人と言うものは、本来友好的に接すれば、争い事は起こるはずがない。何かの脅威に晒されたり、威圧感を与えたり、無理な搾取をしたりしなければ、喧嘩は起こらない。貧困差や差別を口にせず、生きることを共有し信頼し合えれば、安心して楽しく生きていける。
多分どこかで統率するものが生まれ、縄張りと言うものが生まれ、他の縄張りと区別され、脅威が生まれた。考え方、信じる神、優越感、誇り、どうも争いはそこから始まるらしい。
イランの大地も、イスラエルの約束の地も、元々は羊飼いが暮らす平和な土地だった。ある時から国家と言う観念が生まれ、領土化され戦いの絶えない土地となった。それは縄張り争いをする側の権力者の都合と欲望で始まった事で、99%の一般の人々には失うものばかりで、争いで勝ち取るものは何もない。
いっそ、この世から権力者が一瞬にして消えてくれれば、国家と言う観念がなくなってくれれば、未来永劫の平和な時代が来るのかもしれない。
最近は「王道」なんて言葉は使われないが、本当に民のための政治をやってくれるなら、国はあっても良いと思う。でもどこを見てもヤクザ以上の殺し屋集団にしか見えない政府しかないではないか。他所より強力な核兵器でも持たないと安心できない。
王道政治をしてくれるなら全ての国同士の緊張状態を回避し、軍備増額も税金もほぼ無くして、安定経済を持続させられるだろう。
老子が唱えた2600年前に小国寡民と言う考え方は、現代において必要と思っている。国の規模が大きくなれば競い合いが起こりやすくなり、過度な欲望が生まれてくる。小さな国が点在すれば、それぞれの顔も見え、ご近所と仲良くやって行く事を考え、自然な形で幸せだって得やすいだろう。
学校のクラスだって人数が多すぎると意見もまとまらないが、少ない人数なら理解し合える。
まあ、今国家を解体するのは難しいだろうが、どうするのが人にとって幸せなのか、ちょっと視点を変えれば答えは出やすいと思う。
とにかく、話し合いを持てない、人の命を屁とも思わない、いきなり武力に物を言わす様な輩は、付き合わない方がいい。驕れる者は久しからずや、と言うではないか。小国寡民だって他所とあまり深く付き合わない方が良いと言っている。自給率は上げないと無理な話だが。
まあ、頭にお花畑が咲いていると言われても、僕にはそんな事しか言えない。