
(まず驚いたのは、遺影の写真はロバハウスで撮ったものです。)
遺影を含め、いつも谷川さんの写真を撮っている深堀瑞穂さんと話しましたが、ロバとのひと時が一番リラックスしていたと言っていました。打ち上げの時も僕らが肩肘張って話す芸術論も、面白がって楽しそうに見ていたとの事でした。
古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。
「光の君」が今年の大河ドラマで、恐らく紫式部と藤原道長を描くのだろうと想像する。自分の娘彰子を一条帝の妃にし帝の子を成したい道長の策で、当時すでに人気のあった「源氏物語」を書いている紫式部を呼び、彰子の教育係とした。
はじめ帝は年端もいかぬ彰子に対してさほど興味を示さず、一向に彰子の所に通う気配はなかったが、彰子の所には紫式部が居て「源氏物語」の執筆をしているわけで、それが気になり彰子の元へ顔を出す。
帝は初稿を誰よりも早く読める彰子の元に通うようになる。(これが道長の策なのか?)毎日少しずつ執筆をし途中で終っている。結局帝は続きを読みたくて毎日のように彰子の所に通うようになり、やがてめでたくお子が出来た。
「源氏物語」は夜伽噺である。光源氏は夜伽を催促するくらい女の添寝がないと眠れない体質を持つ。
書物としての「源氏物語」は帝に対する夜伽を彰子の変りに代筆した様なものだ。彰子から直接ではないにしてもお話しの面白いところで朝ドラのように「つづく」となる。お陰で帝は明日もこざるを得ない。
これで連想したのは「千夜一夜物語」のシェヘラザードだ。妻の浮気からの怒りで毎晩処女と結婚しては処刑するという王様から、愚行をやめさせるためにシェヘラザードが名乗を上げる。
シェヘラザードは王に面白い話しをさんざん聴かせて、夜が明けると突然話をやめてしまう。まさに「つづく」で終るのである。結局王はシェヘラザードを殺すどころか正妻として向える事となった。
「千夜一夜物語」はサーサーン朝ペルシャ(3世紀〜7世紀頃、現イラン)の話しで、道長はこの話しを知っていたのではないかと僕は考える。それは途方もない話しでも、お伽噺でもない。
何度かブログで話題にしたことがあるが、7世紀、イスラムの台頭でサーサーン朝ペルシャは滅ぼされ中国の長安に多くのペルシャ人が逃げてきた。長安の町は多くのペルシャ人でごった返したという話しもある。日本にもその流れがある。鑑真が連れてきた弟子の中にもペルシャ人の名前があるし、帰国する遣唐使の船に乗って何人も来ているし、今ここで詳しくは説明する場ではないので、調べたい人は調べて欲しい。
(↓話題は楽器の事だが個人ブログにその事に触れている)
http://blog.livedoor.jp/tessey49/archives/2018-11.html
シェヘラザードの様に殺されるかどうかの事態ではないにしても、子を成すかどうかは道長にとっても生きるか死ぬかくらいの大問題だ。文学を愛した道長の所には紫式部や和泉式部をはじめ日本文学の最高峰を自分の手の内に持ち、史記からインド・ペルシャまで混じった唐=世界の情報を集め、おそらく世界に恥じぬほどの文化水準を握りしめていたのだと思う。僕は当然のように道長は「千夜一夜物語」の概要を知っていたと思う。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば
この傲慢とも取れる歌は単に娘たち3人を全て帝に嫁がせて満足じゃあと歌っているのではないと思う。その文化文学世界の情報それらを全て手にした、世の誰にも解らない自分の「知の宝物」に満足した歌ではないのか?