Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

2022/12

今回、ワールドカップ予選リーグで日本が唯一負けたコスタリカ共和国は軍隊を持たない。日本は憲法で軍隊を持たないと言いながら自衛隊はある。コスタリカは自衛軍すらない。
軍事予算がないから軍隊を持たないのではない。過去の内戦の経験から軍隊を排除し、そして軍を持たなくてすむよう、周辺国との平和外交の努力を惜しまない。ニカラグア、エルサルバドル、グアテマラの内戦を対話によって終わらせるのに大きな役割を果たし(ノーベル平和賞を受賞)、周りの国への平和外交の働きかけで平和の国として認めさせている。当然米国や他国に護られてもいない。
軍事予算は教育費に回している。コスタリカの教育水準は国家予算のかなり多くを占める。
ウィッキに拠れば、かつては農業に大きく依存していたが、現在は金融、外資系企業向けサービス、製薬、エコツーリズムなど多角的な経済活動を行っている。コスタリカの自由貿易地域(FTZ)には、多くの外資系製造業やサービス業が進出しており、投資や税制上の優遇措置の恩恵を受けている。
なお平和への徹底は、警察は銃を持たない。そこまで徹底的に平和への土台を作っている。長年にわたり安定した民主主義政治を維持している国の一つだ。
また「世界一幸福の国」とまで言われている。
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またジェラシックパークや宝島の舞台ともなったコスタリカは世界有数の「環境保護先進国」として名高い。「王冠のジュエル」と呼ばれるくらいに、美しい自然が手つかずのまま残されている。島固有の動植物も多数生息している。
今日本は米国に護られているためかなり周辺国と緊張状態にある。軍事費を倍にすればますます緊張は高まりもめ事の渦の中に巻込まれている。経済的に豊かな状態であればまだしも、節電でこの冬をどう過すか考えている最中である。
今日本が学ぶべきはあらゆる面でコスタリカだと思う。こうなっては遅いのかも知れないが、サッカーで日本がその試合以外の事を含め中国にすら認められたように、今からの行動一つで世界の平和国家の代表になることだって可能なことだ。それは経済からも、平和の面からも、環境からも、全ての面で一番の理想を掲げ、それに向っていくしか未来はない。
 
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今川義元と織田信長、バルチック艦隊と日本海軍、フォアマンとアリ、巨大な魚とスイミー。圧倒的な力の差のある相手にコツコツと戦略を積上げ、最後に逆転劇で一気に勝利に導く様なドラマはいつの時代も心が躍る。
常にボールを奪いに行く。無駄に疲れるような動きを繰返すうちに何時か突破口が開ける。どんな敵にも欠点がある。そのほころびを見つけてすかさず一気に切込む。
こう言った勝利は特に力の弱いものにとっての希望で有り、どんなに勇気づけられたことだろうか。ただ決して運ではない。日頃のトレーニングと戦略のイメージで追い求め、どんな状況にも屈しなかった成果で、個の力の差はあっても、チームとしての実力は日本の方が高かったのに違いない。
これに乗じて弱い日本経済も政治任せにしていないで、智恵を使いコツコツと景気戦略を積上げ、明るく豊かな希望の持てる生活を勝ち取れるようになって欲しい。それはまさにファーストペンギンであり、スイミーであり、最初からあきらめては何も起らない。

サッカー

今回日本が決勝トーナメントに進出したことはとても嬉しく思ったが、僕にとってはとにかく自分が日本人だから良かったとは思っていない。日本人だから日本を応援しなければならない理由はない。今の日本チームが良かったから応援をして、ある程度結果を出せて心からこそ喜んでいる。
実は中田や本田が中心に居た頃の日本サッカーはあまり好きではなかった。彼らを個人的な好みで言っているのではなく、他の選手が打てる時でもどうしても「俺に回せ」的な強い個人に渡してしまう。まるで忖度に見えた。その強い選手が敵にマークされたら勝機は来ない。
サッカーはあくまでチームプレーの競技だ。野球ならピッチャーの投げた球をホームラン打たれたら、どんなにチームプレーをやっても得点を阻止できない。打つ方は走者がいなければ全く個人の世界で、守備はボールを持った者以外殆どプレーには参加できない。サッカーはボールを持たない者まで空間を作ったりポジションを変えたりプレッシャーをかけたり、切込みにはアイディアを駆使し、裏をかいたりフェイントをかけたり、セオリーのない即興演奏の様だ。それが今回の日本チームは見事であり、個性を持ちながらも選手のバランスが良い。
勝ち負けなんてスペイン戦のあの1mmの判定が象徴するように、ほんの僅かの差でしかない。そのほんの僅かの隙を作るゲームだ。コツコツコツコツと積上げて勝ちを取りに行く。そんな詰碁のような緻密さと、麻雀のような運との両面を持った競技だと思う。それに見合った勝ち方をしている日本だからこそ応援しできた。今までの日本チームは、
やっぱり勝つために絶えずプレッシャーを変え、切込むアイディアを絶やさないチームに対しては応援をしたくなる。
今回特に思ったのは良いチームとは球を持つ選手の役割ではなく、それ以外の選手はどこの隙間に入り込むか、その動きが相手の隙間を作るか、それが阿吽の呼吸で出来るチームだ。演劇で言えば台詞のない役者の立ち位置だ。そこで何をしているかで球を持つ選手、台詞を言う役者が活かされる。音楽のアンサンブル、特にソロプレイヤーとバックを担うプレイヤーの関係も言わずもがなである。
良いサッカーのアンサンブルはそれを見ているだけで芸術的とも言える。今回の日本のサッカーはそれが何度も見れた。それが価値があることで、それが出来る日本チームで誇らしく思った。
今回は前回と同じベスト16だったが、内容は同じベスト16ではない。個人技のPK戦は負けても仕方がない。個人技では元々叶わないチームと対戦して勝ちを得て来た日本なのだ。こればっかしはそこまで運が無かったと思わざるを得ない。ドイツだってあの日本対スペイン戦の1mmのために決勝リーグに行けなかった。サッカーもフェンシング並みの精密な判定が必要とされ、もはや人間のジャッジでは判定が出来ない。もうこれは神のみぞ知る判定なのだろう。

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