Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

2025/07

大成功のうちに終った「ロバの音楽座44周年=ロバ祭という音楽会」はあの阿佐ヶ谷ザムザで、フーちゃん、チリンとドロン、そして本当にロバの好きな人たちが集り、素晴しい祝祭になったと思います。
その6月7・8日の前日に同じ会場で、もう一つのドラマがありました。同じ会場で、橋本フサヨさんことロバ君のぜんぷくトリオとご一緒した「ああわれわれは猫である」公演です。トリオと言ってもフサヨさんと鈴木秀城さんの2人マイム芝居。それにロバ5名が音楽として加わり、マイムの面白さを200%出した、めちゃくちゃ面白い1時間20分(くらいかな?)の出来事でした。

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この時の監修というか、演出的なアドバイザーが鄭 義信(チョン・ウィシン)さんでした。鄭さんは黒テント出身の劇作家、脚本家、演出家で、演劇界では唐十郎が牽引してきたアングラ演劇を継承し、それを発展させていく役割を担ってきました。また自作の戯曲で「焼肉ドラゴン」などの映画監督も務め、日本アカデミー賞も受賞しています。彼のアドバイスの中でぜんぷくトリオの芝居も音楽を含めてその場でどんどん作り替えられていくことになり、とんでもなく面白い作品となりました。この作品は11月の狭山公園でのフェス、「花と光のムーブメント狭山公園」で演る予定です。詳しくはまたお知らせします。鄭さんにロバも気に入られ、何かご一緒する機会があるかも知れません。
そんな流れで、鄭さん作・演出の「泣くロミオ怒るジュリエット」を観に行きました。ロミオが桐山照史、ジュリエットが柄本時生、という、そう女が一人も居ない、男しか出ないのです。舞台は大阪で笑いの要素も多いと聞いていたので、「男だけのバレエ・白鳥の湖」みたいなものをイメージしていましたが、それはまるで違うものでした。笑わせるところはしつこいくらいに笑わせますが、底辺に流れているテーマは民族、差別、分断、戦争、そんなものがより身近なものとして伝わってきます。

確かにモンタギューとキャピレットはヤクザの抗争のようで、こうしてみると戦争はなぜ起るかが見えてくる。これほどまでロミオとジュリエットの本質を剔った描き方は今まで無かったように思えます。そう考えるとそんな要素を内在させたシェークスピアは凄い、いやそれを引出した鄭さんはもっと凄いと思います。
舞台は色というものをほぼ排除し、♀を排除し、貧困と借金に追われ、暴力と怪我が絶えない日常、そんな中で僅かに灯った愛を成りたせることが如何に過酷なことか、いやむしろ悲劇しか生まない。
不器用で吃音のロミオ、田舎娘のジュリエット、義足のティボルト、片腕のロベルト、虚勢のマキューショー、バカボンに出て来そうな警官、イタリアのベローナの人々のような華やかさは一切無く、すべて生き方として不器用で、世界はこの街しかないと思っているような狭い視野の人々。そんなキャラがぶつかり合い、もめ事を起し、愛し合い、滅びる。ああ、まるで現代社会の縮図のようなこの大阪のベローナの街。そんな中でも誰もがどこかに希望を抱いている。

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3時間半(途中20分の休憩)の激しい熱演は、暫し昔観た李麗仙秘演会の「愛の乞食」を彷彿させる様だったけれど、一つ一つの所作や間合、ツッコミ、非常に洗練されていたと思います。すこしねちっこいけど、動き全てが先の予想を超えて来るのが長丁場の芝居でも飽きることはなかったです。次はどんな構図、フォーメーションで来るのだろうという、常に期待して観てしまう。特に八嶋智人さんの演技は予想を遥かに超えていって素晴しかったです。

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本人はそう思っていないだろうけど、蜷川さんでも無い、唐さんでも無い、演出って言うのはこうやるんだよって観せられたような気もしました。

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アンコールでスタンディングオペレーションがほぼ同時に一斉に起ったのですが、どうもジャニーズ系(桐山照史)の舞台の暗黙のルールとして何回目で立つというのがあるようですね。知らなかった。

僕には5人の妻がいる。5人とも正妻だ。最近6人目の正妻を迎えた。6人目はまだ迎えてから2年しか経っていない、新婚だ。
どの妻もとても可愛いくてとてもチャーミングだ。それぞれの得意な事は限られているし、全く性格が違うので、誰かの代わりは務まらない。役割分担はとても上手くできているし、互いに嫉妬する事もない。
最初の妻は西欧の血を引く、日本生まれの来たプサルテリゥーム、通称プサルテリーと呼んでいる。とても優雅で繊細だ。指でどこを弾いてもとても純粋で透明な、決して肉感的にならない人間離れした響きを発する。

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2番目の妻は生粋のトルコ生まれのサズ。正式な名前はバーラマと言う。プサルテリーとうって変わってとてもキレが良くシャープでとてもリズミカルだ。激しく情熱的にもなるし、大草原や砂漠など地平線に沈む陽が似合うようだ。

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3番目の妻は西欧、特に英仏伊で人気の高いリュート。日本生まれだが、とても気位が高く、気難しいところがあるが、プサルテリーと比べるともっと肉感的で温かみがある。ふくよかな低音と伸びのある高音が魅力的だ。

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4番目の妻はイランから来たサントゥール。2本の鉢で弦を叩くのだが、それは繊細なものからアジタート(決然とした)な音まで多様な美しさと香りと個性を醸し出す。後にピアノに変わっていく楽器なだけに、ダイナミクスとサスティーン(余韻)、繊細なトレモロが持ち味だ。

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実は最初の妻を娶る前に実は妻を一人亡くしている。英国の血を引き日本で生まれたシターンだ。40年くらい前には最もよく良く弾いた。小柄だが、サズと同様リズミカルで爽やかに響き、プサルテリーと同様その頃を共に歩み、一つのスタイルを作って来た。ただ、ドローン弦を作っていたため様々な調性に対応出来ず、次のリュートに変わって行った。時代が経つにつれて響板も凹み音はビビつくようになり、第一線から消えていった。構ってもらえなくなると途端に機嫌が悪くなり、あらゆるところが破損していった。ついに響板は割れて自ら命を絶つ結果となってしまった。
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スチール弦で高音の伸びが良かったが、その役割は5番目の妻のジュラに変わった。ザズの兄弟でとても小柄で機動性があり、様々な調性に対応出来た。
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妻たちの寿命は短いので、プサルテリーは3人目、サズに至っては5人目、サントゥールは3人目、リュートもジュラも 3人目、常に若返りをしている。
若い方が良いかと言うと、見た目は新しくて良いが、特にプサルテリーやリュートの様な響板に薄いスプルースを使ったものは(日本での産みの親は同じだが)、初々しい頃はなかなか良く響いてくれないが、なぜか5年くらい経っと本当にキラキラした豊かな音色に変貌する。当初は慣れて来ただけかと思ったが、やはり熟れた魅力を醸し出す様になって来ている。
正妻同士は仲が良く嫉妬したりしないが、同じ兄弟同士の嫉妬は激しい。新しい妻が来て、そちらを構ってばかりいると、途端に機嫌が悪くなり響かなくなる。調弦もすぐ狂うし、嫌がらせとしか思えない様な仕方のない音色を出す。
今回こんな話をするキッカケとなったのも、新しいリュートに代ってからずっと構ってあげられなかった先代のリュートが、自殺をしてしまったからだ。管理も悪かった所為もあるが、響板に直付けになっているブリッジが剥がれ、全部の弦が完全に外れてしまった。これはもう個人のレベルではどうにもならない。産みの親の所で直してもらうかなのだが、(元々楽器の値段は西欧ベースと中東ベースではかなり差があるのだが)修理費はおそらく新しいサズが買えてしまう。値段を価値とするなら正妻たちの価格はかなり不平等にできている。もちろん楽器の値段で音色が決まるわけではない。
みんな寿命は長くはない。扱いも丁寧でない事もあるが、僕の要求が時に激しい事も多く、物にもよるが15年を超えると音が良くても楽器自体が傷だらけになって来る。響板の剥がれ、割れなどが頻度を増してくる。だったら古いものを大事に直しながら使うことより、次の世代にバトンタッチしていく事も大事な事だ。冷たいと思われるだろうが、結局一人で愛でるだけの妻たちではないので、それを聴いてもらい多くの人たちとの世界観を共有させると言う大きな務めがある。それが偏らないためにそれぞれ役割の違う妻たちがいるわけだ。
最初に話した通り、最近6人目の妻、アラビアからやって来たガタイの大きなウードが加わった。
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低い音で他の妻たちにはない肉感的で、情熱的で、官能的な面もある。口笛や歌と同じ様にフレットが無いから音と音の間を自由に飛回ることができる。最近ウードをフィーチャーした映像動画を作った。ぜひその音色をじっくり聴いて頂きたい。https://youtu.be/lSQ38Z0DEnE?si=yewE5u3Y_S-onIds
この役割の妻は初めてではない。同郷の出身でラウタと言う、もう少し音の高い愛人がいた。この人とは今もたまに逢っているが、ウードに比べるとやや線が細く、それはそれで良いところはあるが、出番は減ってしまった。たまに弾くだけなのに、あまり機嫌が悪くならず、クールな関係を保っている。
他にイラン系の三味線の先祖、セタール。響板部分が皮で出来ているタール。正妻では無い愛人だが、どれも個性的で唯一無二の世界観がある。
不謹慎にもこんな美しい妻たちを侍らせて、一人だけを選べなかったかと言うと、どの妻も万能ではないからた。
例えばヴァイオリンやピアノだと一人で色んな表現が出来てしまい、ある意味万能と言える。ならヴァイオリンやピアノで良いではないかと言うだろうが、それぞれの正妻たちの個性の豊かさは比べものにはならない。
コンサート中、例えば瞑想的なプログラムしかしないとか、激しい即興のみで終わるとか、単一な色合いなら一人で充分だろう。だが、一つの世界だけでは満足出来ないのは,色んな色彩、色んな世界、色んな表現をしたいからだ。
今後、生きているうちに妻の数はまた増えるかもしれない。でも正妻達はいつも可愛がっているから、いつもいい音で鳴いてくれる。自分が自分であり続けられるのはこの妻たちが居るお陰だ。

久々に動画をアップします。ウードをフィーチャーした映像動画です。
古代人の彼らが未来をどんな世界にしたかったか、思いを馳せ作りました。伴奏は前から温めて、ウードは即興一発録りです。オリエントの彼らが日本に来たかもしれない、そんな和の要素も取入れています。

何だろう、只々もの凄いものを観てしまった気がする。
役者が演じる舞にしてはあまりに素晴らしい舞で、それを捉えるカメラワークがまた凄い。そこに被さる音楽が重く突き刺さり、その後の静けさに来る鼓や能管、和の掛け声が絶妙の間合いで入って来る。
舞台自体を映画化するにこれほどの臨場感と息づかいが伝わって来るのは、今まで経験したことがない。まさにこの映画自体が国宝と呼ぶに相応しい気がした。
玉三郎さんをモデルとしているのかなと思うところもあるけれど、そこは殆ど重要ではない。ストーリーは歌舞伎界にありがちなとても単純で、それだけ表現に集中できる。
サントゥールを岩崎和音さんが弾いていると言うので楽しみにしていたが、色んな音に紛れてサントゥールを弾く僕でさえ判りにくかった。もっと素のままの音を聴きたかったが、それも考えた上での効果なんだろう。それでもこう言った仕事に参加できるのは羨ましい限りだ。
3時間と言う長い時間があっという間に過ぎていき、うちの奥方も思わず「もう一度観たい」と言わしめてしまった。そんな映画を一度は体験して欲しい気がします。


国宝

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