Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

カテゴリ: 文化・芸術

古楽を演奏する身であっても、僕個人の中でハードロックの元祖とも呼ばれるレッド・ツェッペリンの影響は外せない。キース・エマーソンやピンクフロイドがクラシック音楽への影響があるとすれば、ツェッペリンとクリームは古楽や民族音楽に通じるドローンやモード即興音楽の強い影響がある。
話題の映画「レッド.ツェッペリン:ビカミング」を観て来た。これはあくまでもノンフィクションで、ツェッペリンに興味のない人には面白ろいのかどうか、僕にとっては知っていたようで、知らない事だらけだったのを思い知らされた。

ツェッペリン1
ただ、2時間余りの映画の中でその全てを表せるものでもなく、解りやすくビートルズで言えば最初の映画までのサクセスストーリーしか描いてない。3枚目のアルバム以降は出てこない。有名な「カシミール」や「天国の階段」は、また別の話なのだ。
思えばツェッペリンを知ったのは高校2年頃で、「胸いっぱいの愛を」がラジオで流れたのを聴き逃さなかった。それまでのR&B的バンドやビートルズ的なサウンドでもない、全く新しい音楽だった。当時はドローンをワンコードと認識していたが、その限られた音ベースの上で和音進行に支配されず、自由に即興で遊んでいるのだ。ボーカルの即興に絡んでギターが合いの手の様に寄り添い即興を入れる。今思えば民謡歌手と尺八の関係だ。
元祖ハードロックと言われたツェッペリンは、実のところアコスティックギターを多用し、調弦もシタールやサズに近い、それに絡めてマンドリンなど、開放弦でドローンを出しやすい調弦を良く使った。後になってトルコのアシーク(サズを使って歌う吟遊詩人)音楽を聴いた時、まるでツェッペリンそのものだと思った。彼らは間違いなく中東からインドの音楽を聴いて影響を受けていると思った。このエッセンスが青年期の僕の音楽形成に受け継がれたと思っている。つまりは古楽に囚われる理由となっていると思った。
ツェッペリン2

映画はメンバーの現在のインタビューで昔を振りかえり進んでいくが、この映画で改めて認識させられたのは、ギターのジミー、ボーカルのロバートの凄さは当然なのだが、ベースのジョンポールジョーンズと、ドラムのジョンボーナムが、如何にツェッペリンになくてはならない存在だったのか、もちろんある程度わかっていた事だが、それがこの映画でよく伝わる。
ジョンポールジョーンズはベーシストとして括るのは勿体ない存在だ。キーボードだけでなく、すでにアレンジャーとしても相当活躍した人で、この世代でよく知っているのはルルの「いつも心に太陽を」は彼のアレンジだ。
音楽一家に育ち、その数えきれない程の楽器リストにはピアノ、オルガン、マンドリン、リュート、リコーダー、ハーディガーディ等の我々にとってお馴染みのものもある。ジミーと共に、ローリングストーンズ、ドノバン、有名なのはシャリーバッシーのゴールドフィンガーの録音にも参加したり、すでにツェッペリンに加わる前から活躍していた。
映画を観るまで、ジミーの引き出しの多さがツェッペリンのサウンドを作っていると思われたが、半分は彼の音楽の見識と世界観の広さが大きく影響しているのは間違いない。
対してドラムのジョンボーナム=ボナムはこの映画で判ったが、ロバートと同じくそこまで仕事に充実したミュージシャンではなかった。音が大き過ぎて演奏を断られたり、不毛の音楽生活をしていた。
ボーナムのドラミングは唯一無二のものて、ツェッペリン結成以降は一流のミュージシャン達から一気に注目の的となったが、それ以前は鳴かず飛ばずだった。まさに他の3人と出会って、まるで水を得た魚のように暴れ出した。彼のキックはロックそのものの代名詞のように語られた。
ロバートも同様、企画外れの歌はなかなか受け入れられなかった。彼の場合は生活も大変で、住む場所もなかった。色んな紆余曲折があり、ジミーとプラントが出会い意気投合するのだが、合わなかったら音楽を捨ててしまったかもしれない。
ジミーペイジについて、今更語るべき事はないが、ヤードバーズに在籍していただけで三大ギタリストなんて言われ、クラプトンやベックとやたらテクニック面で比較され、やりにくかったと思わざるを得ないが、彼ほどクリエイティブなギタリストはいないと思う。オープンドローンチューニング、ギターを弓で擦るなんて事だけでなく、彼のギターリフはどれも印象的で忘れられない。ほんの3秒くらいで聴き手の心を掴んでしまう。

ツェッペリン3
彼らの成功はイギリスのプロデューサーに頼らず、自分のスタジオを郊外に作り、マルチレコーダーで完成品をいきなりアトランティックレコードに持込んだ。アーティストのことを良く知らないプロデューサーに引っかき回されるのが嫌だったのだ。
とにかく徹底的に時間をかけて録音とダビングを繰返し、納得の行くまで全てを出し切った。それぞれは元々幾つかのバンドを掛持ったり、スタジオミュージシャンの仕事をしていたが、4人で音を出した瞬間、全てを捨ててこれで生きて行こうと思った。ジョーンズもある程度アレンジやスタジオで名を馳せ稼いでいたが、全てをやめてこれに打込んだ。奥さんを説得させるのに大変だったという。とにかく無名でも彼らはこれが自分たちの生きる道だと確信した。
最初はなかなか本国で売れなかったが、アメリカツアーで爆発的に人気が出て、1年かかって英国で大絶賛となった。彼らの場合は音に関しては徹底的に他人の手が入っていない、それが他に真似できないサウンドを作ったことになる。
映画はそれ以降の話は無いが、1980年、絶頂期にツェッペリンは解散する。ドラムのボナムが突然死したのだ。死因は前日多量の飲酒をし、吐瀉物を喉に詰まらせての窒息死ということだった。メンバーは落胆し、その年の終りに解散に至った。
当時、僕はそれを聴いて、ジミーやロバートならまだしも、ドラマーなら代りの務まる人は居るのではと思った。しかし今思えばボナムに変るドラマーはいなかったろう。
ローリングストーン誌が選ぶ史上最も偉大などラマーに、ジンジャーベイカーやキースムーンを押えて一位になっている。まあそんなことはツェッペリンにとってグループの事の方が重大な事だった。
ツェッペリンは4人の歯車はどれも欠けてはいけなかった。奇才ジミーに、即興歌歌いのロバート、何でも音楽を形づくるジョン、そしてあの独特の迫力とキックとグルーブを持つボナムが居て、ツェッペリンは成立っていた。誰がかけてもいけなかった。
このロック感覚は、セッションを組替えるジャズとは大きく違うところだ。
そして4人が誰一人欠けてはいけないという感覚は、ビートルズにも無かったことなのだ。

ツェッペリン4
1994年になってペイジとロバートはモロッコやエジプトのミュージシャンとライブを行っている。まさにダルブッカやケマンチェを始め中東の楽器とのセッションだったが、昔、トルコの音楽に影響を受けたと言う僕の説はこれによって証明された様な気がした。

ロバの音楽座が1960年制定 第63回久留島武彦文化賞を受賞しました。
久留島武彦さんは「日本のアンデルセン」と呼ばれ、多くの人々に親しまれる形で童話と教育を広めた方です。
この文化賞は、青少年文化の向上と普及に貢献した人および団体に送られる賞だそうです。
44年にしてこのような賞をいただけたこと 感謝します。
ロバが王子になったような気持ち・・・・
いやロバはこれからもロバなりに精進します。

久留島武彦賞の歴代の受賞者はこちらに載っています。

久留島武彦


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今年の8月、テレ東の音楽番組「おんがく交差点」に、がりゅうさんのクルムホルンがフィーチャーされ、カテリーナ古楽合奏団で出演しましたが、今度は上野が単独でプサルテリーで出演します。

放送予定は2026年の2月7日(土)朝8:00〜BSテレ東です。今日、収録が終わり、情報公開可となりました(曲目と写真のみ、内容・感想は公開日まで語れません)。
中世ルネサンスの曲を取り混ぜ、冬のイメージで即興で繋いだプサルテリーのソロと、大谷さんのバイオリンとのコラボは、僕のオリジナルの「胡蝶の夢」です。
内容はお楽しみですが、ぜひご覧ください。

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音楽番組「おんがく交差点」でルネサンスの笛「クルムホルン」が特集され松本雅隆が出演しました。クルムホルン合奏ほかカテリーナ古楽合奏団のメンバーも勢揃いしました。
「おんがく交差点」は毎週、様々な楽器を紹介しているBSテレ東の音楽番組。春風亭小朝さんと対談、ヴァイオリン奏者大谷康子さんとコラボする番組です。
放送予定:BSテレ東 8月16日(土) あさ8:00~8:30。

#487収録時写真 (1)
#487収録時写真 (4)
#487収録時写真 (3)

Proliferation for Piano ピアノのための「増殖」Ⅰ〜Ⅲ 
上野哲生:曲 12/2020
今回、かなり昔から書きかけていた曲を形にしてみました。
いつもの古楽テイストとはかけ離れた半無調性、抽象的な手法、しかもピアノベースの曲だが、心の中にあるもやもやしたものを見えるがままに自動書記の様に綴っていいきました。ただそれが何かを表現している訳ではありません。聴き手が自由に何かを想像してもらえれば、それで充分完結するものと思っています。


弾いてみたい方は譜面を渡します。こちらにコンタクトを取って下さい。
https://www.tessey49.com/contact
ただ,演奏会で使用する際は著作権料がかかります。

Proliferation for Piano ピアノのための「増殖」Ⅰ〜Ⅲ 
上野哲生:曲 12/2020
今回、かなり昔から書きかけていた曲を形にしてみました。
いつもの古楽テイストとはかけ離れた半無調性、抽象的な手法、しかもピアノベースの曲だが、心の中にあるもやもやしたものを見えるがままに自動書記の様に綴っていいきました。ただそれが何かを表現している訳ではありません。聴き手が自由に何かを想像してもらえれば、それで充分完結するものと思っています。

演奏を試みたい方はコンタクトを取ってください。

大成功のうちに終った「ロバの音楽座44周年=ロバ祭という音楽会」はあの阿佐ヶ谷ザムザで、フーちゃん、チリンとドロン、そして本当にロバの好きな人たちが集り、素晴しい祝祭になったと思います。
その6月7・8日の前日に同じ会場で、もう一つのドラマがありました。同じ会場で、橋本フサヨさんことロバ君のぜんぷくトリオとご一緒した「ああわれわれは猫である」公演です。トリオと言ってもフサヨさんと鈴木秀城さんの2人マイム芝居。それにロバ5名が音楽として加わり、マイムの面白さを200%出した、めちゃくちゃ面白い1時間20分(くらいかな?)の出来事でした。

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この時の監修というか、演出的なアドバイザーが鄭 義信(チョン・ウィシン)さんでした。鄭さんは黒テント出身の劇作家、脚本家、演出家で、演劇界では唐十郎が牽引してきたアングラ演劇を継承し、それを発展させていく役割を担ってきました。また自作の戯曲で「焼肉ドラゴン」などの映画監督も務め、日本アカデミー賞も受賞しています。彼のアドバイスの中でぜんぷくトリオの芝居も音楽を含めてその場でどんどん作り替えられていくことになり、とんでもなく面白い作品となりました。この作品は11月の狭山公園でのフェス、「花と光のムーブメント狭山公園」で演る予定です。詳しくはまたお知らせします。鄭さんにロバも気に入られ、何かご一緒する機会があるかも知れません。
そんな流れで、鄭さん作・演出の「泣くロミオ怒るジュリエット」を観に行きました。ロミオが桐山照史、ジュリエットが柄本時生、という、そう女が一人も居ない、男しか出ないのです。舞台は大阪で笑いの要素も多いと聞いていたので、「男だけのバレエ・白鳥の湖」みたいなものをイメージしていましたが、それはまるで違うものでした。笑わせるところはしつこいくらいに笑わせますが、底辺に流れているテーマは民族、差別、分断、戦争、そんなものがより身近なものとして伝わってきます。

確かにモンタギューとキャピレットはヤクザの抗争のようで、こうしてみると戦争はなぜ起るかが見えてくる。これほどまでロミオとジュリエットの本質を剔った描き方は今まで無かったように思えます。そう考えるとそんな要素を内在させたシェークスピアは凄い、いやそれを引出した鄭さんはもっと凄いと思います。
舞台は色というものをほぼ排除し、♀を排除し、貧困と借金に追われ、暴力と怪我が絶えない日常、そんな中で僅かに灯った愛を成りたせることが如何に過酷なことか、いやむしろ悲劇しか生まない。
不器用で吃音のロミオ、田舎娘のジュリエット、義足のティボルト、片腕のロベルト、虚勢のマキューショー、バカボンに出て来そうな警官、イタリアのベローナの人々のような華やかさは一切無く、すべて生き方として不器用で、世界はこの街しかないと思っているような狭い視野の人々。そんなキャラがぶつかり合い、もめ事を起し、愛し合い、滅びる。ああ、まるで現代社会の縮図のようなこの大阪のベローナの街。そんな中でも誰もがどこかに希望を抱いている。

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3時間半(途中20分の休憩)の激しい熱演は、暫し昔観た李麗仙秘演会の「愛の乞食」を彷彿させる様だったけれど、一つ一つの所作や間合、ツッコミ、非常に洗練されていたと思います。すこしねちっこいけど、動き全てが先の予想を超えて来るのが長丁場の芝居でも飽きることはなかったです。次はどんな構図、フォーメーションで来るのだろうという、常に期待して観てしまう。特に八嶋智人さんの演技は予想を遥かに超えていって素晴しかったです。

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本人はそう思っていないだろうけど、蜷川さんでも無い、唐さんでも無い、演出って言うのはこうやるんだよって観せられたような気もしました。

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アンコールでスタンディングオペレーションがほぼ同時に一斉に起ったのですが、どうもジャニーズ系(桐山照史)の舞台の暗黙のルールとして何回目で立つというのがあるようですね。知らなかった。

僕には5人の妻がいる。5人とも正妻だ。最近6人目の正妻を迎えた。6人目はまだ迎えてから2年しか経っていない、新婚だ。
どの妻もとても可愛いくてとてもチャーミングだ。それぞれの得意な事は限られているし、全く性格が違うので、誰かの代わりは務まらない。役割分担はとても上手くできているし、互いに嫉妬する事もない。
最初の妻は西欧の血を引く、日本生まれの来たプサルテリゥーム、通称プサルテリーと呼んでいる。とても優雅で繊細だ。指でどこを弾いてもとても純粋で透明な、決して肉感的にならない人間離れした響きを発する。

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2番目の妻は生粋のトルコ生まれのサズ。正式な名前はバーラマと言う。プサルテリーとうって変わってとてもキレが良くシャープでとてもリズミカルだ。激しく情熱的にもなるし、大草原や砂漠など地平線に沈む陽が似合うようだ。

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3番目の妻は西欧、特に英仏伊で人気の高いリュート。日本生まれだが、とても気位が高く、気難しいところがあるが、プサルテリーと比べるともっと肉感的で温かみがある。ふくよかな低音と伸びのある高音が魅力的だ。

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4番目の妻はイランから来たサントゥール。2本の鉢で弦を叩くのだが、それは繊細なものからアジタート(決然とした)な音まで多様な美しさと香りと個性を醸し出す。後にピアノに変わっていく楽器なだけに、ダイナミクスとサスティーン(余韻)、繊細なトレモロが持ち味だ。

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実は最初の妻を娶る前に実は妻を一人亡くしている。英国の血を引き日本で生まれたシターンだ。40年くらい前には最もよく良く弾いた。小柄だが、サズと同様リズミカルで爽やかに響き、プサルテリーと同様その頃を共に歩み、一つのスタイルを作って来た。ただ、ドローン弦を作っていたため様々な調性に対応出来ず、次のリュートに変わって行った。時代が経つにつれて響板も凹み音はビビつくようになり、第一線から消えていった。構ってもらえなくなると途端に機嫌が悪くなり、あらゆるところが破損していった。ついに響板は割れて自ら命を絶つ結果となってしまった。
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スチール弦で高音の伸びが良かったが、その役割は5番目の妻のジュラに変わった。ザズの兄弟でとても小柄で機動性があり、様々な調性に対応出来た。
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妻たちの寿命は短いので、プサルテリーは3人目、サズに至っては5人目、サントゥールは3人目、リュートもジュラも 3人目、常に若返りをしている。
若い方が良いかと言うと、見た目は新しくて良いが、特にプサルテリーやリュートの様な響板に薄いスプルースを使ったものは(日本での産みの親は同じだが)、初々しい頃はなかなか良く響いてくれないが、なぜか5年くらい経っと本当にキラキラした豊かな音色に変貌する。当初は慣れて来ただけかと思ったが、やはり熟れた魅力を醸し出す様になって来ている。
正妻同士は仲が良く嫉妬したりしないが、同じ兄弟同士の嫉妬は激しい。新しい妻が来て、そちらを構ってばかりいると、途端に機嫌が悪くなり響かなくなる。調弦もすぐ狂うし、嫌がらせとしか思えない様な仕方のない音色を出す。
今回こんな話をするキッカケとなったのも、新しいリュートに代ってからずっと構ってあげられなかった先代のリュートが、自殺をしてしまったからだ。管理も悪かった所為もあるが、響板に直付けになっているブリッジが剥がれ、全部の弦が完全に外れてしまった。これはもう個人のレベルではどうにもならない。産みの親の所で直してもらうかなのだが、(元々楽器の値段は西欧ベースと中東ベースではかなり差があるのだが)修理費はおそらく新しいサズが買えてしまう。値段を価値とするなら正妻たちの価格はかなり不平等にできている。もちろん楽器の値段で音色が決まるわけではない。
みんな寿命は長くはない。扱いも丁寧でない事もあるが、僕の要求が時に激しい事も多く、物にもよるが15年を超えると音が良くても楽器自体が傷だらけになって来る。響板の剥がれ、割れなどが頻度を増してくる。だったら古いものを大事に直しながら使うことより、次の世代にバトンタッチしていく事も大事な事だ。冷たいと思われるだろうが、結局一人で愛でるだけの妻たちではないので、それを聴いてもらい多くの人たちとの世界観を共有させると言う大きな務めがある。それが偏らないためにそれぞれ役割の違う妻たちがいるわけだ。
最初に話した通り、最近6人目の妻、アラビアからやって来たガタイの大きなウードが加わった。
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低い音で他の妻たちにはない肉感的で、情熱的で、官能的な面もある。口笛や歌と同じ様にフレットが無いから音と音の間を自由に飛回ることができる。最近ウードをフィーチャーした映像動画を作った。ぜひその音色をじっくり聴いて頂きたい。https://youtu.be/lSQ38Z0DEnE?si=yewE5u3Y_S-onIds
この役割の妻は初めてではない。同郷の出身でラウタと言う、もう少し音の高い愛人がいた。この人とは今もたまに逢っているが、ウードに比べるとやや線が細く、それはそれで良いところはあるが、出番は減ってしまった。たまに弾くだけなのに、あまり機嫌が悪くならず、クールな関係を保っている。
他にイラン系の三味線の先祖、セタール。響板部分が皮で出来ているタール。正妻では無い愛人だが、どれも個性的で唯一無二の世界観がある。
不謹慎にもこんな美しい妻たちを侍らせて、一人だけを選べなかったかと言うと、どの妻も万能ではないからた。
例えばヴァイオリンやピアノだと一人で色んな表現が出来てしまい、ある意味万能と言える。ならヴァイオリンやピアノで良いではないかと言うだろうが、それぞれの正妻たちの個性の豊かさは比べものにはならない。
コンサート中、例えば瞑想的なプログラムしかしないとか、激しい即興のみで終わるとか、単一な色合いなら一人で充分だろう。だが、一つの世界だけでは満足出来ないのは,色んな色彩、色んな世界、色んな表現をしたいからだ。
今後、生きているうちに妻の数はまた増えるかもしれない。でも正妻達はいつも可愛がっているから、いつもいい音で鳴いてくれる。自分が自分であり続けられるのはこの妻たちが居るお陰だ。

久々に動画をアップします。ウードをフィーチャーした映像動画です。
古代人の彼らが未来をどんな世界にしたかったか、思いを馳せ作りました。伴奏は前から温めて、ウードは即興一発録りです。オリエントの彼らが日本に来たかもしれない、そんな和の要素も取入れています。

自分たちが言うのも何ですが、お客さんの反応や感想を聞く限り、間違いなくロバの音楽座の最高のコンサートだったと思います。
見返してみると、本当に44年間が凝縮された、ベストなプログラムだったと思いました。
毎日この子屋で同じ構成で、ずっとやり続けたいと思いました。でもまたロバハウスでやれたらとも思います。
ロバの音楽座44周年
44ロバ祭チラシ1s
44ロバ祭チラシ2s


谷川俊太郎さんのお別れの会に招待され、行ってきました。
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(まず驚いたのは、遺影の写真はロバハウスで撮ったものです。)

帝国ホテル富士の間で、ロバからはもちろんがりゅうさんも招待されていました。
千人入る富士の間にかなりの人がごった返しでした。
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詩人のお別れの会らしく、スピーチに詩を読む人も多く、特にお孫さんの(92年生まれの)最も大事な谷川さんの詩、初めて孫ができた時、その子がお婆さんになるまでを見据えた詩の朗読には涙を誘いました。
最後は録音された谷川さんの読む「さよならは仮の言葉」、そして最後はやはり「二十億光年の孤独」、これに賢作さんのピアノが入り、本当に俊太郎さんが宇宙に旅立って行く光景が見えた様でした。
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何よりなのは、遺影の写真を始め、スライドに映し出された多くの写真はロバハウスでの写真や、ロバハウスライブの時の写真がかなり多かったです。
遺影を含め、いつも谷川さんの写真を撮っている深堀瑞穂さんと話しましたが、ロバとのひと時が一番リラックスしていたと言っていました。打ち上げの時も僕らが肩肘張って話す芸術論も、面白がって楽しそうに見ていたとの事でした。

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ハーディガーディを弾く俊太郎さん
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ロバハウスライブにて
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ロバハウスライブにて
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賢作さんとがりゅうさん

ロバと関わった事で谷川さんと関われた事は、僕にとって宝の様な出来事でした。死についても「ちょっと怖いけど楽しみ」と言うほど、物の見方、想像力の巨人だと思います。ある意味、お坊さんの説法以上に色々考えされられたり、新しい発見を気付かされたり、その辺りが誰からも愛される所だと思います。

君たちはどう生きるか3

色々「難解だ」「モヤモヤした気分だ」などと言われた、宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」。劇場で見逃したが、今回ようやくテレビ放映があり、その全容を観ることができた。
予想を裏切って素晴しかった。僕が知る限り宮崎映画の最高峰だと思っている。
確かにストーリーや、作者はなにを言いたかったとか、そんな目で観ればさっぱり解らない。僕は吉野源三郎氏の著書は読んだことはないが、たぶん同タイトルの本とは殆ど関係ないと推測できる。映画は「どう生きるか」がテーマでなく、非現実世界か空想か夢の世界をアドベンチャーしている訳で、どちらかと言えば「どう死と向き合うか」に近いと思う。
この映画に子どもの共感を得る要素はないかも知れない。少なくともエンターティナーではない。ただ僕は直感的になに何かを感じれる子どもなら充分に面白く観られる作品だと思う。その意味では「風立ちぬ」より解りやすいと思う。
つまりブニュエルやフェリーニの映画、ダリや岡本太郎の造形作品のように「なんじゃこりゃあ」と思うようなものを、「訳わからん」と切り捨てるか、「解らないけど面白い」と感じられるか、そんな感覚に近いような気がする。
ジブリ作品に宮崎監督以外の監督作品も多いが、ヒロインやキャラクターが似ていても宮崎作品の絵の動きやアングルは意外性だらけで予測が付かない。絵として面白いから次から次へと観ていて飽きることはない。主人公の着替え一つ観ていても飽きない。
君たちはどう生きるか2


アニメーション作家は結局、絵が命を持ちそれが絵の世界の中で感情を持ち、それが寄り集って物語が出来ることに最大の喜びを感じることだと思う。ただそれを完成させるためには途轍もなくお金がかかり、興行収入が必要で多くの人に共感をしてもらわなければならない。今回はそういう縛りから解き放たれ、本当に作りたいように自由に作った感が強い。
かと言って、果してそこまでわかりにくい作品なんだろうか?僕は大ざっぱに言ってしまえば「こころの冒険」だと思っている。現代は、と言うか大人の世界はお化けなんて存在しないし、神様も実在しない、超能力も霊も存在しないと多くは仮定しているけど、昔の人間や子どもには森の中にものの怪がいたり、屋敷には幽霊や人外がいて呪われたり、悪い事をすれば神様に祟られていた。そんな世界を映像化したものと思っている。
久石氏の音楽も心理とは別の観点から絵に入り込み、少ない音数で巧みに的確に背景を描いていたと思う。米津玄師のエンディングテーマは嫌いじゃあないんだけれど、ちょっと現実感が強くて、もう少し不思議な世界観の余韻が欲しかった。
映画のシーンとしては盛りだくさんで、2時間ちょっとの映画に無理やり詰込んだ感があるが、もう少し要素を減らしてじっくり観せられればもっと良いと思うのだが、それでも「千と千尋」より僕は面白いと思う。皆さんはどうでしょうか?
君たちはどう生きるか

フェリーニの「カサノバ」の公開時も賛否が起きました。「道」を観て共に感動した演劇を目指している友人と観に行きました。
友人は途中で怒り出しました。なんで「道」の様な映画を作る人がこんな映画を作るんだって。
僕は面白くてまた観に行った口なのですが、当時は僕が面白かった事を友人には伝えられなかったです。

それにしても凄いキャスティングでした。あのお婆さん達の一人一人にそこまでの凄いキャストが必要だったのかと言いたくなるほど。台詞も7人で割るとほとんど無いのに。エンターテイメントでない事をそう言ったところでカバーしたかったのでしょうか?
それにしてもあのお婆さんたちと、横たわった義母の姿は白雪姫と7人の小人を連想してしまうのは僕だけでしょうか?

君たちはどう生きるか4


今日は毎年第一生命ホールで30年続続いている、山下洋輔ソロピアノコンサートに行ってきました。
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いやあ素晴らしかったです。80を超えたとはとても思えない演奏だと思います。
800席近いホール満員のお客様を前に、本当に自由に自分の弾きたい曲を好きな様に弾いているといった、トリオの頃のあの激しさを忘れてしまう様なロマンチックな選曲でした。

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3年前にも同じコンサートに来て何曲か同じ春のナンバーを聴きましたが、違ったアプローチで新鮮でした。柔らかく転がる様な音が束になって丸まってしなやかで、それが何重にも重なって、万華鏡でも観ている様な世界観がありました。特にアンコールの鳥の歌もとても良かったです。全体的に爽やかな春を感じました。
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終わってから洋輔さんにもお会いしたかったですが、さすがにこの人数では無理と悟り、帰って来ました。昔(コロナ前)なら楽屋の前に行って逢えたのですが。
隅田川の桜が満開で綺麗だったです。良い一日となりました。
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話は60年前に遡る。日曜日の夕方6時から「てなもんや三度笠」という人気番組があった。藤田まことの「あたり前田のクラッカー」で有名だが、地図好きの小学校3年生くらいの僕はこの「東海道五三次」にとても興味があった。ちょうど一年が52〜53週あるので、番組としては一年で完結するようになっている。一話に一宿場、確かその土地土地の名産品が現れ、その地の特徴をちゃんと話題に盛りこんでいた。
ちょうどそれを観ていたとき、親父が広重の五十三次の何枚かの絵のプリントを僕にくれた。新聞のオマケかなんかだったと思う。それと重ねて持っていた宿場の絵の箇所になると、番組のドタバタとは別なところでワクワクしてその回を迎えて観ていた。
特によく覚えているのは庄野の雨の絵、由比ヶ浜、興津、亀山の雪、これが版画で作られているなんて随分後になって知ったのだが、とにかく浮世絵は心が落ち着く美しいものだとと思わされた。

この広重の五十三次が司馬江漢の絵を元にしたと言う説があると言う話を、贋作師を主人公とした漫画で読んだ事があった。
司馬江漢と言えばみなもとたろうの「風雲児たち」に登場する、源内の弟子だが性格が悪く暗い、ペテン師、偏屈オヤジと言う印象しかなかったが、絵を見るとなるほどただものではない。源内の流れを汲む遠近法を使った西洋画だが、その風情、味わい、逆に西洋画にはない独特のものだと思う。やはり源内譲りの本草学をベースにしているので動植物の描き方が本物に忠実だ。これはのちの牧野富太郎博士に通じるものなんだろう。
因みに江漢はあの頃に既に地動説を唱え、日本で最初にエッチングを始め、前回取り上げたマルチクリエーターの一人だと思う。
この広重の元絵が司馬江漢と言う説を唱えたのは次の本が最初らしい。
對中 如雲著、「広重東海道五十三次の秘密: 新発見、その元絵は司馬江漢だった 」と言う長いタイトルだが、当然広重ファンから強烈な批判を受けたらしい。中には司馬江漢の絵自体が贋作だと言い出す人もいる。

広重東海道五十三次の秘密
時列で言えば司馬江漢は広重より半世紀前の人であり、司馬江漢が東海道五十三次を書いてから30年くらい経って広重が東海道五十三次を描いている。しかも広重は江戸から出た事がないと言う話は有名だ。明治になってから司馬江漢を名乗って広重が真似たと仕組んだと言う説もあるが、だったら広重の贋作を作った方が割りに合う。こんな似た様で違う精密な絵をわざわざ仕込むようなフェイク画を作っても、この時代に多量の再生数で稼げる訳でもない。
自然に考えて広重は江漢の絵を元に描いたのだと思う。


庄野
ただ、絵としての風合い、配色、面白さ、これは優劣がつけ難い。つまり僕流に言わせて貰えば、洋楽器と和楽器の違いだと思う。確かに構図は江漢を真似たものかも知れないが、当時は構図を真似ることはそこまで問題にされなかったと思う。写真のない時代、広重としては観たことのない情景を頼る事が自然であったろうし、空想で情景を描くわけにはいかなかったと思う。
あまり絵画は比べるものではないが、江漢の絵も素晴らしいが、広重の拘る部分はちゃんと前面に出て来ているし、60年前に感じた素晴らしい何かは広重の中にはっきりと見出せる。
四日市

音楽で言えば、ビゼーは歌劇「カルメン」を作る際にスペインには足を踏み入れたことはなく、図書館や友人の情報でスペイン音楽を調べ、あの超大作オペラを作った。有名なハバネラは完全にスペインの作曲家の盗作騒ぎになり、ビゼーのスコアの中に「Imitated from a Spanish Song」という注釈が付いている。
ビゼーの場合は歌手が原曲を歌いたがらなかったという事情があったのだが、それはさておき、音楽の模倣や盗作という概念も難しい。
確かにメロディは音楽の中心のアウトラインだ。ある人が作曲したメロディを真似するのは著作権の問題だけでなく許されないが、そのメロディの出どころさえハッキリすればカバーやアレンジしたことで料理の仕方に個性があれば問題はないし売れもする。まあ、著作権料は作曲者にしか行かないが。
しかし絵の場合は模写となり、価値は本物と比べようがないが、本物と見間違える程のものほど称賛される。似てないものは下手と言われる。それは音楽では似ていればいるほど、モノマネという事になる。
同じモチーフを使って違う描き方をするなんて事があったって良いではないか。ビートルズの歌をカーペンターズが歌えば、よりその素材の料理の仕方が妙となる。
広重は構図が江漢を元にしていたとしても、その料理の仕方が実に巧みだと思う。真似をしたと言うよりはその素材を元に広重流にアレンジ、もしくはカバーしたと言う方が正しいだろう。

桑名
比べてみれば江漢の五十三次ぎは新鮮ではあるが、60年前の僕が観て、そこまで気に入ったかどうかはわからない。江漢の方がある意味写真の様に正確さがあるが、広重の方はデフォルメがあり、可笑しみがあり、人間味がある。
良い素材は、真似たとか、盗作したとか言う次元ではなく、良くなるんであればどんどんバージョンアップしていけば良いと思う。この時邪魔になるのは著作権なのだが、それに関して自分も協会に入っている身なので何も言えない。

因みにこの記事をFaceBookに投稿したら、作曲料後輩の荒井君から水木しげる先生の『妖怪道五十三次』の存在を教えてもらった。
これこそ見事なカバーですね。水木しげるは53枚全部描いた様です。
妖怪四日市
妖怪庄野

20歳過ぎた頃に作った、とある詩にインスパイアされて作ったピアノ曲。
初演から半世紀が過ぎて、連弾用のピアノ曲に改作したものです。

実際に連弾で弾いてみたい方は、こちらに連絡して下さい。 https://www.tessey49.com/contact

ミュージカル「ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ」とても評判良く、2年目で再演です。
今年はとちぎテレビの主催でとちぎテレビで放映もされます。
原作のいわむらかずおさんが亡くなられたばかりで、追悼の気持で精一杯心を込め気持を一つに稽古に邁進しています。
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25年版「ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ」ソング・アラカルトというプロモ的なものを作りました。
宇都宮文化会館大ホール公演事前動画。本番35日前のリハを歌を中心に録りました。
今回のリハは衣装も照明も生オケもなく、振付けも指導中です。写真は2年前の初演の時のもので、動画は今回のものです。歌を中心にアラカルトしています。
あらかじめ音楽を耳に馴染ませておいてから本番を観ると、より楽しく観られると思いこの動画を作りました。茂木の方々、栃木の方々の素晴しい歌声をお楽しみ下さい。
(YouTubeから入るとチャプターが付いて好きな歌にジャンプします。)





特に最後の「 ♫同じ夢の中で」はぜひ覚えていただき、ぜひ一緒に歌って下さい。
最後のゲネプロのアンコールの
「 ♫同じ夢の中で」のリハです。皆さんの思いが伝わってきます。

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「ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ」
原作・絵本:いわむらかずお
脚本/演出:江藤 寛 作曲:上野哲生
音楽総監督:黒子和志  副監督:豊田尚史  振付け・指導:小川和代
特別出演:村山哲也  小倉伸一  村山啓子  小川和代ジャズダンスカンパニー 
制作・出演:もてぎde演劇を創る会  代表:都野祐俊 
写真提供:鶴田さとみ  録音・動画編集:上野哲生


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とちぎテレビで放映もありますした。生演奏の小オケが付きます。
小林清美(Pf) 栗田智水(Fl) 大塚裕一(Perc) 八溝山アンサンブル





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