カテリーナの2月1〜3日の鹿児島、福岡、大分公演は、様々なステージをやってきた中で、僕にとって生涯忘れることの出来ない公演となった。

九州
もちろん昔の懐かしい顔にも沢山会えたが、知らない人からも沢山声をかけられ、「来て良かった」「言い表わせないほど感激した」などと賛美の嵐だった。
それは決して我々の鍛錬の賜でも無ければ、その日の演奏が格段に良かったわけではないと思う。むしろ九州のお客さんの食入るような目と耳と、ストレートな反応に我々が触発され、かつて無いほど演奏の精度を引上げてくれたのだと思う。
それはまるで音が真綿の中に染みこんでいくような、そんな光景が目の前を過った。
なんだろう。一つには今回どの会場も古楽器に適したとても響きの良い会場だったのがあるだろう。古楽器の多くはそれ自体の音は小さく、場を響かせるようなパワーは無い。西洋の寺院、中東のモスク、あるいは王宮で奏でられたような優しい音色はその場の響きと共にあるべきだろう。このような場に続けて演奏できた事は賞賛に値する。
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また、九州の気質もあるのかも知れない。九州以外の人たちの前でも色々演奏をしてきたけれど、座長一座などで芸能に慣れている環境があるのだろうか、どう伝わっているのか、その拍手の仕方やタイミングでどう感じたのかがこちらに伝わってくる。それに答えるべく最高の音を提供しなければと一音に魂を込める。それがまた伝わり拍手の返しの相乗作用で更に高みに向っていく。それは結果、東京でも東北でも関西でも同じなのだが、九州人の前での公演は自信を付けるきっかけを作ってくれる事が多い。
そして今回福岡、大分はクラシック向けの会場だったが、そんな場所で我々の立ち位置が再確認できた。曲にもよるが、毎日同じプログラムでありながら、まったく同じ演奏がない。固定された譜面に書表わすことは意味がない、自由で何が起るか解らない、古楽器でありながら、ジャズやロックに近いスタンスを取っている。ある時は酒場の音楽、ある時は敬虔な信仰の音楽、ある時は西洋と相対する異民族の音楽、古楽器で蟻ながら色んな情景、色んな音が混在する、あらゆるジャンルにも属さないとんでもない合奏団と言わざるを得ない。それが伝わっているのが解るのが今回の大収穫だった。
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こんなに口々に「良かった、良かった」と言ってくれて、我々も本望だが、終ってから舞台に上がり、しばらく楽器の前から離れない多くの興味に満ちた人たちに囲まれて、楽器も本望だったろう。カテリーナに参加して47年、世界はまだこの面白さを知らない人だらけなわけで、もっともっと知らせていかなければならないという掲示を受けたような気持になった。クラシックでもロックでもジャズでもポップスでもない、古楽の世界はまだこの世に始ったばかりなのだと思い知らされた気分だった。

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来ていただいた皆さん、本当にあたたかな声援、ありがとうございます。
そしてサポートして頂いた、しょうぶ学園、前村さん、産の森の皆さん、鹿児島、福岡、大分の劇場の皆さん、まだまだ書ききれませんが、本当にありがとうございます。