最後はご機嫌な山下洋輔さんの本で締めたいと思います。
特にこの本が山下さんの一番と言うわけでは無いのですが、僕やロバの音楽座の話題がちょこちょこ登場します。
山下さんとのご縁は同じ国立音大作曲科の中村太郎先生、溝上日出夫先生の門下で、山下さんが10年ほど先輩です。
お会いしたのは卒業後、中村先生の新年会に参加し、その時参加していた山下さんに密かにファンだった僕が思いきって声をかけてからです。
「なかなか面白そうな奴だ」と言うことで、僕の実力も知らないのにいきなり「題名のない音楽会」でトリオと共演するときのオーケストラアレンジを任されました。それ以降、「オーケストラがやってくる」を始めオケや室内楽と一緒に演るときはアレンジを任されました。「ラプソディー・イン・ブルー」も最初にアレンジしたのは僕だと思います。
山下さんとオケが対決するためには、原曲をなぞるだけではオケが目立たないし、山下さんも面白くないので、様々なオケの技法的実験をやらかしました。
「この僕の後輩である上野君のアレンジは素晴らしいのだが、何が凄いかと言えば、お構いなしに自分の曲を中に入れてくる。」
とアレンジのことを舞台で紹介してくれたりしました。
その中にクルドのリズムと称した曲を作り、それが山下さんのヒット曲「クルディッシュダンス」の基になりました。
僕もロバの音楽座が忙しくなり、山下さんも僕より腕の良い著名な作曲家達の編曲の基、世界を駆回ります。
その後ロバの音楽座とは「もけらもけらコンサート」で山下さんとはどこにもないジャズと古楽との夢のような世界を作り、子どもも聞けるジャズと言うことで、近年も何度か演奏しています。
自分の話ばかりで恐縮ですが、葉山から立川に越す縁を持ったのも、「立川近辺でピアノがガンガン弾いて怒られない家はないか?」と僕に電話が合ったので、側にいたロバのがりゅうさんが「ちょうど家の前の米軍ハウスが空いている」と答えたのがきっかけでした。まだロバハウスが出来る少し前です。山下家と松本家はご近所づきあいが始りました。
文筆家、ハナモゲラ和歌、笑いの発掘、囲碁、書いていくのも憚るほどあらゆる方面の興味が絶えない方ですが、やはりどこにもない独自のジャズスタイルがあってこそと思います。そして音をあそぶというロバのコンセプトと一致するところが有り、あくまで山下流であり、どんなに激しい肘打ちをしても、力まないしなやかなそのピアノは日本の宝だと思います。その無限の興味があってこそ湧きでるピアノフレーズと僕は解釈しています。
そんな山下さん、世界的な有名人を沢山知人に持ち、受賞パーティーを開くと各界から500人以上集るような広い顔を持ちながら、何かしら(特にMac関係の事で)僕に頼ります。家がロバハウスから近いこともありますが、事あるごとにやや遠慮がちに頼ります。
僕にとってはそれは何とも嬉しいことであり、何とか力になろうと、そんな気持にさせてしまう人格者であります。