一昨日は札幌で古き良き友人たちとの再会があった。うち3人は僕とは実に53年ぶりの再会だ。
僕の視点に立つと室蘭栄高校1年の時の合唱部のメンバーが中心で、音楽に対する姿勢に僕が深く影響を受けた輩たちだ。
一年先輩の平井さん(一応先輩なんで「さん」で)も誕生日が僕と20日位しか違わない早生れで、全員69歳の爺さんである。以後、全ては僕の視点で語らせてもらう。
一番手前の海保君は当時一番仲が良く、サイモンとガーファンクル、ウォーカーブラザース、一連の日本のフォークなどの歌をよくハモって歌っていた。まあ音楽が好きで何かというと彼とギターを抱えて何でも歌った。ただなぜかビートルズを好きになれず、「なんでこんな音楽を好きなんだ!」と全く遠慮の無い性格だった(今は大好き!)。彼とは大学1年の時会う約束をしてドタキャンしてしまい、それ以来53年間行方知れず、今回やっと逢えた。
海保君の横から顔を出している平井さんは当時シンガーソングライターで、僕より早くNHKの「あなたのメロディ」に出ている、クラス対抗の合唱祭にも自作の曲をガンガンぶつけてくるほどの主張の強い作曲家だった。平井さんとは10年ほど前に同じ合唱団の先輩が子ども劇場の事務局で僕のことを教えてくれて、室蘭公演で逢うことが出来た。ロバの音楽座が室蘭方面に行くたびに何度か逢ったりしていた。
一番右の板東君はクラスは違ったが、ポピュラーの名曲を混声合唱アレンジして合唱祭に出したり、当時の僕はその4声部の譜面を見てただただ「すげぇ」と憧れていた。なんでも親が音楽家で僕は勝手に将来的にも音楽の道を約束されているような存在だと思っていた。実際には平井さんも板東君も音楽の仕事には就かなかった。
僕の隣の当時から「左門」君と呼ばれていた松本君は合唱部ではない。ただ当時より現在の方が親交が深いかも知れない。アイヌの神謡集を書き19歳の若さでなくなった知里幸恵記念館の理事長をやっている。繋がりはFaceBookなので、実際に彼と逢うのも53年ぶりだ。先日無くなったおおたか静流さんとも親交があり、共に悲しんだ。知里幸恵記念館の事はまたゆっくり書きたい。「左門」は巨人の星から来ている。
この53年ぶりの再会は何一つ「変んねーな」で、会話はどんなに歳を取っても昔の若い頃のままの口調になる。僕は実際には一年間しか在学していないので、出てくる名前の半分は知らない。何人かは死んでしまったり、どうしているか解らない人もいる。このメンバーともまた逢えるのだろうか?
僕の視点に立つと室蘭栄高校1年の時の合唱部のメンバーが中心で、音楽に対する姿勢に僕が深く影響を受けた輩たちだ。
一年先輩の平井さん(一応先輩なんで「さん」で)も誕生日が僕と20日位しか違わない早生れで、全員69歳の爺さんである。以後、全ては僕の視点で語らせてもらう。
一番手前の海保君は当時一番仲が良く、サイモンとガーファンクル、ウォーカーブラザース、一連の日本のフォークなどの歌をよくハモって歌っていた。まあ音楽が好きで何かというと彼とギターを抱えて何でも歌った。ただなぜかビートルズを好きになれず、「なんでこんな音楽を好きなんだ!」と全く遠慮の無い性格だった(今は大好き!)。彼とは大学1年の時会う約束をしてドタキャンしてしまい、それ以来53年間行方知れず、今回やっと逢えた。
海保君と歌うサイモンとガーファンクル
海保君の横から顔を出している平井さんは当時シンガーソングライターで、僕より早くNHKの「あなたのメロディ」に出ている、クラス対抗の合唱祭にも自作の曲をガンガンぶつけてくるほどの主張の強い作曲家だった。平井さんとは10年ほど前に同じ合唱団の先輩が子ども劇場の事務局で僕のことを教えてくれて、室蘭公演で逢うことが出来た。ロバの音楽座が室蘭方面に行くたびに何度か逢ったりしていた。
一番右の板東君はクラスは違ったが、ポピュラーの名曲を混声合唱アレンジして合唱祭に出したり、当時の僕はその4声部の譜面を見てただただ「すげぇ」と憧れていた。なんでも親が音楽家で僕は勝手に将来的にも音楽の道を約束されているような存在だと思っていた。実際には平井さんも板東君も音楽の仕事には就かなかった。
僕の隣の当時から「左門」君と呼ばれていた松本君は合唱部ではない。ただ当時より現在の方が親交が深いかも知れない。アイヌの神謡集を書き19歳の若さでなくなった知里幸恵記念館の理事長をやっている。繋がりはFaceBookなので、実際に彼と逢うのも53年ぶりだ。先日無くなったおおたか静流さんとも親交があり、共に悲しんだ。知里幸恵記念館の事はまたゆっくり書きたい。「左門」は巨人の星から来ている。
この53年ぶりの再会は何一つ「変んねーな」で、会話はどんなに歳を取っても昔の若い頃のままの口調になる。僕は実際には一年間しか在学していないので、出てくる名前の半分は知らない。何人かは死んでしまったり、どうしているか解らない人もいる。このメンバーともまた逢えるのだろうか?
室蘭には家からすぐそばに太平洋と大岩が目の前に拡がる当時は誰も居ない自分だけの浜辺=イタンキ浜があり、その場所で自分を見つめ直し、まだ未熟な演奏技術しかない、平井さんや板東君のような先を行く音楽家に追いついてない僕はどうやって音楽で生きて行くのか真剣に考え声を発した(逆に言えば、音楽以外の事でとても生きていけるような自分ではないと思っていた)。
結局は自分にしか出来ない、人の出来ない事を求めていけば良いのだと決めたのがこの浜辺だ。簡単な事のようで、こんな環境がなければたどり着けなかったかもしれない。
あの高校で過した一年間はただの懐かしい記憶とは言えない、かけがえのない貴重な日々だった・・・・ああ、これは征三さんの「絵の中・・・」の台詞のコピペだ。でもまさしくこの言葉がしっくりくる。
(合唱部の写真も載せたかったけどどうしても見つからなかった。誰か持っていたら下さい。)



