Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

カテゴリ: 文化・芸術

谷川俊太郎さんのお別れの会に招待され、行ってきました。
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(まず驚いたのは、遺影の写真はロバハウスで撮ったものです。)

帝国ホテル富士の間で、ロバからはもちろんがりゅうさんも招待されていました。
千人入る富士の間にかなりの人がごった返しでした。
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詩人のお別れの会らしく、スピーチに詩を読む人も多く、特にお孫さんの(92年生まれの)最も大事な谷川さんの詩、初めて孫ができた時、その子がお婆さんになるまでを見据えた詩の朗読には涙を誘いました。
最後は録音された谷川さんの読む「さよならは仮の言葉」、そして最後はやはり「二十億光年の孤独」、これに賢作さんのピアノが入り、本当に俊太郎さんが宇宙に旅立って行く光景が見えた様でした。
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何よりなのは、遺影の写真を始め、スライドに映し出された多くの写真はロバハウスでの写真や、ロバハウスライブの時の写真がかなり多かったです。
遺影を含め、いつも谷川さんの写真を撮っている深堀瑞穂さんと話しましたが、ロバとのひと時が一番リラックスしていたと言っていました。打ち上げの時も僕らが肩肘張って話す芸術論も、面白がって楽しそうに見ていたとの事でした。

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ハーディガーディを弾く俊太郎さん
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ロバハウスライブにて
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ロバハウスライブにて
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賢作さんとがりゅうさん

ロバと関わった事で谷川さんと関われた事は、僕にとって宝の様な出来事でした。死についても「ちょっと怖いけど楽しみ」と言うほど、物の見方、想像力の巨人だと思います。ある意味、お坊さんの説法以上に色々考えされられたり、新しい発見を気付かされたり、その辺りが誰からも愛される所だと思います。

君たちはどう生きるか3

色々「難解だ」「モヤモヤした気分だ」などと言われた、宮崎駿の最新作「君たちはどう生きるか」。劇場で見逃したが、今回ようやくテレビ放映があり、その全容を観ることができた。
予想を裏切って素晴しかった。僕が知る限り宮崎映画の最高峰だと思っている。
確かにストーリーや、作者はなにを言いたかったとか、そんな目で観ればさっぱり解らない。僕は吉野源三郎氏の著書は読んだことはないが、たぶん同タイトルの本とは殆ど関係ないと推測できる。映画は「どう生きるか」がテーマでなく、非現実世界か空想か夢の世界をアドベンチャーしている訳で、どちらかと言えば「どう死と向き合うか」に近いと思う。
この映画に子どもの共感を得る要素はないかも知れない。少なくともエンターティナーではない。ただ僕は直感的になに何かを感じれる子どもなら充分に面白く観られる作品だと思う。その意味では「風立ちぬ」より解りやすいと思う。
つまりブニュエルやフェリーニの映画、ダリや岡本太郎の造形作品のように「なんじゃこりゃあ」と思うようなものを、「訳わからん」と切り捨てるか、「解らないけど面白い」と感じられるか、そんな感覚に近いような気がする。
ジブリ作品に宮崎監督以外の監督作品も多いが、ヒロインやキャラクターが似ていても宮崎作品の絵の動きやアングルは意外性だらけで予測が付かない。絵として面白いから次から次へと観ていて飽きることはない。主人公の着替え一つ観ていても飽きない。
君たちはどう生きるか2


アニメーション作家は結局、絵が命を持ちそれが絵の世界の中で感情を持ち、それが寄り集って物語が出来ることに最大の喜びを感じることだと思う。ただそれを完成させるためには途轍もなくお金がかかり、興行収入が必要で多くの人に共感をしてもらわなければならない。今回はそういう縛りから解き放たれ、本当に作りたいように自由に作った感が強い。
かと言って、果してそこまでわかりにくい作品なんだろうか?僕は大ざっぱに言ってしまえば「こころの冒険」だと思っている。現代は、と言うか大人の世界はお化けなんて存在しないし、神様も実在しない、超能力も霊も存在しないと多くは仮定しているけど、昔の人間や子どもには森の中にものの怪がいたり、屋敷には幽霊や人外がいて呪われたり、悪い事をすれば神様に祟られていた。そんな世界を映像化したものと思っている。
久石氏の音楽も心理とは別の観点から絵に入り込み、少ない音数で巧みに的確に背景を描いていたと思う。米津玄師のエンディングテーマは嫌いじゃあないんだけれど、ちょっと現実感が強くて、もう少し不思議な世界観の余韻が欲しかった。
映画のシーンとしては盛りだくさんで、2時間ちょっとの映画に無理やり詰込んだ感があるが、もう少し要素を減らしてじっくり観せられればもっと良いと思うのだが、それでも「千と千尋」より僕は面白いと思う。皆さんはどうでしょうか?
君たちはどう生きるか

フェリーニの「カサノバ」の公開時も賛否が起きました。「道」を観て共に感動した演劇を目指している友人と観に行きました。
友人は途中で怒り出しました。なんで「道」の様な映画を作る人がこんな映画を作るんだって。
僕は面白くてまた観に行った口なのですが、当時は僕が面白かった事を友人には伝えられなかったです。

それにしても凄いキャスティングでした。あのお婆さん達の一人一人にそこまでの凄いキャストが必要だったのかと言いたくなるほど。台詞も7人で割るとほとんど無いのに。エンターテイメントでない事をそう言ったところでカバーしたかったのでしょうか?
それにしてもあのお婆さんたちと、横たわった義母の姿は白雪姫と7人の小人を連想してしまうのは僕だけでしょうか?

君たちはどう生きるか4


今日は毎年第一生命ホールで30年続続いている、山下洋輔ソロピアノコンサートに行ってきました。
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いやあ素晴らしかったです。80を超えたとはとても思えない演奏だと思います。
800席近いホール満員のお客様を前に、本当に自由に自分の弾きたい曲を好きな様に弾いているといった、トリオの頃のあの激しさを忘れてしまう様なロマンチックな選曲でした。

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3年前にも同じコンサートに来て何曲か同じ春のナンバーを聴きましたが、違ったアプローチで新鮮でした。柔らかく転がる様な音が束になって丸まってしなやかで、それが何重にも重なって、万華鏡でも観ている様な世界観がありました。特にアンコールの鳥の歌もとても良かったです。全体的に爽やかな春を感じました。
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終わってから洋輔さんにもお会いしたかったですが、さすがにこの人数では無理と悟り、帰って来ました。昔(コロナ前)なら楽屋の前に行って逢えたのですが。
隅田川の桜が満開で綺麗だったです。良い一日となりました。
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話は60年前に遡る。日曜日の夕方6時から「てなもんや三度笠」という人気番組があった。藤田まことの「あたり前田のクラッカー」で有名だが、地図好きの小学校3年生くらいの僕はこの「東海道五三次」にとても興味があった。ちょうど一年が52〜53週あるので、番組としては一年で完結するようになっている。一話に一宿場、確かその土地土地の名産品が現れ、その地の特徴をちゃんと話題に盛りこんでいた。
ちょうどそれを観ていたとき、親父が広重の五十三次の何枚かの絵のプリントを僕にくれた。新聞のオマケかなんかだったと思う。それと重ねて持っていた宿場の絵の箇所になると、番組のドタバタとは別なところでワクワクしてその回を迎えて観ていた。
特によく覚えているのは庄野の雨の絵、由比ヶ浜、興津、亀山の雪、これが版画で作られているなんて随分後になって知ったのだが、とにかく浮世絵は心が落ち着く美しいものだとと思わされた。

この広重の五十三次が司馬江漢の絵を元にしたと言う説があると言う話を、贋作師を主人公とした漫画で読んだ事があった。
司馬江漢と言えばみなもとたろうの「風雲児たち」に登場する、源内の弟子だが性格が悪く暗い、ペテン師、偏屈オヤジと言う印象しかなかったが、絵を見るとなるほどただものではない。源内の流れを汲む遠近法を使った西洋画だが、その風情、味わい、逆に西洋画にはない独特のものだと思う。やはり源内譲りの本草学をベースにしているので動植物の描き方が本物に忠実だ。これはのちの牧野富太郎博士に通じるものなんだろう。
因みに江漢はあの頃に既に地動説を唱え、日本で最初にエッチングを始め、前回取り上げたマルチクリエーターの一人だと思う。
この広重の元絵が司馬江漢と言う説を唱えたのは次の本が最初らしい。
對中 如雲著、「広重東海道五十三次の秘密: 新発見、その元絵は司馬江漢だった 」と言う長いタイトルだが、当然広重ファンから強烈な批判を受けたらしい。中には司馬江漢の絵自体が贋作だと言い出す人もいる。

広重東海道五十三次の秘密
時列で言えば司馬江漢は広重より半世紀前の人であり、司馬江漢が東海道五十三次を書いてから30年くらい経って広重が東海道五十三次を描いている。しかも広重は江戸から出た事がないと言う話は有名だ。明治になってから司馬江漢を名乗って広重が真似たと仕組んだと言う説もあるが、だったら広重の贋作を作った方が割りに合う。こんな似た様で違う精密な絵をわざわざ仕込むようなフェイク画を作っても、この時代に多量の再生数で稼げる訳でもない。
自然に考えて広重は江漢の絵を元に描いたのだと思う。


庄野
ただ、絵としての風合い、配色、面白さ、これは優劣がつけ難い。つまり僕流に言わせて貰えば、洋楽器と和楽器の違いだと思う。確かに構図は江漢を真似たものかも知れないが、当時は構図を真似ることはそこまで問題にされなかったと思う。写真のない時代、広重としては観たことのない情景を頼る事が自然であったろうし、空想で情景を描くわけにはいかなかったと思う。
あまり絵画は比べるものではないが、江漢の絵も素晴らしいが、広重の拘る部分はちゃんと前面に出て来ているし、60年前に感じた素晴らしい何かは広重の中にはっきりと見出せる。
四日市

音楽で言えば、ビゼーは歌劇「カルメン」を作る際にスペインには足を踏み入れたことはなく、図書館や友人の情報でスペイン音楽を調べ、あの超大作オペラを作った。有名なハバネラは完全にスペインの作曲家の盗作騒ぎになり、ビゼーのスコアの中に「Imitated from a Spanish Song」という注釈が付いている。
ビゼーの場合は歌手が原曲を歌いたがらなかったという事情があったのだが、それはさておき、音楽の模倣や盗作という概念も難しい。
確かにメロディは音楽の中心のアウトラインだ。ある人が作曲したメロディを真似するのは著作権の問題だけでなく許されないが、そのメロディの出どころさえハッキリすればカバーやアレンジしたことで料理の仕方に個性があれば問題はないし売れもする。まあ、著作権料は作曲者にしか行かないが。
しかし絵の場合は模写となり、価値は本物と比べようがないが、本物と見間違える程のものほど称賛される。似てないものは下手と言われる。それは音楽では似ていればいるほど、モノマネという事になる。
同じモチーフを使って違う描き方をするなんて事があったって良いではないか。ビートルズの歌をカーペンターズが歌えば、よりその素材の料理の仕方が妙となる。
広重は構図が江漢を元にしていたとしても、その料理の仕方が実に巧みだと思う。真似をしたと言うよりはその素材を元に広重流にアレンジ、もしくはカバーしたと言う方が正しいだろう。

桑名
比べてみれば江漢の五十三次ぎは新鮮ではあるが、60年前の僕が観て、そこまで気に入ったかどうかはわからない。江漢の方がある意味写真の様に正確さがあるが、広重の方はデフォルメがあり、可笑しみがあり、人間味がある。
良い素材は、真似たとか、盗作したとか言う次元ではなく、良くなるんであればどんどんバージョンアップしていけば良いと思う。この時邪魔になるのは著作権なのだが、それに関して自分も協会に入っている身なので何も言えない。

因みにこの記事をFaceBookに投稿したら、作曲料後輩の荒井君から水木しげる先生の『妖怪道五十三次』の存在を教えてもらった。
これこそ見事なカバーですね。水木しげるは53枚全部描いた様です。
妖怪四日市
妖怪庄野

20歳過ぎた頃に作った、とある詩にインスパイアされて作ったピアノ曲。
初演から半世紀が過ぎて、連弾用のピアノ曲に改作したものです。

実際に連弾で弾いてみたい方は、こちらに連絡して下さい。 https://www.tessey49.com/contact

ミュージカル「ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ」とても評判良く、2年目で再演です。
今年はとちぎテレビの主催でとちぎテレビで放映もされます。
原作のいわむらかずおさんが亡くなられたばかりで、追悼の気持で精一杯心を込め気持を一つに稽古に邁進しています。
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25年版「ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ」ソング・アラカルトというプロモ的なものを作りました。
宇都宮文化会館大ホール公演事前動画。本番35日前のリハを歌を中心に録りました。
今回のリハは衣装も照明も生オケもなく、振付けも指導中です。写真は2年前の初演の時のもので、動画は今回のものです。歌を中心にアラカルトしています。
あらかじめ音楽を耳に馴染ませておいてから本番を観ると、より楽しく観られると思いこの動画を作りました。茂木の方々、栃木の方々の素晴しい歌声をお楽しみ下さい。
(YouTubeから入るとチャプターが付いて好きな歌にジャンプします。)





特に最後の「 ♫同じ夢の中で」はぜひ覚えていただき、ぜひ一緒に歌って下さい。
最後のゲネプロのアンコールの
「 ♫同じ夢の中で」のリハです。皆さんの思いが伝わってきます。

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「ひとりぼっちのさいしゅうれっしゃ」
原作・絵本:いわむらかずお
脚本/演出:江藤 寛 作曲:上野哲生
音楽総監督:黒子和志  副監督:豊田尚史  振付け・指導:小川和代
特別出演:村山哲也  小倉伸一  村山啓子  小川和代ジャズダンスカンパニー 
制作・出演:もてぎde演劇を創る会  代表:都野祐俊 
写真提供:鶴田さとみ  録音・動画編集:上野哲生


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とちぎテレビで放映もありますした。生演奏の小オケが付きます。
小林清美(Pf) 栗田智水(Fl) 大塚裕一(Perc) 八溝山アンサンブル





大河ドラマは久々に江戸の中期が舞台になったが、主役ではないが初回からよく登場する平賀源内はこの時代の最も興味のある人物だ。

源内
この博物学に長け、蘭学に長け、絵画はハンパない洞察を持ち、小説を書かせれば面白い、発明とは言えないがエレキテルのようなものを作ってしまうし、コピーライターや企画者としては至る所に現代まで残るものを考案するマルチクリエーター的な存在は、万能の天才=レオナルド・ダ・ビンチを彷彿させる。
エレキテル

ルネサンスにはダ・ビンチ以外に、ミケランジェロ、デュラー、マキャベリみたいなマルチな才能を持つ人間は多く居たが、日本でも源内まで有名ではないが源内を超えるとまでいわれる柳沢 淇園(やなぎさわ きえん)通称=柳里恭という人物もいる。博学にして多芸多才であり武芸百般に通じて、文武・諸芸に優れ、篆刻・煎茶・琴・笛・三味線・医術・仏教など、武は剣術・槍術・弓術・馬術・指揮法までこなし、人の師なったのは16項目もあったとされていたらしい。
室町時代の水墨画家である能阿弥も連歌師、表具師、鑑定家でもありマルチな才能の持ち主で、座敷飾り、茶道、華道、香道など日本文化の礎となっており、彼がいなかったら千利休もいなかったかもしれないとまで言われている。
その昔は安倍晴明や空海もマルチクリエーターと言えるだろうし、現代では戯曲、演技、ダンス、音楽、映画までほぼ一人の発想で作り上げたチャップリンは個人的には最も尊敬する。
現代においてこう言ったマルチ人間は少なくなった。分業化が進み専門家は持て囃されるが、2足以上ののわらじを履くような人は大成が難しい。野球界だって大谷のような「投げる」「打つ」「走る」全てが一流なマルチプレイヤーをなかなか認めてこなかった。現代ではどちらかと言えば頑なな職人気質の方がどうしても上で、梶原一騎の原作のように○○一筋というのが、近代の美学のようだ。
音楽界は多くの場合作曲家、作詞家、編曲家、歌手、演奏家は大概の場合別々だ。音楽業界はこれにプロデュース、録音、映像、デザイン、配信など色んな要素が加わる。
それでも最近の音楽業界の変化は、ミュージシャンがこれらを一人でこなす、いや、こなさざるを得ない事が多くなった。無名のミュージシャンが売れるためにはPCを使いこなし、一台で曲づくりから録音、配信までそれらを全て一人でやるところから始めてプロミュージシャンになっていくスタイルが多い。米津 玄師、ADO、YOASOBI、Mrs. GREEN APPLE.挙げればキリが無い。PC=パーソナルコンピューターはそういった意味で時代を変えた。
衆鱗図
自分もマルチな音楽家だと思う。音楽をやっていれば色んな楽器を触りたくなる。曲を作ってみたくなればそれを録音して自分の好みのミキシングで人に聴かせたいと思う。映像付きなら尚更面白い。結局、人間の興味は次から次へと数珠繋ぎのように尽きることがない。自分がもう少し売れっ子であれば好きなだけ金をかけ、時間をかけ、ジャンルやカテゴリーに拘らない、一人で自由なものを生みだしていたかも知れない。
でも結局、平賀源内も自由に色んな事をやりたいがそのための金はなく、逆に借金に追われ、帰って不自由になり凶運にも見舞われ、その焦りと不安定な精神から人を殺めてしまう。
悲しいかな、源内の場合は殆どの業績が中途半端な形でしか残せなかった。何枚かの絵と戯曲、そして「土用の鰻」くらいかもしれない。源内がもし現代のPCを一台持っていたら、あらゆる情報をストックし、大量の研究資料も作品も自己流で配信し、日本の産業や方向性も大きく変えていったに違いない。それでも彼のイノベートな生き様が江戸人に与えた影響は大きかったと思う。
あれだけ発明好きで様々な分野で新しいものを作ってきた日本人は、現代ではイノベーション指数が世界で13位というくらいに落ちた。これから日本を救う人間は源内のようなマルチな興味と視点を持った人間をサポートして行くことが大事だと思うのだが。

司馬江漢
源内が秋田藩に西洋画を教え、そこで学んだ小田野直武が司馬江漢に西洋画を教え、
おそらく西洋画をほとんど観ていない司馬江漢にこんな絵が描けた。

聞いた話しでは落語にまで影響を及ぼしていたらしい。
讃岐の出だけれど、常に源内を描くドラマは江戸出身であるが如くの口調で話しているのが可笑しい。
逆に江戸の粋な風情とは源内から始まって、それがいつからか定着してしまったかも知れない、とは飛躍し過ぎか?

カテリーナの2月1〜3日の鹿児島、福岡、大分公演は、様々なステージをやってきた中で、僕にとって生涯忘れることの出来ない公演となった。

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もちろん昔の懐かしい顔にも沢山会えたが、知らない人からも沢山声をかけられ、「来て良かった」「言い表わせないほど感激した」などと賛美の嵐だった。
それは決して我々の鍛錬の賜でも無ければ、その日の演奏が格段に良かったわけではないと思う。むしろ九州のお客さんの食入るような目と耳と、ストレートな反応に我々が触発され、かつて無いほど演奏の精度を引上げてくれたのだと思う。
それはまるで音が真綿の中に染みこんでいくような、そんな光景が目の前を過った。
なんだろう。一つには今回どの会場も古楽器に適したとても響きの良い会場だったのがあるだろう。古楽器の多くはそれ自体の音は小さく、場を響かせるようなパワーは無い。西洋の寺院、中東のモスク、あるいは王宮で奏でられたような優しい音色はその場の響きと共にあるべきだろう。このような場に続けて演奏できた事は賞賛に値する。
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また、九州の気質もあるのかも知れない。九州以外の人たちの前でも色々演奏をしてきたけれど、座長一座などで芸能に慣れている環境があるのだろうか、どう伝わっているのか、その拍手の仕方やタイミングでどう感じたのかがこちらに伝わってくる。それに答えるべく最高の音を提供しなければと一音に魂を込める。それがまた伝わり拍手の返しの相乗作用で更に高みに向っていく。それは結果、東京でも東北でも関西でも同じなのだが、九州人の前での公演は自信を付けるきっかけを作ってくれる事が多い。
そして今回福岡、大分はクラシック向けの会場だったが、そんな場所で我々の立ち位置が再確認できた。曲にもよるが、毎日同じプログラムでありながら、まったく同じ演奏がない。固定された譜面に書表わすことは意味がない、自由で何が起るか解らない、古楽器でありながら、ジャズやロックに近いスタンスを取っている。ある時は酒場の音楽、ある時は敬虔な信仰の音楽、ある時は西洋と相対する異民族の音楽、古楽器で蟻ながら色んな情景、色んな音が混在する、あらゆるジャンルにも属さないとんでもない合奏団と言わざるを得ない。それが伝わっているのが解るのが今回の大収穫だった。
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こんなに口々に「良かった、良かった」と言ってくれて、我々も本望だが、終ってから舞台に上がり、しばらく楽器の前から離れない多くの興味に満ちた人たちに囲まれて、楽器も本望だったろう。カテリーナに参加して47年、世界はまだこの面白さを知らない人だらけなわけで、もっともっと知らせていかなければならないという掲示を受けたような気持になった。クラシックでもロックでもジャズでもポップスでもない、古楽の世界はまだこの世に始ったばかりなのだと思い知らされた気分だった。

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来ていただいた皆さん、本当にあたたかな声援、ありがとうございます。
そしてサポートして頂いた、しょうぶ学園、前村さん、産の森の皆さん、鹿児島、福岡、大分の劇場の皆さん、まだまだ書ききれませんが、本当にありがとうございます。

生れて初めて書店に並ぶ本を書きました。ある程度決った筋道に則った企画(シリーズもの)の中での執筆ですが、皆さん、きっと不思議に思われるのは本職の西洋古楽器のジャンルではなく、「和の音楽」だという事です。
これは「イチから知りたい 日本のすごい伝統文化」シリーズの第5弾で「はじめての相撲」「はじめての落語」「はじめて茶道」「はじめての歌舞伎」につづくものです。どちらかと言えば小学校3年くらいから読める本で、全てカナが振ってあります。他のシリーズはすでに人気があり、子どもでもその道の専門家を目指すきっかけになったという話しも聞きます。
他の本と違って難しいのは、まず音楽というものを文章で伝えることです。他の4冊はせいぜい数百年の歴史で、言葉や所作、しきたり、伝統を伝えることですが、音楽、それも神話の時代から現代まで、貴族から武士から民衆から、歴史も解っていない子どもたちにも解るように何を伝えるかが大変な作業でした。広く漏さず伝えようとすると歴史の勉強ばかり伝えなければならず、何かをピックアップすれば、今度は載らなかったジャンルの方からのクレームに合うかも知れません。そもそも僕が書く以上は海外との楽器の伝搬などに触れたくなりますが、あまり突っ込みすぎると編集の方から「難しすぎ!」と直されてしまいます。「ドローン」や「即興」という言葉も説明が難しすぎるという事でカットされました。あと、ひと項目に書く字数は500文字くらいまでとの制限があり、一つの楽器を取ってもこの文字数に収まるほど浅くはないのです。
僕自身和の音楽に関して、箏曲など和の音楽のあるジャンルの作曲依頼はあるものの、学者ではないので全般を体系的に網羅することは出来ませんが、離れた位置から音楽というもの全般を見渡すことは出来るかも知れないと思い、執筆を引受けました。
足らないところはイラストなどで補ってくれますが、構成やデザインまでは関与していません。
難しい部分は編集の方で直してくれるのは良いのですが、意味が合っていても本来のニュアンスと違ってしまうのは避けられないところです。実際に言回しで、こちらが間違った認識を持ってると受取りかねない部分もありました。
それでも、この小さな本の中によくもこの和の音楽という広大なジャンルが納まったなと感心します。きっと他の人が書くより中東やルネサンス・西洋音楽との比較の話しが多いと思います。リュートやウードなどの話も出て来ます。ピタゴラスも安倍晴明も紫式部も童謡もYOASOBIも武満徹も登場します。
一般の音楽の先生が読んでも、初めて知ることも多いと思います。少し偏った入門書でありますが、QRコードでこちらの用意した音源やフリーの音も聴けます。生演奏もしています。本当は著作権問題がなければ本物の演奏や映像とリンク出来ればと思います。売れたら徐々にその辺りにお金をかければさらに良いものになると思います。
書店に並ぶと思いますので、皆さん、ぜひ一度お手にとって眺めてください。
8/26発売開始です。Amazonで1980円、このリンクから購入可能です。出版社:すばる舎
単行本:136ページ ISBN-10:4799112570  ISBN-13:978-4799112571

和の音楽表紙
和の音楽プレビュー

自然の中で音に耳をすます。音を探す。木や鳥たちと音で会話する。
そもそもこんなにアウトドアから縁遠い僕みたいな人間が、ミュージックキャンプなどと言うものをよくも参加し続けてきたことと思う。個人的な事を言えば子どもと話題を共有することはとても苦手で、10分と相手をしてあげる事も出来ない。そんなことを思いながら、ロバの音楽座も含め、40年以上この活動に関わってきた訳だ。
音楽は教えるものではないと思っている。これはロバの学校を始めた頃と変っていない。教えないが、音楽を楽しめる、わくわくさせる、まだ聴いたことの無いような音の世界を体験させる、音楽やクリエィティブな作業をを無性にしたくなる。そんな環境を作る事くらいなら出来る。ただそんな出合いの場を作りたい。主宰のがりゅうさんはもっと先の展望を見据えているだろうが、僕にとってはそれだけが精一杯なのだろう。
子どもは元々生れながらにして音楽家だ。無心で歌う子どもの歌は何者も敵わない。何も表現していないのに涙が出てくる。そのままでいてほしい。そんな子どもたちに刺激を与えるのは複雑だ。けれど放っておけば人目を気にし、一般的な子どもの集団の中に埋れてしまう。素晴しい個性が溢れている子どもも、ただの何処にでもいる大人になってしまう。それはそれで仕方のないことかも知れないが、大人になって様々な夢や興味から離れて行ってしまう事に何か空しさを感じる人が居るに違いないと思ってしまう。
禅の世界では「悟り」を求めるのに「赤子の心になれ」と良く言われる。結局人間は赤ん坊から大人になる過程で、社会や生きて行く中で、様々な余計なものを背負わなければならない。禅ではわざわざ大人になるために背負ったものを無にしろという。
音楽も似たところがある。
技術を学び、経験を積み、理論を学び、評価を受け、研ぎ澄まされた域に達すると、どこかに大事なものを忘れてきている。音を見つけることに喜び、声に出すことに喜び、音を発することに喜び、それに対して大事な事だとか、何かの為になるとか、意味をもたらさない事にこそ大きなフトコロがあり、全てを受入れてくれる。心の中になるもの、夢や生きがいなんてとても単純で、空っぽの中に描いた一つの線のようなもかもしれない。それは教えられないもので、自然の中に自由であって、それぞれが感じて悟るようなものかも知れない。
まあ、自転車を乗れるようになる時のように、最初はサポートやきっかけが必要かも知れない。でもそこから先は見よう見まねで覚えていくし、発見もしていく。ギターやパソコンを手にした青年が、教わらずとも勝手に音楽を作って行くのを見れば解るだろう。
ロバの学校は子どもたちに楽器づくり以外、ほとんど技術的なことは教えてはいない。ただただ「それでいいんだよ」「そのままでいいんだよ」と背中を後押ししているに過ぎないかも知れない。
この子どもたちから発する歓声は、様々な束縛から解き放たれた喜びの声なのかもしれない。
ロバの学校の最後の夜に行われる「ガランピー蔡」、それはそれぞれの参加者がここに何かしらの美しさを感じ、無心に声を出し、動き、確実に心を一つにして何かに向っている。その目的、意味はたくさんの言葉を使って後付できるかもしれないが、この読書の森でのロバの学校という素敵な空っぽの器が、その全てを受入れているからかも知れない。

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カテリーナ古楽合奏団は昨年50周年を迎えました。そしてなんとCD「ドゥクチア」から30年ぶりにNewCDが出来ました。
マスタリングは1996年発売のCD「Ductia」と同じ、レコード業界では巨匠と呼ばれる田中三一氏が担当、28年ぶりの再会。音の本質を知る彼の魔法の粉が、カテリーナ古楽合奏団のそれぞれのオリジナルな息づかいと微妙に絡み合い見事に仕上がった。

録音:あだち麗三郎 マスタリング:田中三一 録音場所:ロバハウス デザイン・テキスト:松本雅隆

CD「Ductia」は田島征三氏の幼少期を描いた映画「絵の中の僕の村」の全編を飾り、ベルリン国際映画祭で銀熊賞受賞するなど話題を呼んだ。さてCD「祝祭」が人々の心の中に、そしてささやかな日々にどんな話題を巻き起こすのか 楽しみ。
CDは以下のページから購入可能。

まあ大河ドラマはフィクションだし、紫式部と清少納言が仲良くしているなんて嘘くさいと思っていたけれど、こんなに美しく「枕草子」の誕生を描けるなんて、しばし震えが止らなかった。
ドラマの中にやけに「史記」の話題が顔を出していたが、ここに「敷き」「四季」と駄洒落のように結びついて、定子を含めた三者の織りなす世界が、歴史を歪めてもなおも美しい。

理屈で説明しきれるものではないし、観ていない人には解りにくいだろうけど、どうもこのシーンは大河史上最高だと話題になっているらしい。そんなことを感じている日本人が沢山いるということは、何か救われるような気がする。
もっと書と古文を勉強しておきたかった。

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大河ドラマ史に残る名シーン、と言わずにはいられません。

小学校3年の教科書にロバの音楽座の「ハッピーソング」(詞:松本雅隆 曲:上野哲生)が載りました。教育芸術社のこの4月からの教科書で、なんと一番最初に載っている曲です。

この教科書を使っている学校がどのくらいいるのか解りませんが、少なくとも何十万人の子どもたちがこの曲を知ることになり、いつまでも歌い続けてもらい、ロバの音楽座の事ももっと知ってもらえると良いなと思います。

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昨年開校式を行った那須塩原市の小中一貫校・箒根学園の新しい体育館がようやく完成し、校歌の校歌額が設置されました。(那須塩原市教育委員会の方から画像が送られて来ました)
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この学校がこの地に続く限り、この歌を歌い続けてくれるのかなあと、感慨深い気持になりました(不評でまた変ったりするかも知れませんが)。
昨年の開校式で、まだ覚えて間もない子どもたちの歌った校歌にオケ伴奏を乗せた動画をアップしています。まだお聴きでない方はぜひ。

「光の君」関連の第二弾です。
有名な安倍晴明が登場して操作系の魔術の様な事をやっていましたが、まあ、魔物をやっつけたり、式神を出したり、ノストラダムスの様な予言をやってのける、現代でもスーパーヒーローですから、なんだって出来ちゃいそうな人ですね。
実際の記録に残る彼の役人としての仕事は天体観測です。それに基づき暦を作り、星の運行から来る吉兆の予言、大安や仏滅など現代にも通じる占いの元を作り出しています。
安倍晴明が雅楽と関係していたという話は良く聞きます。具体的にどう関係しているかはよく解らず、色々ググってみましたが、大河ドラマ「光る君へ」の安倍晴明の陰陽道指導をしている高橋圭也さんという現代の陰陽道家の方の文が解りやすいです。

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【陰陽師の教科書であった「漢書律暦志」には「音楽は人間の邪心を祓いのけて、天の正しい働きをもたらす」とし、「陰陽五行説の十干十二支と音律との間には非常に密接な関係がある」とある。また古代中国・秦の宰相・呂不韋の「呂氏春秋」に「音楽は天地自然のハーモニーで、陰陽の気を調える」とある。】
と高橋さんはXに書いています。「漢書律暦志」には音楽の5度圏、12律と陰陽思想の関係も書かれていると思います。(解説本は1万円以上するので手は出ません。難しそうだし)
ここで気になったのは「音楽は天地自然のハーモニーで、陰陽の気を調える」って、これはどこかで聞いた文句です。清明の仕事の天体観測からハーモニー。
これはまさしくピタゴラスではないですか?
三平方の定理で有名なピタゴラスは全ては数が支配していると言い、宇宙の全てのものは数と音楽の法則に則って出来ており、これらは数学的な比率や音の振動によって表現されます。
振動数が3:2で出来る完全五度と4:3で出来る完全4度を7回積重ねたものが、西洋音楽の7音階となります。5回重ねればペンタトニックですが。
占星術はメソポタミア文明の古代バビロニアから発達していったと言うくらいに古くからあり、その文明文化は古代ペルシャにも繋がっています。
ピタゴラスは行方知れずの何年間かがあり、その間ペルシャに行って占星術、数学、音楽、その他多くの文明文化を学んだという説があります。元々善悪二元論も陰陽説の元になったという考え方もあります。楽器も色々生まれていたことでしょう。
ピタゴラスが日本に、なんて事は言いませんが、古代ペルシャの占星術、二元論、音楽論、その他の多くの発祥元はペルシャに有ったのではないでしょうか?
決定的にそう思う事があります。それは五芒星(ペンタグラム)です。
ご存じのように安倍晴明の家紋にもなっている五芒星は自然発生的に発見できるものとは思えません。これがピタゴラス教団のシンボルでもあるのです。

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バビロニアでは木星、水星、火星、土星、金星を表し、陰陽五行説では、木・火・土・金・水の5つの元素の働きを表していると言われます。

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ここからは空想の世界ですが、もともとバビロニア辺りで生まれた文化はペルシャが生まれる前か後かは解りませんが、何年もかかって古代中国にもたらされた可能性が高いと思います。また老荘の時代も相当古いですから、ピタゴラスのようにそこで学んで来た人が何人かいてもおかしくはないでしょう。
また呂不韋や始皇帝はソクド人(イラン系=サマルカンドを拠点とした)という説もあります。TVで始皇帝の作った兵馬俑を見たとき、どう見ても胡人(中央アジアから来た人たち)だと思いました。中国に元から根付いていた道教(老荘思想)と結びついて、陰陽思想が生まれたとも考えられます。
細かな証拠は挙げられませんが、日本は中国や朝鮮から来た文化のみで出来ている説が強いですが、実に多ジャンルに渡って世界と結びついていたんだという感覚が強くあります。

「光の君」が今年の大河ドラマで、恐らく紫式部と藤原道長を描くのだろうと想像する。自分の娘彰子を一条帝の妃にし帝の子を成したい道長の策で、当時すでに人気のあった「源氏物語」を書いている紫式部を呼び、彰子の教育係とした。

はじめ帝は年端もいかぬ彰子に対してさほど興味を示さず、一向に彰子の所に通う気配はなかったが、彰子の所には紫式部が居て「源氏物語」の執筆をしているわけで、それが気になり彰子の元へ顔を出す。

帝は初稿を誰よりも早く読める彰子の元に通うようになる。(これが道長の策なのか?)毎日少しずつ執筆をし途中で終っている。結局帝は続きを読みたくて毎日のように彰子の所に通うようになり、やがてめでたくお子が出来た。

 

「源氏物語」は夜伽噺である。光源氏は夜伽を催促するくらい女の添寝がないと眠れない体質を持つ。

書物としての「源氏物語」は帝に対する夜伽を彰子の変りに代筆した様なものだ。彰子から直接ではないにしてもお話しの面白いところで朝ドラのように「つづく」となる。お陰で帝は明日もこざるを得ない。

 

これで連想したのは「千夜一夜物語」のシェヘラザードだ。妻の浮気からの怒りで毎晩処女と結婚しては処刑するという王様から、愚行をやめさせるためにシェヘラザードが名乗を上げる。

シェヘラザードは王に面白い話しをさんざん聴かせて、夜が明けると突然話をやめてしまう。まさに「つづく」で終るのである。結局王はシェヘラザードを殺すどころか正妻として向える事となった。

 

「千夜一夜物語」はサーサーン朝ペルシャ(3世紀〜7世紀頃、現イラン)の話しで、道長はこの話しを知っていたのではないかと僕は考える。それは途方もない話しでも、お伽噺でもない。

 

何度かブログで話題にしたことがあるが、7世紀、イスラムの台頭でサーサーン朝ペルシャは滅ぼされ中国の長安に多くのペルシャ人が逃げてきた。長安の町は多くのペルシャ人でごった返したという話しもある。日本にもその流れがある。鑑真が連れてきた弟子の中にもペルシャ人の名前があるし、帰国する遣唐使の船に乗って何人も来ているし、今ここで詳しくは説明する場ではないので、調べたい人は調べて欲しい。

(↓話題は楽器の事だが個人ブログにその事に触れている)

http://blog.livedoor.jp/tessey49/archives/2018-11.html

 

シェヘラザードの様に殺されるかどうかの事態ではないにしても、子を成すかどうかは道長にとっても生きるか死ぬかくらいの大問題だ。文学を愛した道長の所には紫式部や和泉式部をはじめ日本文学の最高峰を自分の手の内に持ち、史記からインド・ペルシャまで混じった唐=世界の情報を集め、おそらく世界に恥じぬほどの文化水準を握りしめていたのだと思う。僕は当然のように道長は「千夜一夜物語」の概要を知っていたと思う。
 

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この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば

この傲慢とも取れる歌は単に娘たち3人を全て帝に嫁がせて満足じゃあと歌っているのではないと思う。その文化文学世界の情報それらを全て手にした、世の誰にも解らない自分の「知の宝物」に満足した歌ではないのか?

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