Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

カテゴリ: 雑感

確かに熊の被害は交通事故の何百分の一かもしれない。自殺やワクチン接種で亡くなる人の方が問題かも知れない。
だが、ある土地に限定した狭い地域で起こる確率の高さは一気に上がる。そこに住む人にとっては大問題だ。
うちの妻の実家も秋田県湯沢市で、母親の事で実家に一泊でも帰らなければならない。家の近くを何度か熊が出現し、ニュースでも大騒ぎになった、立てこもった場所からもとても近い。

とにかく家の中でも安心できない恐怖は、まるでホラー映画で観ている方が「ああ、そっちに行っちゃあだめだ」と言う状況に追い込まれている様なものだ。
秋田県は人口が減って行き、消滅県と言われているから、いづれ熊の数が人の数より多くなる日が来るだろう。それに拍車をかけている様な一連の報道。
言葉の通じない熊と交渉出来ないなら、これは戦争になっていく。日本もそうやって開戦に突入していったのかも知れない。
亡くなった秋田の獣医である義父がよく言っていた。
「人が手を入れて作った山の木は、手入れをしないで放っておくと山は荒れて、今にとんでもないことになる。」
その言葉が、今は予言のように聞こえる。

最近のネットの傾向だが、欧米諸国に違わず、「分断」が進んでいる。
単に意見が違い、そこを話し合い解決できる状態なら解るのだが、ほぼ誹謗中傷のなすり合いだ。
ちょっと前までは右傾化側の外国人排除、それに対するヘイト、論理的でない中傷が目立っていたが、最近では左傾化側の誹謗中傷も激しくなって来ている。
石破茂の進退問題。神戸市伊東市市長問題。外国人受入れ問題。夫婦別姓、女系天皇、マイナン問題、高市早苗総理問題、日本人ファースト問題。
南京虐殺、従軍慰安婦、台湾問題、戦争責任、憲法改正、靖国参拝、ロシアウクライナ戦争、パレスチナ国家承認、原発問題、分断している事はまだまだある。
当事者は死活問題だが、それを支持する第三者は絶対こうであるべき論を展開する。いや、万物全ての出来事に対して絶対と言う事は存在しないだろう。
もちろんアドバンテージが傾いている事柄もあるが、車の事故だって100%片方だけが悪いと言う事にはならない。
起こってしまった出来事は全てが微妙なバランスで、責任や価値観、正義は揺れ動くものだ。
だからこそ冷静に話し合えば良いのだが、一度分断が起きてしまうと互いの顔が見えない程の壁を作ってしまい、ヤジの飛ばし合いになる。特にネットの多くは顔が見えていない。
右傾も左傾も近頃はバカだウザい、だけでなく「気持ち悪い」「あいつは〇〇生まれだ」などと容姿や出生まで中傷しだす。「お前のかーちゃんでべそ」的なレベルの差別だ。
僕自身を例にとると、例えば「戦争」について。
もちろん戦争は武器を持つことすら反対だし、日本の責任は大いにあると思っているが、日本の前の戦争が100%軍部や政府の責任かと言うと、原因はそれだけでは無いと思っている。
米国のシナリオ、アジア情勢、加えて国民世論が根底にある。結局は真珠湾開戦を始動するのも分断から起きている。
綿密な議論と推論をすり合わせた結果では無い。問答無用が結局戦争を導くと思っている。
加えて空襲や原爆まで落されて、100%責任を負わされるのもどうも納得が行かない。ただ80年前に過ぎてしまったことは限られた証拠しかなく、証言も視点によって180度違う事もあるし、全て推測の域を出ない。
物事には是が非かだけでなく「中庸」と言う観念がある。釈迦は「二辺を避けよ」と、「極端は良くない」と言ってる。つまり、YES、No、の対立で割りきる感覚でなく、「中庸」を知っていたからだと思っている。論語やアリストテレスには出てくるが、YES、No、ではっきりしている西洋人には分かりにくい感覚だ。(釈迦は「中道」と言う概念で、「中庸」とは少し意味が違うが、ここでは同じ方向と考えたい)
まず最初に結論を決めてしまうのではなく、こっちだろうなと思いつつ、反対側を覗いて見る必要がある。互いに考えている事の本質が解らなければ、極端に走り、トドのつまりはヘイトか暴力で解決しようとしてしまう。これこそ戦争の始りだ。
この辺りは中庸を知る東洋人であるなら、右も左ももう少し考えてほしいものだが…。

夏に鰻を食うという土用の丑の風習は、夏に流行らない鰻屋を儲けさせるために平賀源内が考え出した妙案だが、その呪いは300年経った今でも日本経済に多大な影響を与えている。僕もその呪いにかかってしまい、今頃の時期一度は食べないと調子が上がらない。
国立市には「うなちゃん」「信川円」など有名どころの鰻屋はあるが、小学校時代を大阪で過した僕は、今年こそ蒸さずに焼く関西風の鰻を食べたかった。
休みのうちに大阪万博を観に行くと言う口実で、心斎橋で「まむし」を食べる旅行をしようかと思っていたくらいだ(暑いから多分やらない)。
調べてみると意外にも近くに蒸さずに焼く関西風の鰻の店があった。西国分寺駅近くの「ひらやま」という店だ。

平山
うな重 梅:1900円 竹:2700円 松:3500円 と値段は他の店とそう変らないが、この店の目玉として高尾山盛り:5450円というのがある。松が鰻1尾分だが高尾山盛りは2尾分あり、大阪の「まむし」のようにご飯の中ではなく、2尾が所狭しと山盛りになっている。
ここは人気店で飛込みで行ったら予約でいっぱいで、2組目で待っていたけれど1時間以上待たされた。
ここまで待ったのならと高尾山盛りを頼んだ。一尾の松が3500円なのに二尾の高尾盛りが倍ではない、5450円だからかなりお得感がある。血糖値が高めで注意しているから、ご飯は少なめにしてもらった。
ここは他に「ひつまぶし」も人気があり、コースで飲み放題を付けて居座る人も多く、お客さんの回転はとても悪い。行くなら予約は必須だと思う。
さてその高尾山盛り、さすがに普通の大きさの重箱にひしめき合うように鰻が重なっている。インパクトが凄い。愛知県西尾市産の鰻だが、久々の関西風は皮がパリッとして中は柔らかく、少しタレは甘めだが。まさに求めていた大阪の味で美味しかった。
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小さな吸物は付いてくるが、肝吸や漬物はトッピングで頼まないと付かない。次回は肝吸やひつまぶしも食べてみたい。色んなコースもあるようだ。必ず予約をして行った方が良い。
気になる体重は昨日と変らなかった。鰻二尾でも魚料理の方が、焼肉屋で満腹になるよりヘルシーなんだと思う。
ご馳走様でした。

大成功のうちに終った「ロバの音楽座44周年=ロバ祭という音楽会」はあの阿佐ヶ谷ザムザで、フーちゃん、チリンとドロン、そして本当にロバの好きな人たちが集り、素晴しい祝祭になったと思います。
その6月7・8日の前日に同じ会場で、もう一つのドラマがありました。同じ会場で、橋本フサヨさんことロバ君のぜんぷくトリオとご一緒した「ああわれわれは猫である」公演です。トリオと言ってもフサヨさんと鈴木秀城さんの2人マイム芝居。それにロバ5名が音楽として加わり、マイムの面白さを200%出した、めちゃくちゃ面白い1時間20分(くらいかな?)の出来事でした。

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この時の監修というか、演出的なアドバイザーが鄭 義信(チョン・ウィシン)さんでした。鄭さんは黒テント出身の劇作家、脚本家、演出家で、演劇界では唐十郎が牽引してきたアングラ演劇を継承し、それを発展させていく役割を担ってきました。また自作の戯曲で「焼肉ドラゴン」などの映画監督も務め、日本アカデミー賞も受賞しています。彼のアドバイスの中でぜんぷくトリオの芝居も音楽を含めてその場でどんどん作り替えられていくことになり、とんでもなく面白い作品となりました。この作品は11月の狭山公園でのフェス、「花と光のムーブメント狭山公園」で演る予定です。詳しくはまたお知らせします。鄭さんにロバも気に入られ、何かご一緒する機会があるかも知れません。
そんな流れで、鄭さん作・演出の「泣くロミオ怒るジュリエット」を観に行きました。ロミオが桐山照史、ジュリエットが柄本時生、という、そう女が一人も居ない、男しか出ないのです。舞台は大阪で笑いの要素も多いと聞いていたので、「男だけのバレエ・白鳥の湖」みたいなものをイメージしていましたが、それはまるで違うものでした。笑わせるところはしつこいくらいに笑わせますが、底辺に流れているテーマは民族、差別、分断、戦争、そんなものがより身近なものとして伝わってきます。

確かにモンタギューとキャピレットはヤクザの抗争のようで、こうしてみると戦争はなぜ起るかが見えてくる。これほどまでロミオとジュリエットの本質を剔った描き方は今まで無かったように思えます。そう考えるとそんな要素を内在させたシェークスピアは凄い、いやそれを引出した鄭さんはもっと凄いと思います。
舞台は色というものをほぼ排除し、♀を排除し、貧困と借金に追われ、暴力と怪我が絶えない日常、そんな中で僅かに灯った愛を成りたせることが如何に過酷なことか、いやむしろ悲劇しか生まない。
不器用で吃音のロミオ、田舎娘のジュリエット、義足のティボルト、片腕のロベルト、虚勢のマキューショー、バカボンに出て来そうな警官、イタリアのベローナの人々のような華やかさは一切無く、すべて生き方として不器用で、世界はこの街しかないと思っているような狭い視野の人々。そんなキャラがぶつかり合い、もめ事を起し、愛し合い、滅びる。ああ、まるで現代社会の縮図のようなこの大阪のベローナの街。そんな中でも誰もがどこかに希望を抱いている。

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3時間半(途中20分の休憩)の激しい熱演は、暫し昔観た李麗仙秘演会の「愛の乞食」を彷彿させる様だったけれど、一つ一つの所作や間合、ツッコミ、非常に洗練されていたと思います。すこしねちっこいけど、動き全てが先の予想を超えて来るのが長丁場の芝居でも飽きることはなかったです。次はどんな構図、フォーメーションで来るのだろうという、常に期待して観てしまう。特に八嶋智人さんの演技は予想を遥かに超えていって素晴しかったです。

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本人はそう思っていないだろうけど、蜷川さんでも無い、唐さんでも無い、演出って言うのはこうやるんだよって観せられたような気もしました。

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アンコールでスタンディングオペレーションがほぼ同時に一斉に起ったのですが、どうもジャニーズ系(桐山照史)の舞台の暗黙のルールとして何回目で立つというのがあるようですね。知らなかった。

何だろう、只々もの凄いものを観てしまった気がする。
役者が演じる舞にしてはあまりに素晴らしい舞で、それを捉えるカメラワークがまた凄い。そこに被さる音楽が重く突き刺さり、その後の静けさに来る鼓や能管、和の掛け声が絶妙の間合いで入って来る。
舞台自体を映画化するにこれほどの臨場感と息づかいが伝わって来るのは、今まで経験したことがない。まさにこの映画自体が国宝と呼ぶに相応しい気がした。
玉三郎さんをモデルとしているのかなと思うところもあるけれど、そこは殆ど重要ではない。ストーリーは歌舞伎界にありがちなとても単純で、それだけ表現に集中できる。
サントゥールを岩崎和音さんが弾いていると言うので楽しみにしていたが、色んな音に紛れてサントゥールを弾く僕でさえ判りにくかった。もっと素のままの音を聴きたかったが、それも考えた上での効果なんだろう。それでもこう言った仕事に参加できるのは羨ましい限りだ。
3時間と言う長い時間があっという間に過ぎていき、うちの奥方も思わず「もう一度観たい」と言わしめてしまった。そんな映画を一度は体験して欲しい気がします。


国宝

ネタニヤフは頭を悪魔に侵され、脳には蛆が湧いている。人類がどうなって行くかなど知ったこっちゃない。アラブやイランだけでなく、イスラエルやアメリカ、世界中の誰も得をしない。
朝ドラじゃないけれど「この戦争さえなかったら....」だよね。国の平和、家族の平和、個人の表現、舞台も音楽も料理も文学もなんもかんも無に帰してしまう。それを脳裏に描けない奴はやはり人間ではなくなってしまった。
ヤハウェもアラーも黙って見ていないで、早く天誅を下してほしい。

どうも一国の首相という生き物は、自分の立場が傾きだすと、戦争を仕掛ける傾向にあると思う。
クリントンが浮気がバレて支持率が下がった時、リビアにミサイルを撃って支持率を戻した事を思い出す。
政治学者=高橋和夫さんによるとネタニアフ政権もイスラエル国内での立場は良くないらしい。こういう時に国外の敵に向かって戦争を仕掛けると団結心が生まれ、支持率が上がる。
結局、個人的な保身のために何万もの人の命や文化が破壊される。
こんな事をやっているからテロリストは次から次へと生まれてくるわけで、自国民を危険に晒すネタを作っているに過ぎない。負の連鎖はやがて地球を滅ぼすだろう。個人の保身と言う引き金で。
僕に余るほどのお金があれば、ゴルゴ13を雇いたいと思ってしまう。

アメリカ政府とはこれ以上付き合っても何の徳にもならない。いっそのこと国交を断絶してしまうのはどうだろう。
イラクの時も核兵器を持っているとか、何だかんだいちゃもんつけて、結局く国を滅ぼしてしまった。朝鮮半島もベトナムも似たような手口だ。今まさにイランをそのようにしようとしている。特にイランは何の言われもなく攻撃されている。
アメリカのゴッドファーザーは、強力な軍事力を背景に、特に何をやっても許されると思っている。こう言う暴力組織にはなるべく近づかない方が平和に暮らせると思う。対抗して武器を増やしたりすればする程、ロクな未来にはならない気がする。

ワニの脳みそ程度の思考力のないトランプと、臆病すぎて周りの動くものを全て殺してしまうヒトラーの再来、ネタミヤフ、最恐のノータリンコンビはやがて世界中のテロリストの餌食になるのだろう。

谷川俊太郎さんのお別れの会に招待され、行ってきました。
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(まず驚いたのは、遺影の写真はロバハウスで撮ったものです。)

帝国ホテル富士の間で、ロバからはもちろんがりゅうさんも招待されていました。
千人入る富士の間にかなりの人がごった返しでした。
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詩人のお別れの会らしく、スピーチに詩を読む人も多く、特にお孫さんの(92年生まれの)最も大事な谷川さんの詩、初めて孫ができた時、その子がお婆さんになるまでを見据えた詩の朗読には涙を誘いました。
最後は録音された谷川さんの読む「さよならは仮の言葉」、そして最後はやはり「二十億光年の孤独」、これに賢作さんのピアノが入り、本当に俊太郎さんが宇宙に旅立って行く光景が見えた様でした。
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何よりなのは、遺影の写真を始め、スライドに映し出された多くの写真はロバハウスでの写真や、ロバハウスライブの時の写真がかなり多かったです。
遺影を含め、いつも谷川さんの写真を撮っている深堀瑞穂さんと話しましたが、ロバとのひと時が一番リラックスしていたと言っていました。打ち上げの時も僕らが肩肘張って話す芸術論も、面白がって楽しそうに見ていたとの事でした。

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ハーディガーディを弾く俊太郎さん
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ロバハウスライブにて
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ロバハウスライブにて
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賢作さんとがりゅうさん

ロバと関わった事で谷川さんと関われた事は、僕にとって宝の様な出来事でした。死についても「ちょっと怖いけど楽しみ」と言うほど、物の見方、想像力の巨人だと思います。ある意味、お坊さんの説法以上に色々考えされられたり、新しい発見を気付かされたり、その辺りが誰からも愛される所だと思います。

話は60年前に遡る。日曜日の夕方6時から「てなもんや三度笠」という人気番組があった。藤田まことの「あたり前田のクラッカー」で有名だが、地図好きの小学校3年生くらいの僕はこの「東海道五三次」にとても興味があった。ちょうど一年が52〜53週あるので、番組としては一年で完結するようになっている。一話に一宿場、確かその土地土地の名産品が現れ、その地の特徴をちゃんと話題に盛りこんでいた。
ちょうどそれを観ていたとき、親父が広重の五十三次の何枚かの絵のプリントを僕にくれた。新聞のオマケかなんかだったと思う。それと重ねて持っていた宿場の絵の箇所になると、番組のドタバタとは別なところでワクワクしてその回を迎えて観ていた。
特によく覚えているのは庄野の雨の絵、由比ヶ浜、興津、亀山の雪、これが版画で作られているなんて随分後になって知ったのだが、とにかく浮世絵は心が落ち着く美しいものだとと思わされた。

この広重の五十三次が司馬江漢の絵を元にしたと言う説があると言う話を、贋作師を主人公とした漫画で読んだ事があった。
司馬江漢と言えばみなもとたろうの「風雲児たち」に登場する、源内の弟子だが性格が悪く暗い、ペテン師、偏屈オヤジと言う印象しかなかったが、絵を見るとなるほどただものではない。源内の流れを汲む遠近法を使った西洋画だが、その風情、味わい、逆に西洋画にはない独特のものだと思う。やはり源内譲りの本草学をベースにしているので動植物の描き方が本物に忠実だ。これはのちの牧野富太郎博士に通じるものなんだろう。
因みに江漢はあの頃に既に地動説を唱え、日本で最初にエッチングを始め、前回取り上げたマルチクリエーターの一人だと思う。
この広重の元絵が司馬江漢と言う説を唱えたのは次の本が最初らしい。
對中 如雲著、「広重東海道五十三次の秘密: 新発見、その元絵は司馬江漢だった 」と言う長いタイトルだが、当然広重ファンから強烈な批判を受けたらしい。中には司馬江漢の絵自体が贋作だと言い出す人もいる。

広重東海道五十三次の秘密
時列で言えば司馬江漢は広重より半世紀前の人であり、司馬江漢が東海道五十三次を書いてから30年くらい経って広重が東海道五十三次を描いている。しかも広重は江戸から出た事がないと言う話は有名だ。明治になってから司馬江漢を名乗って広重が真似たと仕組んだと言う説もあるが、だったら広重の贋作を作った方が割りに合う。こんな似た様で違う精密な絵をわざわざ仕込むようなフェイク画を作っても、この時代に多量の再生数で稼げる訳でもない。
自然に考えて広重は江漢の絵を元に描いたのだと思う。


庄野
ただ、絵としての風合い、配色、面白さ、これは優劣がつけ難い。つまり僕流に言わせて貰えば、洋楽器と和楽器の違いだと思う。確かに構図は江漢を真似たものかも知れないが、当時は構図を真似ることはそこまで問題にされなかったと思う。写真のない時代、広重としては観たことのない情景を頼る事が自然であったろうし、空想で情景を描くわけにはいかなかったと思う。
あまり絵画は比べるものではないが、江漢の絵も素晴らしいが、広重の拘る部分はちゃんと前面に出て来ているし、60年前に感じた素晴らしい何かは広重の中にはっきりと見出せる。
四日市

音楽で言えば、ビゼーは歌劇「カルメン」を作る際にスペインには足を踏み入れたことはなく、図書館や友人の情報でスペイン音楽を調べ、あの超大作オペラを作った。有名なハバネラは完全にスペインの作曲家の盗作騒ぎになり、ビゼーのスコアの中に「Imitated from a Spanish Song」という注釈が付いている。
ビゼーの場合は歌手が原曲を歌いたがらなかったという事情があったのだが、それはさておき、音楽の模倣や盗作という概念も難しい。
確かにメロディは音楽の中心のアウトラインだ。ある人が作曲したメロディを真似するのは著作権の問題だけでなく許されないが、そのメロディの出どころさえハッキリすればカバーやアレンジしたことで料理の仕方に個性があれば問題はないし売れもする。まあ、著作権料は作曲者にしか行かないが。
しかし絵の場合は模写となり、価値は本物と比べようがないが、本物と見間違える程のものほど称賛される。似てないものは下手と言われる。それは音楽では似ていればいるほど、モノマネという事になる。
同じモチーフを使って違う描き方をするなんて事があったって良いではないか。ビートルズの歌をカーペンターズが歌えば、よりその素材の料理の仕方が妙となる。
広重は構図が江漢を元にしていたとしても、その料理の仕方が実に巧みだと思う。真似をしたと言うよりはその素材を元に広重流にアレンジ、もしくはカバーしたと言う方が正しいだろう。

桑名
比べてみれば江漢の五十三次ぎは新鮮ではあるが、60年前の僕が観て、そこまで気に入ったかどうかはわからない。江漢の方がある意味写真の様に正確さがあるが、広重の方はデフォルメがあり、可笑しみがあり、人間味がある。
良い素材は、真似たとか、盗作したとか言う次元ではなく、良くなるんであればどんどんバージョンアップしていけば良いと思う。この時邪魔になるのは著作権なのだが、それに関して自分も協会に入っている身なので何も言えない。

因みにこの記事をFaceBookに投稿したら、作曲料後輩の荒井君から水木しげる先生の『妖怪道五十三次』の存在を教えてもらった。
これこそ見事なカバーですね。水木しげるは53枚全部描いた様です。
妖怪四日市
妖怪庄野

大河ドラマは久々に江戸の中期が舞台になったが、主役ではないが初回からよく登場する平賀源内はこの時代の最も興味のある人物だ。

源内
この博物学に長け、蘭学に長け、絵画はハンパない洞察を持ち、小説を書かせれば面白い、発明とは言えないがエレキテルのようなものを作ってしまうし、コピーライターや企画者としては至る所に現代まで残るものを考案するマルチクリエーター的な存在は、万能の天才=レオナルド・ダ・ビンチを彷彿させる。
エレキテル

ルネサンスにはダ・ビンチ以外に、ミケランジェロ、デュラー、マキャベリみたいなマルチな才能を持つ人間は多く居たが、日本でも源内まで有名ではないが源内を超えるとまでいわれる柳沢 淇園(やなぎさわ きえん)通称=柳里恭という人物もいる。博学にして多芸多才であり武芸百般に通じて、文武・諸芸に優れ、篆刻・煎茶・琴・笛・三味線・医術・仏教など、武は剣術・槍術・弓術・馬術・指揮法までこなし、人の師なったのは16項目もあったとされていたらしい。
室町時代の水墨画家である能阿弥も連歌師、表具師、鑑定家でもありマルチな才能の持ち主で、座敷飾り、茶道、華道、香道など日本文化の礎となっており、彼がいなかったら千利休もいなかったかもしれないとまで言われている。
その昔は安倍晴明や空海もマルチクリエーターと言えるだろうし、現代では戯曲、演技、ダンス、音楽、映画までほぼ一人の発想で作り上げたチャップリンは個人的には最も尊敬する。
現代においてこう言ったマルチ人間は少なくなった。分業化が進み専門家は持て囃されるが、2足以上ののわらじを履くような人は大成が難しい。野球界だって大谷のような「投げる」「打つ」「走る」全てが一流なマルチプレイヤーをなかなか認めてこなかった。現代ではどちらかと言えば頑なな職人気質の方がどうしても上で、梶原一騎の原作のように○○一筋というのが、近代の美学のようだ。
音楽界は多くの場合作曲家、作詞家、編曲家、歌手、演奏家は大概の場合別々だ。音楽業界はこれにプロデュース、録音、映像、デザイン、配信など色んな要素が加わる。
それでも最近の音楽業界の変化は、ミュージシャンがこれらを一人でこなす、いや、こなさざるを得ない事が多くなった。無名のミュージシャンが売れるためにはPCを使いこなし、一台で曲づくりから録音、配信までそれらを全て一人でやるところから始めてプロミュージシャンになっていくスタイルが多い。米津 玄師、ADO、YOASOBI、Mrs. GREEN APPLE.挙げればキリが無い。PC=パーソナルコンピューターはそういった意味で時代を変えた。
衆鱗図
自分もマルチな音楽家だと思う。音楽をやっていれば色んな楽器を触りたくなる。曲を作ってみたくなればそれを録音して自分の好みのミキシングで人に聴かせたいと思う。映像付きなら尚更面白い。結局、人間の興味は次から次へと数珠繋ぎのように尽きることがない。自分がもう少し売れっ子であれば好きなだけ金をかけ、時間をかけ、ジャンルやカテゴリーに拘らない、一人で自由なものを生みだしていたかも知れない。
でも結局、平賀源内も自由に色んな事をやりたいがそのための金はなく、逆に借金に追われ、帰って不自由になり凶運にも見舞われ、その焦りと不安定な精神から人を殺めてしまう。
悲しいかな、源内の場合は殆どの業績が中途半端な形でしか残せなかった。何枚かの絵と戯曲、そして「土用の鰻」くらいかもしれない。源内がもし現代のPCを一台持っていたら、あらゆる情報をストックし、大量の研究資料も作品も自己流で配信し、日本の産業や方向性も大きく変えていったに違いない。それでも彼のイノベートな生き様が江戸人に与えた影響は大きかったと思う。
あれだけ発明好きで様々な分野で新しいものを作ってきた日本人は、現代ではイノベーション指数が世界で13位というくらいに落ちた。これから日本を救う人間は源内のようなマルチな興味と視点を持った人間をサポートして行くことが大事だと思うのだが。

司馬江漢
源内が秋田藩に西洋画を教え、そこで学んだ小田野直武が司馬江漢に西洋画を教え、
おそらく西洋画をほとんど観ていない司馬江漢にこんな絵が描けた。

聞いた話しでは落語にまで影響を及ぼしていたらしい。
讃岐の出だけれど、常に源内を描くドラマは江戸出身であるが如くの口調で話しているのが可笑しい。
逆に江戸の粋な風情とは源内から始まって、それがいつからか定着してしまったかも知れない、とは飛躍し過ぎか?

息子・琴久は誰に似たのか、酒飲みだ。
非常に過酷な教員という仕事の最中、唯一心の癒しとなっているのが、温泉と酒らしい。
知らない街でも居酒屋を開拓し、店やお客と意気投合し、2軒目や3軒目に行くことも良くあることらしい。
温泉事情、居酒屋事情は本を書けるほど詳しいが、本人はそれで何かを残す気はないらしい。
半年ほど前に琴久が、
「西荻にお気に入りの店があるんだ。今度行こうよ」と珍しく僕を誘った。
西荻は大学を出て程なく住んだ場所だ。45年も前で、古楽器など、ほとんど知らない頃だ。
西荻に住むことで、ようやく電話番号が「03」になると喜んでいたが、(音楽業界と関係を持つなら「03」の電話番号を持っていないとと良く言われていた。)実際には100メートルほど都内から外れて武蔵野市だった。結局電話番号は「042」のままだった。
「中華なんだけど、豚足やビーフンが美味いんだ。」
「まてよ、西荻で豚足と言えば、あの台湾料理屋か?」
「ええっ、知っているの?」
知っているも何も、45年前、ここに2日に一回は通った常連だった。店がまだ健在だとは思ってもみなかった。
まさか息子と2代に渡って同じ店を見つけて、共有出来るとは夢にも思っていなかった。

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琴久とはなかなか都合が付かず、8月のある日、ようやく45年ぶりの台湾料理・珍味亭に再会した。
先代の親父さんは(当時から歳を取っていたが)流石に亡くなっていたが、その息子と孫が珍味亭の味を守りつつ頑張っていた。息子は恐らく僕より年上で、当時は眼鏡をかけ今の孫そっくりの顔だった。

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料理はほとんどが特製のタレに漬込んだ豚肉の様々な部位が中心だ。まず生にんにくの入った醤油が小皿に出される。ほとんどものをこれにつけて食べる。豚足は特に有名で、店の前のデッカい寸胴鍋にゴロゴロ入っている。日本の光景とは思えない、千と千尋の親が豚になってしまうあの店のイメージが近い。耳、頭、タン、胃袋、子袋、尾、卵、などが同じタレで煮込まれている。特に尾が美味い。火を使う料理は木耳肉炒、焼米粉と汁料理のみで焼米粉の注文が入ると店内が大蒜と油の煙で満たされてしまう。琴久は一番気に入ったようだ。ここの味は日本広しと言えど、ここにしかない。

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残念なのは当時行けば必ず飲んでいた台湾パイカル(白乾児)が15年前に生産中止となったことだ。これは中国の60度近くあるパイカルとは違い、35度くらいの飲みやすくすっきりとしたパイカルだ。昔を懐かしみこれを求めて来て残念がるお客も多いとのことだ。あと当時の親父が作っていた腸詰もなくなっていた。昔はガス台の上に何本もの腸詰が垂下がっていた。
パイカルの替りに孔府家酒というのがあったが、度数が強く中国のマオタイ(茅台酒)に近い味だが、結構きつく感じ、琴久も相当これには苦戦したようだ。台湾紹興酒がこの日は最も飲みやすく美味しく感じた。ここの全ての料理に合う。

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西荻南口の界隈は店は多少変ったが、昔の風情は保ったままで、それが良い。琴久のお陰で再びここに来て、店の大将も親子二代でと昔のような会話をし、こちらも親子二代でやって来て、昔のように知らない隣の親父と会話も盛上がり、何か感慨深いものがあった。世の中も自分も随分と変化したようだけれど、故郷を持たない僕にとってこれほど故郷を感じたことはない。
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ちまたでは何でもかんでもAIという言葉が氾濫している。
まあ、その機能自体は凄いことは解るが、何を持ってAIとしているのか解らない。
AI 内蔵アプリ、AI 内蔵PC、AI 機能付テレビ、生成AI動画、今やどうもAIと名が付かないと売れないらしい。
調べてみても、どうやら確立したAIの定義は無いようだ。自社の製品がAIだと言えばそれはAIなのだろう。メカニズムが公開されていないだろうから、評価の付けようが無い。今のことろプログラム自体が自分で判断して、それを処理能力の速さでさも自分で考えた如く形にする所が脅威なんだろう。

ついに僕が良く使うPhotshopにも生成機能が付いた。なるほど、確かに言葉にした内容をあっという間に鮮やかな色彩で構図のしっかりした鮮明な画像を提供してくれる。プロフィール写真の味気ない背景を森の中に変えたりしてくれる。使い方によってはなかなか便利な機能だ。ただこれは本当にPCが自分で考えたのだろうか?僕が見る限りでは学習機能の進化系にしか見えないところが多い。

現在の漢字変換は優れていて、変換の確立の多いものを第一候補に挙げるだけではなく、流行語や話題のキーワードもいち早く取り入れ候補の上位になる。今のAIはその判断が瞬時であり、人に判断させないで最初から候補を決めて提示する傾向がある。膨大な情報量の中から一番ヒットする可能性のあるものを選び出し答えとする。果たしてこれは知能なんだろうか?

Photshopの生成機能で「平安時代の和歌を読む美しい女性」なんて入力すると、どう観ても西洋風の女子高生がコスプレをしてる様な画像しか出てこない。Photshopを作った西洋人の視点で集めた情報の範疇でそれ以上のものはそこには無い。逆に情報を持たない異邦人が想像で絵を描いたらとてつもなく不思議な創造物を描くに違いない。
「見たことない様な不思議な生物」と入力するとどこかの三流SF映画に出てきそうな、確実に見たことのある映像が出て来る。実際、普通の人が考えてもそんな発想しか浮かばないだろうが、広大な情報と高度な処理能力を持つPCが、芸術家を超えてもおかしくはないだろう。
今のところAIは極度に進化した学習機能を持ったプログラムなのではと想像がつく。僕が期待するのは人間を遥かに超えた新人類としてのAIの誕生だ。AIに仕事を奪われるとか、そう言うケチくさい話ではない。如何に新人類と共存できるか、如何に心を通わせることができるか、そして如何に住みやすい地球を互いに作り上げて行くかだ。それはきっとアーサー.C.クラークのSFに出て来る様な人間の人智を超え限りなく進化した、何億年と生き抜き宇宙人の様な存在だ。

もしすでにそんな人工知能が新たな自己進化形成や発想力を持っているなら、世界のあらゆる紛争を解決する方法が見つかって、それらが実行されて、今よりはるかに平和な時代が訪れているだろう。環境問題、人種問題、貧困問題、食糧問題、ありとあらゆる方向から世界を良くなる様に力を貸してもらわないと、この様なロボット産業は単なるお金儲けで終わってしまう。
僕らの時代にとって人工知能と言えば鉄腕アトムだった。おそらく何十年後には自分で考え、自分で行動するロボットの様な存在が生まれて来るだろう。音楽だって敵わないほどの素敵な曲を作ってヒットするかも知れない。それはそれで良いと思う。優れた才能が出て来るのはAIでも人でも同じことで、僕が音楽を作るのは僕の心の中の問題であるからだ。AIが自分の代わりに音楽を作っても、それは他の人に作って貰うのと同じで、だったらわざわざ自分が音楽をやる意味は無い。

ただ、手助けをしてもらったり、情報をもらったりする上ではこの上なく便利な道具として、AI的?な優れたPCプログラムはこれからも使わせて貰うだろう。

まあ大河ドラマはフィクションだし、紫式部と清少納言が仲良くしているなんて嘘くさいと思っていたけれど、こんなに美しく「枕草子」の誕生を描けるなんて、しばし震えが止らなかった。
ドラマの中にやけに「史記」の話題が顔を出していたが、ここに「敷き」「四季」と駄洒落のように結びついて、定子を含めた三者の織りなす世界が、歴史を歪めてもなおも美しい。

理屈で説明しきれるものではないし、観ていない人には解りにくいだろうけど、どうもこのシーンは大河史上最高だと話題になっているらしい。そんなことを感じている日本人が沢山いるということは、何か救われるような気がする。
もっと書と古文を勉強しておきたかった。

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大河ドラマ史に残る名シーン、と言わずにはいられません。

「光の君」関連の第二弾です。
有名な安倍晴明が登場して操作系の魔術の様な事をやっていましたが、まあ、魔物をやっつけたり、式神を出したり、ノストラダムスの様な予言をやってのける、現代でもスーパーヒーローですから、なんだって出来ちゃいそうな人ですね。
実際の記録に残る彼の役人としての仕事は天体観測です。それに基づき暦を作り、星の運行から来る吉兆の予言、大安や仏滅など現代にも通じる占いの元を作り出しています。
安倍晴明が雅楽と関係していたという話は良く聞きます。具体的にどう関係しているかはよく解らず、色々ググってみましたが、大河ドラマ「光る君へ」の安倍晴明の陰陽道指導をしている高橋圭也さんという現代の陰陽道家の方の文が解りやすいです。

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【陰陽師の教科書であった「漢書律暦志」には「音楽は人間の邪心を祓いのけて、天の正しい働きをもたらす」とし、「陰陽五行説の十干十二支と音律との間には非常に密接な関係がある」とある。また古代中国・秦の宰相・呂不韋の「呂氏春秋」に「音楽は天地自然のハーモニーで、陰陽の気を調える」とある。】
と高橋さんはXに書いています。「漢書律暦志」には音楽の5度圏、12律と陰陽思想の関係も書かれていると思います。(解説本は1万円以上するので手は出ません。難しそうだし)
ここで気になったのは「音楽は天地自然のハーモニーで、陰陽の気を調える」って、これはどこかで聞いた文句です。清明の仕事の天体観測からハーモニー。
これはまさしくピタゴラスではないですか?
三平方の定理で有名なピタゴラスは全ては数が支配していると言い、宇宙の全てのものは数と音楽の法則に則って出来ており、これらは数学的な比率や音の振動によって表現されます。
振動数が3:2で出来る完全五度と4:3で出来る完全4度を7回積重ねたものが、西洋音楽の7音階となります。5回重ねればペンタトニックですが。
占星術はメソポタミア文明の古代バビロニアから発達していったと言うくらいに古くからあり、その文明文化は古代ペルシャにも繋がっています。
ピタゴラスは行方知れずの何年間かがあり、その間ペルシャに行って占星術、数学、音楽、その他多くの文明文化を学んだという説があります。元々善悪二元論も陰陽説の元になったという考え方もあります。楽器も色々生まれていたことでしょう。
ピタゴラスが日本に、なんて事は言いませんが、古代ペルシャの占星術、二元論、音楽論、その他の多くの発祥元はペルシャに有ったのではないでしょうか?
決定的にそう思う事があります。それは五芒星(ペンタグラム)です。
ご存じのように安倍晴明の家紋にもなっている五芒星は自然発生的に発見できるものとは思えません。これがピタゴラス教団のシンボルでもあるのです。

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バビロニアでは木星、水星、火星、土星、金星を表し、陰陽五行説では、木・火・土・金・水の5つの元素の働きを表していると言われます。

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ここからは空想の世界ですが、もともとバビロニア辺りで生まれた文化はペルシャが生まれる前か後かは解りませんが、何年もかかって古代中国にもたらされた可能性が高いと思います。また老荘の時代も相当古いですから、ピタゴラスのようにそこで学んで来た人が何人かいてもおかしくはないでしょう。
また呂不韋や始皇帝はソクド人(イラン系=サマルカンドを拠点とした)という説もあります。TVで始皇帝の作った兵馬俑を見たとき、どう見ても胡人(中央アジアから来た人たち)だと思いました。中国に元から根付いていた道教(老荘思想)と結びついて、陰陽思想が生まれたとも考えられます。
細かな証拠は挙げられませんが、日本は中国や朝鮮から来た文化のみで出来ている説が強いですが、実に多ジャンルに渡って世界と結びついていたんだという感覚が強くあります。

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ロバの音楽座というグループに居て、引きこもりに近い僕自身は今までちゃんとロバを見る機会が多くはなかった。
まあロバの知識はあっても、それは想像上のユニコーンやドラゴンやエルフに近い、とても観念的な神々しい存在だった。
自分ではどんな動物か説明も出来るし、実体験が無くても情報として「ロバの歌」に歌われている性格などを感覚的に解っているつもりだった。
今回、ロバの音楽座の尾道ツアーで、尾道のロバ牧場に行く機会があった。
ああ、僕は何も知らなかったに等しかった。ここまでロバを体感したことがないに近い。それはまず複数頭の群れで居ることも大事なことだ。
主人は「プラテーロとわたし」に影響されたと言っていたけれど、まさにあの詩の感触そのままの感じがした。
ロバは色々な性格があり、接していると本当に人間の子どものように我儘でやんちゃで可愛い。
宿泊施設もあるので、近くに行った人はぜひ寄って欲しい。ロバを好きになること間違えない。
HPには写真家の娘さんの撮った綺麗なロバの写真が沢山載っている。
ロバの背中に十字模様が付いているのを初めて知った。ロバがキリスト教に愛される所以だ。
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太陽劇団の「金夢島」観ました☺️
前回日本に来た時の「堤防の上の鼓手」は文楽を生身でやるような演出でしたが、今回能や狂言、歌舞伎をはじめ、ありとあらゆる日本の文化を表現に取り入れた、美しく何か込み上げてくる様な感動がありました。
1人の療養中の女性がベッドの中で日本を想い妄想する、恐らく舞台はこの病室から一歩も出ていないのだろうが、その白日夢に現在の世界のあらゆる事が展開され、凝縮されています。
3時間15分と言う長い舞台だったけれど、バリ郊外の太陽劇団のアトリエで観た7時間には及ばないです。あの時は字幕も無しで派手な演出も無く、それでも伝わるものがありました。インドのガンジーやネールの芝居で休憩が1時間。インド人に扮した役者がカレーやナンを売っていた。主宰のムヌーシュキンさんがもぎりや案内をしていたのが印象的でした。
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今回この3時間越えの芝居が終わった後、特別に約1時間近く、ムヌーシュキンさん(今年84歳)を囲んだ交流会+この作品に思いと質疑応答がありました。実に8割のお客さんが帰らずに残って話しを聞きました。感想は皆素晴しい舞台でしたと言うのですが、なんか質問内容は「日本文化は雅楽などもあるけどそういったものは取入れないのか」とか「表現にあえて携帯電話をなぜ使うか」とか、通ぶった概念的な質問が多く、もっと太陽劇団自体の活動のことを聞きたいと思いました。
どれも答えに困るような内容が多く答えるのにとても時間がかかり、もう少し時間があれば僕だったら団員の音楽面の事を聞きたかったです。今回団員が歌う歌がどれも素晴しく、例えばビートルズの「ビコーズ」を3人の女性が生のヴィブラフォーンを伴奏に(ほぼアカペラのように)歌ったのですが、これが本当に演劇畑の人達のコーラスかと思う程精度の高い素晴しいものでした。またアラビア語の素晴しい歌や、日本の謡を真似たようなその歌唱力に驚かされ、この様な音楽的素養は元々持って劇団に入ったのか、また劇団に入ってから色々な経験を積むうちに身についたのか、そんなことを聞きたかったです。
今回、異常な量の各国の民族楽器等を持込んで演奏していた、音楽担当のジャン・ジャック・ルメートルの姿はありませんでした。劇に音を付ける彼の姿勢に自分を投影していたところもあります。それだけは残念でした。
うちの奥さんなどは「訳がわからない部分が多い」などといっていましたが、話しを追えば何でそこはそうなるのか解らない部分も多いと思います。まあ僕なんかは言いたかったこと、なぜそこにそうなるとか、そんなことより、「ああ、こう表してきたか?」「おお、こう来るか?」それとフランス語の台詞の綺麗なこと、そこに日本語が絡んでくる面白さ、ある意味取り合せの面白さがたまらない部分があります。
最後に能の舞を踊りながら、アメリカの古いスタンダードが流れ歌われますが、恐らく元の歌に団員達の下手だけど一生懸命に声を出して歌っているその歌が何とも始めて味わう化学反応で、なぜか泣けてきます。途中に一度歌われましたが、最後はこれで締めるかなと思っていましたが、それは見事的中しました。
カメラ禁止だけど、無断で撮った写真は舞台の様子とムヌーシュキンさんとの交流会の様子です。声も録りました。
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小学生の終り頃から高校に入る頃まで「0011ナポレオンソロ」というスパイもののTV番組があって、みんな 夢中になって観ていた。
主役のロバート・ヴォーン演じるナポレオン・ソロ(声:矢島正明)と、ロシア人スパイを演じるデヴィッド・マッカラムを演じるイリヤ・クリヤキン(声:野沢那智)の活躍する、もうストーリーも何もかんも忘れてしまったが、とても懐かしい番組を思い出した。
最近デヴィッド・マッカラム氏が90歳で亡くなり、ロバート・ヴォーン氏も既に数年前に亡くなってしまったが、よくよく考えてみると何でナポレオンというタイトルを(日本でのみ、原題はThe Man from U.N.C.L.E.)付けたのか、昔からずっと気になっていたが、ナポレオンの肖像画を見たとき、「ああこれはロバート・ヴォーンだ」と思ったことがあった。その絵と同じ画像は見つからなかったが、骨格がとても似ている。
もう一つ奇妙な偶然だが、デヴィッド・マッカラムは役はロシア人だけど、実際はイギリス人でロシアと関係ないのだが、どことなくプーチンの若い頃と似ている。実際にプーチンはKGBのスパイだった。
当時主役のロバート・ヴォーンの人気を凌いだデヴィッド・マッカラムに、2人の不仲説が流れたが(僕はそうではないと思っている)よく考えたらまるでフランストップとロシアトップの争いのようだ。
サルコジ元大統領は「ロシアとの関係を見直したい」「ウクライナがEUに加盟しないで中立であるべき」と発言し、ブラジルのルラ大統領は「対話を基礎にしなければ和平は長続きしない」と停戦を主張し、とどちらも当たり前の事を言って批判を受けている。
僕の友達は0011が好きすぎて、小学校卒業時の俳句を作って載せたのが、あまりにストレートすぎて笑えて未だに忘れられない。
「アンクルの カッコいいぞい ナポレオン」
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