「奇蹟の朝に」(原作「フランダースの犬」より)
江藤寛さんとは3作目のミュージカルとなります。
その中でも今回は企画の段階から細かく打合せ、曲数も倍以上で、僕としてもかなり力の入った作品です。
歌の好きな一般の方々が音楽に馴染んでいただけるよう、すでに昨年の夏に終りには全体の歌が仕上っているという、早期からの準備で臨みました。
良い歌は良い詩から生れますが、江藤寛さんの流れるような詩から名曲は沢山出来たのではと思います。

9/9㈰14:00〜 大田原市の那須野が原ハーモニーホール公演   
11/17㈯,18㈰茂木町町民ホール公演
6月の稽古段階で作ったプロモです。


思い起せば、Kan先生が作られた「奇蹟の朝に」という作品があり、それに触発され僕が曲を作り、その台本と曲に触発された役者、スタッフがそれぞれの世界観の中で舞台を組立てていきました。

初めて通し稽古を観て改めて良く出来た戯曲だと思い、特に終曲は驚くほどマッチしていて心を打たれました。ここは手前味噌ですが。

何が起っても、どんな困難があっても、そこに生きていく人たちがいる。そのエネルギーが歌声となって、観ている人たちにきっと届くと思います。 

10月21日が僕の最後の稽古でしたが、その時Kan先生から茂木文化協会の冊子「ひらく」を頂きました。この「もてぎde演劇を創る会」の代表の渡邊力栄先生が文化協会も代表です。その挨拶文で小学生の書いたこんな詩を取上げておられました。
「やまがらはしんでしまった いきているのは ひわ 一わだけ
その ひわも しんでしまうかもわかんない どうかしなないように
わたしがかわいそうになってしまいます」
力栄先生は続けます。
「死の悲しみは、死んだものを悲しむというより、残された者の悲しみだとこの詩はいう。・・・命あるものを慈しむところに『愛』があるのだという・・・」
稽古の前に偶然に渡されたこの本の、「奇蹟の朝に」の事を言っているわけではないのに、なぜかこの言葉が頭から離れませんでした。
フランダースの犬というこの悲劇を、確かに外から観ている人は自分が悲しい。でもネロから見ればその先にある命より大切な大きな何かが見えている。それはカンパネルラの死とは違った、死んで逝く者から見たある種の満足感、幸福感なのかも知れません。
kan先生は意図したことは全然違っているかも知れませんが、何か命を越えてその先の大切な何かを描こうとする壮大なドラマに僕は関わったのだと思いました。
そしてそんな深みを知らずに作った「奇蹟の朝に」のメロディが胸が痛くなるほどハマっていて、涙が出て来ました。

何万通りの感じ方はあると思いますが、様々な世界が想像できる大きな器の作品だと思います。その流れの中に役者やスタッフが自然に呑込まれ、人の心に何かを刻んでいくのだと思います。

そんな時間をぜひ茂木で体験しに来て下さい。