2017年に録音したプサルテリーの即興演奏です。演劇の背景音楽に使用しただけで、CD等には入れていない未発表のものです。プサルテリーの最も宇宙的な響きを感じる即興です。
2026/03
時の川
この曲は歌詞と共に1979年に作ったギターで弾き語りの作品です。
当時はじめて、ペルシャ=イランの伝統音楽に触れ、イランの詩や工芸品の文化、楽器などの源流を知り、イランに強い憧れを持っていました。
サントゥールという楽器を知ったのもこの頃でした。レコードで聴いてとても興味を持ち、これはどうなっているのだろうと様々な文献を探したりしました。
8世紀、イスラムの台頭によってゾロアスター教のペルシャ人が長安の都に逃込み、その一部が鑑真と共に日本に来たと言う事実も知り、自分の頭の中で生まれる前はペルシャ人だったというような妄想を描くようにもなりました。
そこでイランに行こうと思い、ビザを取ろうと大使館に電話をしました。
僕は当時、国際情勢など知るよしも無く、イラン革命が起ったばかりで、当然行けるような状態では無いと、断られました。
行けないと思えばこそ、イランへの憧れは募るばかりでした。思えば自分の演っている楽器の多くはペルシャ生れのルーツのものが多く、また詩のスタイルもゲーテが憧れたように、西欧の詩人たちにも多大な影響を与えたようです。
ペルシャの詩も日本に足跡を残しており、太宰治も「人間失格」の中で詩人:オマル・ハイヤームの詩を引用したり、様々な文学に影響しています。
ペルシャの詩が日本に最初に入ってきたのが4行詩で、1217年に南宋で書かれ、日本の僧侶によって持ち帰ったものがあります。
4行のうち最初の2行は出典は解りませんが、後半はペルシャの初期の詩人:フェルドゥスィーの詩だと後の時代に解かりました。
「世は思い出、われらは去りゆく者、人に残るのは善き行いのみ」岡田恵美子訳(後半2行のみ)
当時、僕はこの詩の部分の特に「世は思い出、われらは去りゆく者」の、鴨長明にも近い無常観にいたく心を奪われ、自分の創作活動の多くがこのテーマに縛られていきました。
そしてこの詩のフレーズを使って作ったのがこの動画の恋の歌です。
フェルドゥスィーのパクりだと言われても仕方ないですが、それほどこの詩が僕の中に根を下ろしてしまったのです。
結局僕はイランには一度も行っていません。イランに憧れても自分の演るのはイラン音楽でも無ればイラン文化の発掘でも無い、故郷は遠きにありて思うもの、の様な想像の世界で、政治情勢に左右されないところで、イランにイメージを抱いて生きて行くのが良いと思って生きてきました。
こんなイランを政治体制がどうあれ、宣戦布告もなしに土足で踏込み、多くの人間を殺害し、空爆だけで体制を覆すことが出来るなんて、思い上がりも甚だしい。イラン人は決して屈することが無いだろうから、この戦争は長引くでしょう。知能も誇りも勇気も優れたイラン人に比べれば、文化を持たない幼稚なネタ二ヤフやトランプはミジンコ以下です。それに諂う様々な国も同様です。かと言ってこのまま戦争が終らなければ、すでに我々の中にまで被害が及んできます。
その昔、英国の圧力でイランとの石油を何処も手を出せないとき、出光興産の日章丸が原油を強行輸入した事があります。それ以来日本とイランは友好関係を築いて、東北大震災の時は今の外相が支援してくれたり、本当は日本が停戦を呼びかけ調定すれば戦争が終るのかもしれない。
まあ、今の内閣からは想像もつかない話しですが。
そのフェルドゥスィーの詩に影響を受けた「時の川」、Psaltery伴奏で背景に油絵のタッチのAI動画を作ってみました。懐かしくも思いますが、作風は随分青いですね。
軍事侵攻
人と言うものは、本来友好的に接すれば、争い事は起こるはずがない。何かの脅威に晒されたり、威圧感を与えたり、無理な搾取をしたりしなければ、喧嘩は起こらない。貧困差や差別を口にせず、生きることを共有し信頼し合えれば、安心して楽しく生きていける。
多分どこかで統率するものが生まれ、縄張りと言うものが生まれ、他の縄張りと区別され、脅威が生まれた。考え方、信じる神、優越感、誇り、どうも争いはそこから始まるらしい。
イランの大地も、イスラエルの約束の地も、元々は羊飼いが暮らす平和な土地だった。ある時から国家と言う観念が生まれ、領土化され戦いの絶えない土地となった。それは縄張り争いをする側の権力者の都合と欲望で始まった事で、99%の一般の人々には失うものばかりで、争いで勝ち取るものは何もない。
いっそ、この世から権力者が一瞬にして消えてくれれば、国家と言う観念がなくなってくれれば、未来永劫の平和な時代が来るのかもしれない。
最近は「王道」なんて言葉は使われないが、本当に民のための政治をやってくれるなら、国はあっても良いと思う。でもどこを見てもヤクザ以上の殺し屋集団にしか見えない政府しかないではないか。他所より強力な核兵器でも持たないと安心できない。
王道政治をしてくれるなら全ての国同士の緊張状態を回避し、軍備増額も税金もほぼ無くして、安定経済を持続させられるだろう。
老子が唱えた2600年前に小国寡民と言う考え方は、現代において必要と思っている。国の規模が大きくなれば競い合いが起こりやすくなり、過度な欲望が生まれてくる。小さな国が点在すれば、それぞれの顔も見え、ご近所と仲良くやって行く事を考え、自然な形で幸せだって得やすいだろう。
学校のクラスだって人数が多すぎると意見もまとまらないが、少ない人数なら理解し合える。
まあ、今国家を解体するのは難しいだろうが、どうするのが人にとって幸せなのか、ちょっと視点を変えれば答えは出やすいと思う。
とにかく、話し合いを持てない、人の命を屁とも思わない、いきなり武力に物を言わす様な輩は、付き合わない方がいい。驕れる者は久しからずや、と言うではないか。小国寡民だって他所とあまり深く付き合わない方が良いと言っている。自給率は上げないと無理な話だが。
まあ、頭にお花畑が咲いていると言われても、僕にはそんな事しか言えない。