コロナ禍の中、僕の恩師が昔の楽譜を届けに来ていただきました。作曲家で指揮者でありムラダー・プラハ企画代表の中島良史先生です。
40年前に山下洋輔さんが「題名のない音楽会」でオケと対戦するので山下さん作曲の「砂山」の編曲したのですが、その後オケスコアが何処に行ったかも解らず、そのままになっていました。
先生が「終活で家を片付けてたら、上野君の譜面が出て来たよ」と言われ、「あまりにスコアが大きいので送るの大変なんで、家が近いから届けるよ」とわざわざ車で来ていただきました。
中島先生は1984年に大阪フィルと自身の指揮で山下さんの音楽会を開いています。その演奏会でも先生も何曲も編曲されていますが、僕の編曲の「寿限無」も演っています。その時に両方のスコアを借りて行かれたと推測します。
このスコア、黛敏郎さんからも良く書けていると褒められ、リズムのない部分は「うみは〜あ〜ら〜う〜〜み」のメロディを木霊のように一人一人の奏者が別の時間軸で奏で、とても幻想的な響きで良かったのですが、テーマの変拍子の部分になると当時の某指揮者が変拍子を採れなくて、全く以て歯切れの悪いテーマになってしまいました。僕が何度オカシイと言っても「オケがついて来られない」と言うばかりで、自分のリズム感の無さを認めませんでした。コンマスも山下さんにこっそり指揮者の無能さを謝っていました。
さすがに僕はこの日は頭に来て荒れました。山下さん達のトリオと何軒もハシゴをし泥酔し、終いに新宿で「いいとも!」をやる前のタモリさんと赤塚不二夫さんにも逢いました。べろんべろんの僕をタモリさんは「根が暗いねえ」と言っていました。僕は「根クラ」を初めて言われた人なのかも知れません。明け方頃には何人かのジャズメンとタモリさん達が牌を使わずにエアーで麻雀をやっていました。何カ国かの言葉で。何をやるにもクリエイティブな人たちだと思いました。
中島先生の山下さんと大阪フィルとのセッションはもうすぐムラダー・プラハ企画でYouTubeにアップされると思いますが、なんとも素晴しく、面白い、趣向を凝らした演奏会です。自身で棒を振られているのも良いですね。やはりこう言ったアレンジは自分で指揮をしてその場で様々な注文を付けられるのが一番だし、当然オケ団員を引きつける力がないと出来ないことですが、それはさすがだと思いました。「寿限無」は林家こぶ平さんが実際に「ジュゲム」を語っていますが、坂田明さんの様には上手くいかなかった様です。
中島先生が大学を出たばかりで講師になった最初のレッスンに僕が居ました。僕が最初っから20分を越える曲を幾つも持っていったので、「この半分の長さで良いよ」とか「バイタリティーだけは認めるよ」「歌はイントネーションに則した方が良いけど、個性がなくなるね」などと良く言われました。
写真のスコアは一部ですが、全部やると20分越えで黛さんにも半分以上カットされました。(放送時間というのがあるので当然ですが)
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