Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

2024/01

「光の君」関連の第二弾です。
有名な安倍晴明が登場して操作系の魔術の様な事をやっていましたが、まあ、魔物をやっつけたり、式神を出したり、ノストラダムスの様な予言をやってのける、現代でもスーパーヒーローですから、なんだって出来ちゃいそうな人ですね。
実際の記録に残る彼の役人としての仕事は天体観測です。それに基づき暦を作り、星の運行から来る吉兆の予言、大安や仏滅など現代にも通じる占いの元を作り出しています。
安倍晴明が雅楽と関係していたという話は良く聞きます。具体的にどう関係しているかはよく解らず、色々ググってみましたが、大河ドラマ「光る君へ」の安倍晴明の陰陽道指導をしている高橋圭也さんという現代の陰陽道家の方の文が解りやすいです。

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【陰陽師の教科書であった「漢書律暦志」には「音楽は人間の邪心を祓いのけて、天の正しい働きをもたらす」とし、「陰陽五行説の十干十二支と音律との間には非常に密接な関係がある」とある。また古代中国・秦の宰相・呂不韋の「呂氏春秋」に「音楽は天地自然のハーモニーで、陰陽の気を調える」とある。】
と高橋さんはXに書いています。「漢書律暦志」には音楽の5度圏、12律と陰陽思想の関係も書かれていると思います。(解説本は1万円以上するので手は出ません。難しそうだし)
ここで気になったのは「音楽は天地自然のハーモニーで、陰陽の気を調える」って、これはどこかで聞いた文句です。清明の仕事の天体観測からハーモニー。
これはまさしくピタゴラスではないですか?
三平方の定理で有名なピタゴラスは全ては数が支配していると言い、宇宙の全てのものは数と音楽の法則に則って出来ており、これらは数学的な比率や音の振動によって表現されます。
振動数が3:2で出来る完全五度と4:3で出来る完全4度を7回積重ねたものが、西洋音楽の7音階となります。5回重ねればペンタトニックですが。
占星術はメソポタミア文明の古代バビロニアから発達していったと言うくらいに古くからあり、その文明文化は古代ペルシャにも繋がっています。
ピタゴラスは行方知れずの何年間かがあり、その間ペルシャに行って占星術、数学、音楽、その他多くの文明文化を学んだという説があります。元々善悪二元論も陰陽説の元になったという考え方もあります。楽器も色々生まれていたことでしょう。
ピタゴラスが日本に、なんて事は言いませんが、古代ペルシャの占星術、二元論、音楽論、その他の多くの発祥元はペルシャに有ったのではないでしょうか?
決定的にそう思う事があります。それは五芒星(ペンタグラム)です。
ご存じのように安倍晴明の家紋にもなっている五芒星は自然発生的に発見できるものとは思えません。これがピタゴラス教団のシンボルでもあるのです。

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バビロニアでは木星、水星、火星、土星、金星を表し、陰陽五行説では、木・火・土・金・水の5つの元素の働きを表していると言われます。

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ここからは空想の世界ですが、もともとバビロニア辺りで生まれた文化はペルシャが生まれる前か後かは解りませんが、何年もかかって古代中国にもたらされた可能性が高いと思います。また老荘の時代も相当古いですから、ピタゴラスのようにそこで学んで来た人が何人かいてもおかしくはないでしょう。
また呂不韋や始皇帝はソクド人(イラン系=サマルカンドを拠点とした)という説もあります。TVで始皇帝の作った兵馬俑を見たとき、どう見ても胡人(中央アジアから来た人たち)だと思いました。中国に元から根付いていた道教(老荘思想)と結びついて、陰陽思想が生まれたとも考えられます。
細かな証拠は挙げられませんが、日本は中国や朝鮮から来た文化のみで出来ている説が強いですが、実に多ジャンルに渡って世界と結びついていたんだという感覚が強くあります。

「光の君」が今年の大河ドラマで、恐らく紫式部と藤原道長を描くのだろうと想像する。自分の娘彰子を一条帝の妃にし帝の子を成したい道長の策で、当時すでに人気のあった「源氏物語」を書いている紫式部を呼び、彰子の教育係とした。

はじめ帝は年端もいかぬ彰子に対してさほど興味を示さず、一向に彰子の所に通う気配はなかったが、彰子の所には紫式部が居て「源氏物語」の執筆をしているわけで、それが気になり彰子の元へ顔を出す。

帝は初稿を誰よりも早く読める彰子の元に通うようになる。(これが道長の策なのか?)毎日少しずつ執筆をし途中で終っている。結局帝は続きを読みたくて毎日のように彰子の所に通うようになり、やがてめでたくお子が出来た。

 

「源氏物語」は夜伽噺である。光源氏は夜伽を催促するくらい女の添寝がないと眠れない体質を持つ。

書物としての「源氏物語」は帝に対する夜伽を彰子の変りに代筆した様なものだ。彰子から直接ではないにしてもお話しの面白いところで朝ドラのように「つづく」となる。お陰で帝は明日もこざるを得ない。

 

これで連想したのは「千夜一夜物語」のシェヘラザードだ。妻の浮気からの怒りで毎晩処女と結婚しては処刑するという王様から、愚行をやめさせるためにシェヘラザードが名乗を上げる。

シェヘラザードは王に面白い話しをさんざん聴かせて、夜が明けると突然話をやめてしまう。まさに「つづく」で終るのである。結局王はシェヘラザードを殺すどころか正妻として向える事となった。

 

「千夜一夜物語」はサーサーン朝ペルシャ(3世紀〜7世紀頃、現イラン)の話しで、道長はこの話しを知っていたのではないかと僕は考える。それは途方もない話しでも、お伽噺でもない。

 

何度かブログで話題にしたことがあるが、7世紀、イスラムの台頭でサーサーン朝ペルシャは滅ぼされ中国の長安に多くのペルシャ人が逃げてきた。長安の町は多くのペルシャ人でごった返したという話しもある。日本にもその流れがある。鑑真が連れてきた弟子の中にもペルシャ人の名前があるし、帰国する遣唐使の船に乗って何人も来ているし、今ここで詳しくは説明する場ではないので、調べたい人は調べて欲しい。

(↓話題は楽器の事だが個人ブログにその事に触れている)

http://blog.livedoor.jp/tessey49/archives/2018-11.html

 

シェヘラザードの様に殺されるかどうかの事態ではないにしても、子を成すかどうかは道長にとっても生きるか死ぬかくらいの大問題だ。文学を愛した道長の所には紫式部や和泉式部をはじめ日本文学の最高峰を自分の手の内に持ち、史記からインド・ペルシャまで混じった唐=世界の情報を集め、おそらく世界に恥じぬほどの文化水準を握りしめていたのだと思う。僕は当然のように道長は「千夜一夜物語」の概要を知っていたと思う。
 

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この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば

この傲慢とも取れる歌は単に娘たち3人を全て帝に嫁がせて満足じゃあと歌っているのではないと思う。その文化文学世界の情報それらを全て手にした、世の誰にも解らない自分の「知の宝物」に満足した歌ではないのか?

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