ルネサンスにはダ・ビンチ以外に、ミケランジェロ、デュラー、マキャベリみたいなマルチな才能を持つ人間は多く居たが、日本でも源内まで有名ではないが源内を超えるとまでいわれる柳沢 淇園(やなぎさわ きえん)通称=柳里恭という人物もいる。博学にして多芸多才であり武芸百般に通じて、文武・諸芸に優れ、篆刻・煎茶・琴・笛・三味線・医術・仏教など、武は剣術・槍術・弓術・馬術・指揮法までこなし、人の師なったのは16項目もあったとされていたらしい。
室町時代の水墨画家である能阿弥も連歌師、表具師、鑑定家でもありマルチな才能の持ち主で、座敷飾り、茶道、華道、香道など日本文化の礎となっており、彼がいなかったら千利休もいなかったかもしれないとまで言われている。
その昔は安倍晴明や空海もマルチクリエーターと言えるだろうし、現代では戯曲、演技、ダンス、音楽、映画までほぼ一人の発想で作り上げたチャップリンは個人的には最も尊敬する。
現代においてこう言ったマルチ人間は少なくなった。分業化が進み専門家は持て囃されるが、2足以上ののわらじを履くような人は大成が難しい。野球界だって大谷のような「投げる」「打つ」「走る」全てが一流なマルチプレイヤーをなかなか認めてこなかった。現代ではどちらかと言えば頑なな職人気質の方がどうしても上で、梶原一騎の原作のように○○一筋というのが、近代の美学のようだ。
音楽界は多くの場合作曲家、作詞家、編曲家、歌手、演奏家は大概の場合別々だ。音楽業界はこれにプロデュース、録音、映像、デザイン、配信など色んな要素が加わる。
自分もマルチな音楽家だと思う。音楽をやっていれば色んな楽器を触りたくなる。曲を作ってみたくなればそれを録音して自分の好みのミキシングで人に聴かせたいと思う。映像付きなら尚更面白い。結局、人間の興味は次から次へと数珠繋ぎのように尽きることがない。自分がもう少し売れっ子であれば好きなだけ金をかけ、時間をかけ、ジャンルやカテゴリーに拘らない、一人で自由なものを生みだしていたかも知れない。
でも結局、平賀源内も自由に色んな事をやりたいがそのための金はなく、逆に借金に追われ、帰って不自由になり凶運にも見舞われ、その焦りと不安定な精神から人を殺めてしまう。
悲しいかな、源内の場合は殆どの業績が中途半端な形でしか残せなかった。何枚かの絵と戯曲、そして「土用の鰻」くらいかもしれない。源内がもし現代のPCを一台持っていたら、あらゆる情報をストックし、大量の研究資料も作品も自己流で配信し、日本の産業や方向性も大きく変えていったに違いない。それでも彼のイノベートな生き様が江戸人に与えた影響は大きかったと思う。
あれだけ発明好きで様々な分野で新しいものを作ってきた日本人は、現代ではイノベーション指数が世界で13位というくらいに落ちた。これから日本を救う人間は源内のようなマルチな興味と視点を持った人間をサポートして行くことが大事だと思うのだが。

源内が秋田藩に西洋画を教え、そこで学んだ小田野直武が司馬江漢に西洋画を教え、
おそらく西洋画をほとんど観ていない司馬江漢にこんな絵が描けた。

源内が秋田藩に西洋画を教え、そこで学んだ小田野直武が司馬江漢に西洋画を教え、
おそらく西洋画をほとんど観ていない司馬江漢にこんな絵が描けた。
聞いた話しでは落語にまで影響を及ぼしていたらしい。
讃岐の出だけれど、常に源内を描くドラマは江戸出身であるが如くの口調で話しているのが可笑しい。
逆に江戸の粋な風情とは源内から始まって、それがいつからか定着してしまったかも知れない、とは飛躍し過ぎか?
逆に江戸の粋な風情とは源内から始まって、それがいつからか定着してしまったかも知れない、とは飛躍し過ぎか?
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