Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

タグ:ピタゴラス

谷川俊太郎さんは、死後の世界に旅に出るのがとても楽しみだと言っていた。僕もあとどんなに長くても30年程で、その仲間入りをしていくと思う。
死ぬ事で何が負担かと言えば、まだまだやり残した事は終わりそうにないと言う事と、周りが悲しむ事だ。
死後、魂はどこに行くのか、そもそも魂はどこから来たのか、これほどの謎はないだろう。
調べているうちに、最近知った情報の中で一番納得のいくものが見つかった。それはニコラテスラの生死観だ。

ニコラテスラ
テスラと言えば米国産の車で名が知れているが、エジソンのライバルの様な存在で、電気の交流システム(エジソンは直流)、モーター、蛍光灯、X線、コイル、無線やリモコン、フリーエネルギー、殺人光線、等等等、発明の多様性は発明王と呼ばれるエジソンの比ではないと思っている。しかもその興味は留まるところを知らず、物理学者、化学者、思想家、神秘家、であり、テスラのイメージはマッドサイエンテスト的なイメージから、特定の宗教の教祖のような顔も見せる。
テスラは特許や金銭に関して殆ど関心のないのではと思われる、貧乏でなかなか世間に認められない人生だった。(ここもエジソンとは対照的だ。)人生だけでなく、その大量破壊兵器や殺人光線の着手、薔薇十字団の参加、不信な死因、それだけ謎が多い。自伝も書いていない、全て頭の中の出来事で、伝説もたくさん生れている。
ニコラテスラ2
彼が「すべては光である」という言葉は有名である。また宇宙を調和するものとして重視したものに「3・6・9」という数字の法則がある。これらの数字はエネルギー、周波数、振動の素であり、自然界のパターンや神聖幾何学において全てを表すという考えを持っているようだ。
ここで僕が思いだすのはピタゴラスだ。ピタゴラスの重視する数とは違うが、また宇宙を調和するものが数であることは同じだ。またピタゴラスは周波数、振動により音律、音階を提唱し、現代の「ドレミファ」につながるピタゴラス音律を生んでいる。正確に言えばこの音階は自然の法則から発明でも発見でもないと言える。

ピタゴラス
要するにテスラもピタゴラスも、数、つまり宇宙は光に代表される波形、振動、それが宇宙を埋め尽しているイメージがある。(フランスの物理学者ルイ・ド・ブロイは、すべての物質が波長を持つという仮説を提唱したと言う。)
これはこちらの想像がかなり入ってくるが、宇宙は巨大なサーバーで出来ていて、人間のような生物は端末の様なものだ。ほぼピュアな状態で端末に送られてくるデータは知識や体験、自我を確立し、創造したり、個性を持った端末に学習して育つ。端末が壊れるとそのデータは元のサーバーに帰っていく(残っていく)。それを栄養にしてサーバーは進化していく。
重要なのは宇宙は数で出来ているとは言えど、無味乾燥な基盤の配列で出来ているわけでも、0と1が並ぶ回路が並んでいるわけではない。それは音楽の波形はレコードの溝と同じ、見た目は波の図柄でしかないけれど、音楽と同じ調和を目指すものだ。つまり我々は音楽の世界からやってきて、音楽の世界に帰っていく。端末で得た情報と経験と創造物が宇宙の進化に影響を及しているに違いない。それは光の音楽かもしれないし、我々の知っている範疇の音楽ではないかも知れない。
我々が死んでからは音楽の世界で生きて行くのかと思えば、死ぬことは楽しみでもある。音楽家ではなくても、人生を存分に奏でることが出来れば、その功績が宇宙の形成に少しでも影響を与えられると思えば、短い人生、生きた甲斐があるというものでは無いか?
(あくまで私感で、テスラは死後に音楽の世界に行くとは言っていません)

「光の君」関連の第二弾です。
有名な安倍晴明が登場して操作系の魔術の様な事をやっていましたが、まあ、魔物をやっつけたり、式神を出したり、ノストラダムスの様な予言をやってのける、現代でもスーパーヒーローですから、なんだって出来ちゃいそうな人ですね。
実際の記録に残る彼の役人としての仕事は天体観測です。それに基づき暦を作り、星の運行から来る吉兆の予言、大安や仏滅など現代にも通じる占いの元を作り出しています。
安倍晴明が雅楽と関係していたという話は良く聞きます。具体的にどう関係しているかはよく解らず、色々ググってみましたが、大河ドラマ「光る君へ」の安倍晴明の陰陽道指導をしている高橋圭也さんという現代の陰陽道家の方の文が解りやすいです。

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【陰陽師の教科書であった「漢書律暦志」には「音楽は人間の邪心を祓いのけて、天の正しい働きをもたらす」とし、「陰陽五行説の十干十二支と音律との間には非常に密接な関係がある」とある。また古代中国・秦の宰相・呂不韋の「呂氏春秋」に「音楽は天地自然のハーモニーで、陰陽の気を調える」とある。】
と高橋さんはXに書いています。「漢書律暦志」には音楽の5度圏、12律と陰陽思想の関係も書かれていると思います。(解説本は1万円以上するので手は出ません。難しそうだし)
ここで気になったのは「音楽は天地自然のハーモニーで、陰陽の気を調える」って、これはどこかで聞いた文句です。清明の仕事の天体観測からハーモニー。
これはまさしくピタゴラスではないですか?
三平方の定理で有名なピタゴラスは全ては数が支配していると言い、宇宙の全てのものは数と音楽の法則に則って出来ており、これらは数学的な比率や音の振動によって表現されます。
振動数が3:2で出来る完全五度と4:3で出来る完全4度を7回積重ねたものが、西洋音楽の7音階となります。5回重ねればペンタトニックですが。
占星術はメソポタミア文明の古代バビロニアから発達していったと言うくらいに古くからあり、その文明文化は古代ペルシャにも繋がっています。
ピタゴラスは行方知れずの何年間かがあり、その間ペルシャに行って占星術、数学、音楽、その他多くの文明文化を学んだという説があります。元々善悪二元論も陰陽説の元になったという考え方もあります。楽器も色々生まれていたことでしょう。
ピタゴラスが日本に、なんて事は言いませんが、古代ペルシャの占星術、二元論、音楽論、その他の多くの発祥元はペルシャに有ったのではないでしょうか?
決定的にそう思う事があります。それは五芒星(ペンタグラム)です。
ご存じのように安倍晴明の家紋にもなっている五芒星は自然発生的に発見できるものとは思えません。これがピタゴラス教団のシンボルでもあるのです。

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バビロニアでは木星、水星、火星、土星、金星を表し、陰陽五行説では、木・火・土・金・水の5つの元素の働きを表していると言われます。

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ここからは空想の世界ですが、もともとバビロニア辺りで生まれた文化はペルシャが生まれる前か後かは解りませんが、何年もかかって古代中国にもたらされた可能性が高いと思います。また老荘の時代も相当古いですから、ピタゴラスのようにそこで学んで来た人が何人かいてもおかしくはないでしょう。
また呂不韋や始皇帝はソクド人(イラン系=サマルカンドを拠点とした)という説もあります。TVで始皇帝の作った兵馬俑を見たとき、どう見ても胡人(中央アジアから来た人たち)だと思いました。中国に元から根付いていた道教(老荘思想)と結びついて、陰陽思想が生まれたとも考えられます。
細かな証拠は挙げられませんが、日本は中国や朝鮮から来た文化のみで出来ている説が強いですが、実に多ジャンルに渡って世界と結びついていたんだという感覚が強くあります。

西洋音楽の基礎となる音律の元を考え出した者としてピタゴラスの名前が最初に出てくる。
7はピタゴラスにとって整数だから、これによって7音階が生み出された。
もちろんピタゴラスの音律は独自ではなく根源的なもので、中国を始め様々な所で似たような考え方が発生している。
ピタゴラス数学の特徴的なことは1+1=1、2+3=1のように何をあわせても1になる。
円を基盤にした考え方である。しいて近いのは分数だ。
数はなんでも1から分ける発想になる。

でもピタゴラスと鍛冶屋のエピソードは解りやすい。
ピタゴラスが鍛冶屋の前を通ると、その日は特幾つもの鉄を打つ音が何とも美しい響きで互いに共鳴しあっていた。
ふとそれぞれの重さを量ってみると、一番重いのを(仮に)12kgとしよう。一番軽いのが6kg、次に8kg、9kgというふうに 割り切れる数だったという。
つまり1:1/2:2/3:3/4という具合だったという。
12kgの鉄を今の「ド」と仮定すれば、「ド、ファ、ソ、ド」の音が響いていたことになる。 つまりここで言う質量=振動数が2回に1回、3回、または4回に1回と比較的すぐに出会うことを、今で言うと「ハモる」という事なのだ。振動数が近くても微妙にずれているのを「唸る」と言う。 Sinpuku_2
ピタゴラスの鍛冶屋の話は実際にあった事かどうかは解らないが(こんな偶然に出会う確率はロト並だと思われるので)、ピタゴラスはそこから2/3(完全5度)と4/3(完全4度)を掛けあわせていって、以下のように音階を作っていった。
いわゆる五度圏というものである。
2/3を永遠に掛けあわせても良いのだが、鍵盤からあまり遠退いてしまうとわかりにくいので、なるべく近い音域の間の繰り返しにするためである。 Pita5_2
最初の7音だけ使うと(この場合はト長調であるが)、いわゆるドレミファソラシのよく耳にする西洋基本音階となる。
これをさらに12音を繰り返してみると上記のようになり、平均率の鍵盤だと最後はシの#つまりオクターブ上のドになるはずだが、分数で計算してみるとそれは1/2にはならず、最初のドの音とはずれていることになる。
これは音階の不思議というよりは数というものの仕組みによるものだ。
式はこうだ。 2/3×4/3×2/3×4/3×2/3×4/3×2/3×4/3×2/3×4/3×2/3×4/3=110/223 

つまりオクターブである1/2より3/110 高くなっている。
この誤差をピタゴラスコンマと呼ばれている。

元々、オクターブと完全5度、完全4度の関係というものは分数の中でしかなく、素数同士がお互いに無関係なことに等しい(専門家ではないのでこういう言い方が正しいのかどうか)。
まるでそれは円周率がどんな分数とも関係ないことに類似している。

ピタゴラスより2000年以上経ったA.C.1500年以降、現代にもっとも耳なじみのハモり=4/5(長3度)5/6(短3度)が多用されることになるが、この3度の関係(例えばドとミ)、とピタゴラスの5度圏と一致しない。
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この4/5、5/6の完全3度(!?)は自然倍音という一つの音の振動の中にかすかに聞こえている響きなのである。
これは一つの音の中に振動数が1/2,1/3.1/4,1/5,1/6.1/7,..........という成分が必然的に含まれることから、たとえピタゴラス音階に無くともこの響きを無視することは出来ないのである。
声や楽器によってはこの倍音の響きが確認できることも多い。 Baion_2
中性ヨーロッパでは3度が不協和音といわれていたのは、この時代はピタゴラス調律が中心だったからに他ならない。
時代とともに西欧は音階の中に4/5、5/6の完全3度を取り入れて新しい音階を作る。
この3度のあり方をどう組み込むかで、様々な調律法が生まれ、また多くの論争が生まれた。

アラビアは最初からこの3度の問題で論争を回避するために、3度でハモらない宣言をして中立3度というものを考え出した。
(このあたりのことを説明できる音楽の先生もあまり多くはないだろう。それは多くの先生はピアノ中心で、本当の意味で多様な調律をした経験が少ないから、観念でしかそのあたりを理解できないところにある。)

世界では音階の数を限る5音音階や6音階、オクターブを4度ととらえるテトラコルドの考え、インドでは22音の音階、民族に対してそれぞれの音階がある。
でも多くの元になっているのは2/3(完全5度)と4/3(完全4度)の積み重ねを元にしているのは確かである。
おそらく高度な文明を持った宇宙人が奏でる音楽は、手法的には全く違った音楽であろうが、音階の考え方に関してはあまりかけ離れた考えはないような気がする。
音である以上、自然倍音が存在したり、ハモりが存在したりする。
そこから生まれてくる音楽の響きは日本と西洋、アラビアの音階の距離ほどでもないかもしれない。
同様に宇宙人の中でも地球人同様、数の矛盾のため音階に対する考え方が分かれたりするであろう。

つまりあらゆるものが納得して、オールマイティの調律法というものは存在しない。
現代に近づくにつれてそんな中であまり多くの人が近似値で納得しやすいのが平均率だ。
これは古代中国にもそれに近いものがあったらしい。
バロック時代に生まれたなどと色々言われているが、ここでちょっと考えてほしい。
僕の考えだと、ピタゴラスはマギに音楽を習っているから、その音階の思考法は弦楽器の指版のポジションを元に考えていると思う。
これがピタゴラスのフレット(の様なもの)を張った弦だとすれば、何か見えてこないか。
僕は単純に間にフレットをその間に置いてみたくなる。そしたら自然と12平均率に近いものができあがる。
少しイメージの発達した人であれば、この楽器に7音音階を置いた時点で、時を経ないでここに音を置いてみたくなるだろう。
ピタゴラスがいくら7に趣を置いたとて、ここに置いたらどんな音楽が出来るかはやってみたくなるだろう。
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さらに不均等な部分を調整してフレットの幅を均等に増やしていく方法を見つけるだろう。
つまり弦楽器で音階を作ったときに、程なく平均率は発見されているのである。
だからこそ自然発生的なものと考えて良いと思う。

これを使いこなすのは確かにバロック時代まで待たなければ、音楽的な欲求が着いてこないことになるが、平均率はもうすでに存在していたことは間違いないと思う。
実際に16世紀終わり〜17世紀初頭のジョン・ダウランドのリュート音楽も、ほとんど平均率に近かったと思わざるを得ない。
同じリュート曲集で調号が♭4つから♯3つ位まで混在する。
バッハは鍵盤中心だからそこをもっと踏み込めたわけで、音楽は素晴らしいと思うけれど、平均率すべてで作った意味に対してはせいぜい数え歌を作る程度のことに過ぎないことだと思う。
逆な意味で、いわゆる現代音楽の行き詰まりは、新しい調律法を生み出さず、12平均率を基盤にその間の1/4音やさらなる分割を考える程度で、そうでなければ伝統的な別の民族の文化をその中に取り入れているだけの、借り物の音理論で構成しているだけに過ぎない。
新しい音階の可能な、出来れば新しい音色の楽器を作り、コンサート会場ではない新しい空間、その奏者は西欧のクラシックの奏法を学んだだけでは得られないような音楽がこれからの時代の音楽なのではないのだろうか。

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