで無くウクライナも同じだ。お互いの歩み寄りや落しどころを徹底的に整理すれば良いのに威信が許さない。高いみかじめ料(税金)を払っているのに、それによって何よりも護られるべき人命が失われるのはおかしな話しだ。
結局、ロシアの核の脅しまで出て来て、安倍晋三が「核共有を議論すべき」まで言出す始末(議論する事は構わないけれど安倍さんが言うと結論ありきでしょう)。ウクライナも最後まで戦うと言う事が本当に自国のため、世界の安定のためになるのか、考えて欲しい。
僕等はウクライナに支援しても、結局武器を買うお金になるのではと思ってしまうのだが・・・。

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スクリーンショット 2022-03-12 5.01.12

3月11日

毎年毎年毎年毎年、この時期が来ると8月6日9日の事よりも更に深いため息が出る。
福島の廃炉の事だ。
別に3月11日近辺のみだけでなくその事を考えている時があるが、廃炉の報道によって重くのしかかる。未だに原子力の廃棄物の処分場すら決っておらず、未だに処理水の問題を住民が納得しているわけでもなく、未だに廃炉の方法も方向性も決っていない。
11年間、時が止ったように何も新たな策が出てくるわけではない。ただただ壊したものを修復する面倒な作業が何世代も先まで残されている。地道にコツコツ進めていく作業では解決しない。人類は未来に向ってもっと新しい可能性を求めて羽ばたいて行こうとしていても、この修復作業が残されているため何年も晴れた気分になれない。
こんなリスキーで面倒な原発を再稼働し、更に原発を増設しなくてはカーボンニュートラルの時代に対応できないなんて言う政治家が日本の中枢に陣取っている。
また「日本の安全を守れない」と核シェアリングを推奨する政治家も中枢に多い。
毎年毎年毎年毎年、うんざりするほど廃炉までの道のりの長さを伝えられ、それでも原子力に頼ろうとする感覚が理解できない。僕も随分日本を守ろうとする政治家のグループの主張を覗いたり少しでも歩み寄れるところがあるのか探ってもみたが、そこに群がる理解者たちが自分たちと違う意見の者に対するヘイトの嵐に唖然とするばかりだ。
原子力を完全にコントロール出来ると言う事は、少なくとも下水を完備していないトイレのような状態で言える事ではない。廃棄物を魔法でお米に変えたり、廃炉が20年くらいで更地になって人が住める状態になって健康被害も起きない。そんなレベルで初めてコントロールできたと言えるんだろう。「福島の原発は完全にコントロール出来ている」なんて言ってオリンピック候補地を勝取った人も居たなあ。
兎にも角にも原子力が日本を守るものなのか、日本を焦土にするものなのか、僕の中では答えは明白だ。
「そんな綺麗事を言っている場合ではない」と言われても、いままで汚しに汚して来たわけだから綺麗事にしたい。宿題は夏休みのうちに終らせた方が良い。
防御ばかり固めても相手に脅威を与えてるだけだ。今を生延びるためにも多少苦しくても、自然な人間の状態に成長したい。

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原発の危険性は出来た頃から充分に言われていたし、解っていた事なのに、文明の進化と共に安全に導いてくれるのではと確かに他人事で済ましてしまった僕等全員の責任でもあります。
脱炭素にしても80年代からずっと言われ続けていたのに、今になっていきなり規制が激しくなり、航空機はあまり言われないのに、ガソリン車どころか暖炉で薪を燃やす事も牛を飼う事も憚るようになってきている。エネルギーも燃やせば殆どが有害なゴミを出すものだし、もっと早くから人間の生き方の指針を示していくべきだったと思います。
人間の生活の中で物理的にここまでは使って良いけれどこれ以上はダメとか、後に後に色々駄目出しがあるから社会も混乱を来すわけだと思います。
まあその場限りの展望で、専門家がいくら注意しても10m以上の津波は来ないとか高をくくって、安全性を出来るだけ安い方に安い方に仕向けた結果が福島の事故なのだから。政府や東電の所為じゃあないにしても、人間の後回しにする方向性は同じだったのかも知れませんね。

 
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3月20日

数日前の夜中、今まで計画停電すら対象外だった我が家が、久々に停電した。
とっさにテレビをつけたが反応がない。リモコンの所為だ。電池を替えなきゃと思った。こんな時だから何時風呂に入れなくなるかも知れないと思った。だが風呂のスイッチを入れても入らない。電気が無ければお湯も出なくなるのだが。いずれも停電してるんだから電気が通らないと復活できないことをイメージしながらも訳のわからない行動と考えが巡る。落着いていてもパニックになっている。
その時はこのまな永遠に解放されないのではと思うのだが、実際には2時間の出来事だった。
あのような規模の地震があると、ほんの僅かな時間だがこの世の終りを意識してしまう。何とも不甲斐ないような話しだが、きっと今の生を受ける前の、ひょっとしたら恐竜の時代の隕石が落ちてくる記憶なのか、もしくはどこかの星で経験した肥大化した太陽が惑星を呑込む地獄図の恐怖なのか、心の奥底に潜む何かを引っ張り出されるような気がする。
これが冒険者であれば一瞬先がどうなるか解らない状況を楽しめるのかも知れないが、ドラマの世界じゃあないんで、命がなくなってしまえばそれを楽しむ事も出来ない。
そんな一歩先が真っ暗な闇の世界をウクライナは味わっている。これは自然災害では無く、人間と人間が意志で防ぐことの可能な生き死の喧嘩をしている。やめようという意志があればやめれるのに、やめない。
やめない限り再び襲ってくることが確実だから自然災害よりタチが悪い。
2時間の停電で狼狽える我々の生活とは違った、そこは地獄そのものだと思う。
悪魔のプーチンは論外だが、ゼレンスキーも人命より誇りの方が大事なようだ。そんなに命をかけてまで国というものは護らなければならないのか?
僕はたまたま日本に生れた。日本は素晴しい国だが、これが中国であってもハンガリーであっても、アフリカの一種族であっても、もし自分のやりたい事が阻害されたり、迫害されたりしないのであればそれはそれで良いと思う。
住めば都。生れ育ったナショナリズムはあるかも知れないが、同じ地球人としてそれは何処でも同じだと思う。
つくづく思うのは、国という存在は「王道」ではなくシマを護るヤクザのような存在の集りでしかない。護られるべき民は威信と国益の前には簡単に犠牲になる。ヤクザというものの特技は死ぬ事が出来る。そんな中に一般の民がつき合わされて何になる?
武器や核にお金を使わなくて済むなら、どれだけ飢えた人たちを救えるのだろうか?
結局どこかが貧乏で居られるからどこかが富むという図式を世界が強引に肯定するなら、それはそれで戦わなければならない事だとおもってしまうのだが。 

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考えても考えても、道理しか出てこないです。直面しないとまだまだ想像の世界のままです。
そのうち日本も似たような状態になるのかも知れません。そうなったとき、自分はどうする事を支持し、どんな行動をとるのか、恐らく今の建前と矛盾だらけになります。
音楽でも詩でも絵画でもあらゆる表現方法を駆使して、違う人間同士でもいかに一人一人が尊いものかと理解しあえる事を信じるしかないような気がします。

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