たまに「古典芸能への招待」(日曜NHK午後9時から)を観ると、日本の文化の凄さに大きなカルチャーショックを受けることがある。
一昨日放送していたのが狂言師の人間国宝2人の舞台だが、この映像は僕のほぼ50年前に狂言に取憑かれた自分を思い出させてくれた。僕は20歳の時に世阿弥の奥義に感銘を受け何度か能を観に行った。実際に能は素晴しいものだったが、それ以上に狂言師の所作や立回りがとても気に入った。本来の笑いの起る様な狂言ではなかった。昔はどうだったか解らないが、現代の狂言師は動きの面白さより緩やかで超自然的で、能楽師の演じ方より何歩か先を進んでいるのではとその時は思った。
僕はとても狂言に憧れ、音大時代に狂言オペラまで作って上演した(ふじたあさや氏の原作)。ろくに知りもしない狂言の言回しやスタイルを模して、今思えば身の程知らずもいいとこの上演だった。評判は悪くなかったものの、一時僕は狂言から手を引いた。
当時立っているだけで自然の中の木立、あるいは流れる川の石、自然界の動物、演ずる全てが何よりもおおよそ人間ではない何かなのだ。それは目を見ただけで人間ではない何かになりきっている。まさに「風姿花伝」の極意がそこにある。
この日の演目は「釣狐」。91歳になる野村万作氏の演じる狐は、狐の面も取払い、目つきとゆっくり動く中に突然の機敏な所作、動きに一切の躊躇もなく何かに突然向っていく、そしてこの世の声とは思えぬような雄叫び、どう見ても今いるこの世界は狐から観た世界観で、釣人役の息子=野村萬斎が奇異な程に人間なのだ。もちろん人間の役だから人間なのは当り前なのだが、それが違和感を感じるほど、辺りが狐の世界の空気に変っている。
自分に投影してみると、あと20年であの10分の1でもなにかそう言ったもの凄い空気感を醸し出せる存在になってみたい。もちろん動きではない音だけの話しだが。
まあそれだけ西洋のキチンと割切った文化より、日本文化の方が自由で何でもアリなような気がする。特に能狂言の世界は。
この番組はNHKプラスで(登録は要るが無料で)7月3日まで観る事が出来ます。
写真は映像からはハードコピーは撮れないので、ディスプレイをカメラで撮りました。