話は60年前に遡る。日曜日の夕方6時から「てなもんや三度笠」という人気番組があった。藤田まことの「あたり前田のクラッカー」で有名だが、地図好きの小学校3年生くらいの僕はこの「東海道五三次」にとても興味があった。ちょうど一年が52〜53週あるので、番組としては一年で完結するようになっている。一話に一宿場、確かその土地土地の名産品が現れ、その地の特徴をちゃんと話題に盛りこんでいた。
ちょうどそれを観ていたとき、親父が広重の五十三次の何枚かの絵のプリントを僕にくれた。新聞のオマケかなんかだったと思う。それと重ねて持っていた宿場の絵の箇所になると、番組のドタバタとは別なところでワクワクしてその回を迎えて観ていた。
特によく覚えているのは庄野の雨の絵、由比ヶ浜、興津、亀山の雪、これが版画で作られているなんて随分後になって知ったのだが、とにかく浮世絵は心が落ち着く美しいものだとと思わされた。
この広重の五十三次が司馬江漢の絵を元にしたと言う説があると言う話を、贋作師を主人公とした漫画で読んだ事があった。
司馬江漢と言えばみなもとたろうの「風雲児たち」に登場する、源内の弟子だが性格が悪く暗い、ペテン師、偏屈オヤジと言う印象しかなかったが、絵を見るとなるほどただものではない。源内の流れを汲む遠近法を使った西洋画だが、その風情、味わい、逆に西洋画にはない独特のものだと思う。やはり源内譲りの本草学をベースにしているので動植物の描き方が本物に忠実だ。これはのちの牧野富太郎博士に通じるものなんだろう。
因みに江漢はあの頃に既に地動説を唱え、日本で最初にエッチングを始め、前回取り上げたマルチクリエーターの一人だと思う。
この広重の元絵が司馬江漢と言う説を唱えたのは次の本が最初らしい。
時列で言えば司馬江漢は広重より半世紀前の人であり、司馬江漢が東海道五十三次を書いてから30年くらい経って広重が東海道五十三次を描いている。しかも広重は江戸から出た事がないと言う話は有名だ。明治になってから司馬江漢を名乗って広重が真似たと仕組んだと言う説もあるが、だったら広重の贋作を作った方が割りに合う。こんな似た様で違う精密な絵をわざわざ仕込むようなフェイク画を作っても、この時代に多量の再生数で稼げる訳でもない。
ただ、絵としての風合い、配色、面白さ、これは優劣がつけ難い。つまり僕流に言わせて貰えば、洋楽器と和楽器の違いだと思う。確かに構図は江漢を真似たものかも知れないが、当時は構図を真似ることはそこまで問題にされなかったと思う。写真のない時代、広重としては観たことのない情景を頼る事が自然であったろうし、空想で情景を描くわけにはいかなかったと思う。
音楽で言えば、ビゼーは歌劇「カルメン」を作る際にスペインには足を踏み入れたことはなく、図書館や友人の情報でスペイン音楽を調べ、あの超大作オペラを作った。有名なハバネラは完全にスペインの作曲家の盗作騒ぎになり、ビゼーのスコアの中に「Imitated from a Spanish Song」という注釈が付いている。
ビゼーの場合は歌手が原曲を歌いたがらなかったという事情があったのだが、それはさておき、音楽の模倣や盗作という概念も難しい。
確かにメロディは音楽の中心のアウトラインだ。ある人が作曲したメロディを真似するのは著作権の問題だけでなく許されないが、そのメロディの出どころさえハッキリすればカバーやアレンジしたことで料理の仕方に個性があれば問題はないし売れもする。まあ、著作権料は作曲者にしか行かないが。
しかし絵の場合は模写となり、価値は本物と比べようがないが、本物と見間違える程のものほど称賛される。似てないものは下手と言われる。それは音楽では似ていればいるほど、モノマネという事になる。
同じモチーフを使って違う描き方をするなんて事があったって良いではないか。ビートルズの歌をカーペンターズが歌えば、よりその素材の料理の仕方が妙となる。
比べてみれば江漢の五十三次ぎは新鮮ではあるが、60年前の僕が観て、そこまで気に入ったかどうかはわからない。江漢の方がある意味写真の様に正確さがあるが、広重の方はデフォルメがあり、可笑しみがあり、人間味がある。
良い素材は、真似たとか、盗作したとか言う次元ではなく、良くなるんであればどんどんバージョンアップしていけば良いと思う。この時邪魔になるのは著作権なのだが、それに関して自分も協会に入っている身なので何も言えない。