Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

タグ:ロバの音楽座

自然の中で音に耳をすます。音を探す。木や鳥たちと音で会話する。
そもそもこんなにアウトドアから縁遠い僕みたいな人間が、ミュージックキャンプなどと言うものをよくも参加し続けてきたことと思う。個人的な事を言えば子どもと話題を共有することはとても苦手で、10分と相手をしてあげる事も出来ない。そんなことを思いながら、ロバの音楽座も含め、40年以上この活動に関わってきた訳だ。
音楽は教えるものではないと思っている。これはロバの学校を始めた頃と変っていない。教えないが、音楽を楽しめる、わくわくさせる、まだ聴いたことの無いような音の世界を体験させる、音楽やクリエィティブな作業をを無性にしたくなる。そんな環境を作る事くらいなら出来る。ただそんな出合いの場を作りたい。主宰のがりゅうさんはもっと先の展望を見据えているだろうが、僕にとってはそれだけが精一杯なのだろう。
子どもは元々生れながらにして音楽家だ。無心で歌う子どもの歌は何者も敵わない。何も表現していないのに涙が出てくる。そのままでいてほしい。そんな子どもたちに刺激を与えるのは複雑だ。けれど放っておけば人目を気にし、一般的な子どもの集団の中に埋れてしまう。素晴しい個性が溢れている子どもも、ただの何処にでもいる大人になってしまう。それはそれで仕方のないことかも知れないが、大人になって様々な夢や興味から離れて行ってしまう事に何か空しさを感じる人が居るに違いないと思ってしまう。
禅の世界では「悟り」を求めるのに「赤子の心になれ」と良く言われる。結局人間は赤ん坊から大人になる過程で、社会や生きて行く中で、様々な余計なものを背負わなければならない。禅ではわざわざ大人になるために背負ったものを無にしろという。
音楽も似たところがある。
技術を学び、経験を積み、理論を学び、評価を受け、研ぎ澄まされた域に達すると、どこかに大事なものを忘れてきている。音を見つけることに喜び、声に出すことに喜び、音を発することに喜び、それに対して大事な事だとか、何かの為になるとか、意味をもたらさない事にこそ大きなフトコロがあり、全てを受入れてくれる。心の中になるもの、夢や生きがいなんてとても単純で、空っぽの中に描いた一つの線のようなもかもしれない。それは教えられないもので、自然の中に自由であって、それぞれが感じて悟るようなものかも知れない。
まあ、自転車を乗れるようになる時のように、最初はサポートやきっかけが必要かも知れない。でもそこから先は見よう見まねで覚えていくし、発見もしていく。ギターやパソコンを手にした青年が、教わらずとも勝手に音楽を作って行くのを見れば解るだろう。
ロバの学校は子どもたちに楽器づくり以外、ほとんど技術的なことは教えてはいない。ただただ「それでいいんだよ」「そのままでいいんだよ」と背中を後押ししているに過ぎないかも知れない。
この子どもたちから発する歓声は、様々な束縛から解き放たれた喜びの声なのかもしれない。
ロバの学校の最後の夜に行われる「ガランピー蔡」、それはそれぞれの参加者がここに何かしらの美しさを感じ、無心に声を出し、動き、確実に心を一つにして何かに向っている。その目的、意味はたくさんの言葉を使って後付できるかもしれないが、この読書の森でのロバの学校という素敵な空っぽの器が、その全てを受入れているからかも知れない。

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今年全てのステージが終わった。ロバのクリスマスは全12ステージ。全て完売。面白いように同じプログラムなのに毎回全く違うステージになる。
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これは毎度開場時間にタイムスリップし、微妙に違った世界を新鮮に創り出し繰り返す。そう、これはきっとパラレルワールドに違いない!僕らはこの平和で幸せな光景を何度も何度もその時のみの出来事で体験し続けているのだろう。

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昨日ロバのメンバーとその家族で、ロバハウスで古稀を祝ってもらいました。
みんなそれぞれ得意料理を持ち寄って全部が僕の好みのもので、全てが美味しかったです。日本酒も僕の好みのものを用意してくれて、最高の一日でした。ここ数年の中で最も食べ、最も飲みました。
思えば病気や事故をくぐり抜け、今日まで生きてきたのが奇跡のようです。杜甫が「人生七十古来稀なり」と言ったらしいですが、本当に生きているだけ稀な運の良い人生だと思っています。みんな口を揃えて「律ちゃんのお陰!」と言っていました。
 
免許の書換えにも行ってきましたが、高齢者講習を受けないと更新できない年齢になり、世間的に観たら爺様の年齢なんだなあとつくづく思いました。
 
今年はカテリーナ古楽合奏団50周年の年で、11/19に北とぴあで大々的にコンサートがあります。41年目のロバの音楽座もゴールデンウィークにコンサートがあります。まだまだ指の衰えもまったく無くやっていますが、なにせ分類上爺様なので何があるか解りません。元気なうちに聴きに来て下さい。

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ロバの音楽座の「ハッピーソング」(作詞:松本雅隆 作曲:上野哲生)がこの夏教育芸術社から出版された小学校 学校行事・授業のための新教材集に載りました。副教材と言った方が解りやすいでしょうか?その教材集の題名も「ハッピーソング」となり、表紙のタイトルを飾ることとなりました。とても栄誉なことです。
これから広く小学校で親しまれ、歌われていくこととなるでしょう。
またこの教材のためのCDも同時に発売され、iTune MusicやAmazon Musicでも配信されています。
教育芸術社のページ  https://www.kyogei.co.jp/publication/happysong

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子ども劇場の9月15日〜10月4日までの九州ツアーが決ったのは去年で、のり日を含めた20日間のうちに実にこれだけの演奏会を開いた。
「わいてくるくるおんがっかい」壱岐 福岡 諌早 長崎 大分 中津 飯塚 鹿屋 都城 全11ステージ
「楽器の国へようこそ」 鹿児島 春日 福岡 全3ステージ
0〜3才のためのコンサート「ポロンポロン」 壱岐 春日 諌早 長崎 大分 飯塚 鹿屋 北九州 全13ステージ
特に台風の多いこの時期、天候の不安もあったが、実際にはコロナの問題で開催自体がどうなるか解らなかった。仮に開催が可能であっても、演者のマスク着用や歌や吹奏楽器の禁止など様々な障害が立ちはだかることは覚悟しなければならないと思っていた。
そもそもちゃんと公演が成立つのか、お客さんも舞台に反応してくれるのか、東京から来たならPCR検査を受けないと舞台を使わせないのでは、等々不安は山ほどあった。
ところがである。子ども劇場サイドもホールサイドもその制限を設けるようなところはほぼ皆無で(注意を促すところはあっても)、本当に私たちを暖かく迎入れ、観客ほぼ全員がマスクをしているという以外はまるで普通の公演と同じように振舞って出来た。
東京近郊の公演先では未だに演者のマスク着用や歌や吹奏楽器の禁止など、真面目に条件を出してくるところがある。別に九州がコロナに対して頓着がないわけでは無い。芸術、文化に対する考え方の違いだと思う。
驚くことに全ての公演が受入れられ、良く聴いて心から喜ばれた。これだけの公演を毎日やっていればどうもこの日は観客と噛合わない。何か反応がイマイチだ。ロバの音楽座も音が合わない。などと2〜3の公演が納得できないことが必ずある。しかし全ての公演が大成功したと言っても過言ではなく、我々が勝手に思っているだけでなく素晴しい感想や反応を表現してくれる。
思えば殆ど出来なかった音楽会を親子共々本当に心待ちにしていたのかも知れない。コロナの時期だからこそ演奏の一音一音を大事に受止めてくれたのかも知れない。もちろん我々も時間があるからこそ準備万端で迎えた。制作意図をなかなか微細なところまで読取ろうとしてはくれないものだと思う。求められて聴いてくれるなら本当にスポンジのように音が染み通ってくれるような感覚だ。
アンコールにはこのコロナ禍と同様に考えさせられた、東日本大震災の時に生まれた「ゆめ」が相応しいだろうと言うことになり、がりゅうさんは歌う前に「この『ゆめ』の後に皆がマスクを外して森で輪になって歌い踊っているところを夢見ながら演奏します。」と最後にガランピーダンスを演奏した。それに対して会場で子どもも大人も歌い踊る姿は「なんだ、夢はもうすでに叶ってる・・・」と思い、なんかとても熱いものが込み上げてきた。
我々にとって(劇場にとってもそうかもしれないが)間違いなく奇跡のような20日間(公演日は17日間)だった。体力的には歳も歳なんで帰ってからは動けなくなっている状態だが、心は何とも清々しい。加えて天候にも恵まれてまさに奇跡の旅となった。
演奏会の舞台写真は個人では撮らなかったが、晴やかな桜島のフェリー(鹿児島から鹿屋への移動時)からの動画を載せておく。この風景から無限に音が沸いてくる。

後日、その映像に鹿児島湾から観た桜島の風景にプサルテリーを中心に即興的に音を付けてみました。
ソロも伴奏もダイレクトカッティングのように一発録りで、音楽は未編集の状態です。 
 

2003年にロバの音楽座は任天堂のキューブゲーム「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル(以下FFCC)」の音楽に演奏で参加しました。作曲は谷岡久美さんです。

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演奏は「ロバハウス」となっていますが、当時ゲームが子どもたちにどのような影響を与えるか、色々問題視されていた時期でもありました。なのでプロフィール等にはあまり大きく取り上げていませんが、我々はこの仕事に多くの時間を割いてしっかりとしたものを提供してきたと思っています。
僕自身もコミックやアニメ好きなオタク的な所はありますが、ゲームは殆どやったことがなく、否定的でも肯定的でもありません。ただ、過ぎたるは及ばざるがごとしで、やり過ぎはお酒でもテレビでもSNSも害はもたらすという考え方でした。
この仕事に意義を感じたのは谷岡さんを始め、スタッフの方々の真面目な取組み、ロバの音楽を好きになり、コンサートに足を運び古楽器と真面目に向合い、ゲームの世界がそこにあるならこの世界を素晴しい景色にしたいというその熱意に動かされました。
録音はロバハウスで半年近くかけてやったと思います。前後して「パンツぱんくろう」の録音もしていた頃でした。
当時のキューブは直径8cm光ディスク 約1.5GBの中に映像やプログラム、サウンドまで1枚にゲームの全てが収録されるメモリとの鎬合いの世界で、基本のガイドや伴奏は電子音で生の古楽器の音をメロディや特徴的な伴奏に重ねて録っていくやり方でした。
楽器の指定から解釈はかなりお任せの状態でデータを頂いていたので、スタッフさんたちを唸らせたい一心でかなり色々こちらのアイディアを盛りこみました。
音楽的にもこちらもだんだん谷岡さんの音楽語法の世界に馴染んできて、やっていくうちに「ああ、こういったサウンドを求めているんだ」というのが解るようになってきました。
もともと古楽器は音の個性はそれぞれ魅力的ですが、全ての音階が出しやすいわけではなく、転調に弱く、音域も狭く、現代楽器のように何でも可能ではないのです。それを遣り繰りして聴かせられるものを作り上げるプロセスは、一般の方には説明出来ないところだらけです。
我々はゲームをやらないのでゲーム機では体験できなかったですが、サウンドトラックで並べて聞いた時はトラッド調であり、古楽風であり、活劇風であり、ホットであり、馴染みやすくとても聴きやすく新鮮な音楽でした。
今回、この「FFCCリマスター」が復刻版のように発売され、それに合わせて「リマスターサウンドトラック」が発売されました。多くは当時の音のリメイクが多いですが、新たに何曲か録音しました。
CD紹介のページの最下部で試聴できますが、音は素晴しく良くなり、どこまでがPCの音でどこが古楽器と言った境目も薄くなり、とにかく気持よく聴けます。初版は3枚組みになりますが、押し並べて聴いてみるとこれだけそれぞれの音が明瞭に出てくるロバの音源もそんなに多くなかったなあと思えるほど、楽器の特長が良くでています。
最近当時FFCCやった子どもたちが大人になってロバハウスに良く訪れます。ロバの舞台を知らないで音だけを求めてやって来た当時の子どもたちが、ロバのHPなどにもFFCCのこの音に出遭って良かったという感想を書込んでくれます。
良いものを作れば垣根を越えて理解し合える。そのことだけでもこの仕事をやって良かったなあと思います。

→こちらからCDの試聴も出来ます。 

最後はご機嫌な山下洋輔さんの本で締めたいと思います。
特にこの本が山下さんの一番と言うわけでは無いのですが、僕やロバの音楽座の話題がちょこちょこ登場します。
 

山下洋輔

山下さんとのご縁は同じ国立音大作曲科の中村太郎先生、溝上日出夫先生の門下で、山下さんが10年ほど先輩です。
お会いしたのは卒業後、中村先生の新年会に参加し、その時参加していた山下さんに密かにファンだった僕が思いきって声をかけてからです。
「なかなか面白そうな奴だ」と言うことで、僕の実力も知らないのにいきなり「題名のない音楽会」でトリオと共演するときのオーケストラアレンジを任されました。それ以降、「オーケストラがやってくる」を始めオケや室内楽と一緒に演るときはアレンジを任されました。「ラプソディー・イン・ブルー」も最初にアレンジしたのは僕だと思います。
 

山下さんとオケが対決するためには、原曲をなぞるだけではオケが目立たないし、山下さんも面白くないので、様々なオケの技法的実験をやらかしました。
「この僕の後輩である上野君のアレンジは素晴らしいのだが、何が凄いかと言えば、お構いなしに自分の曲を中に入れてくる。」
とアレンジのことを舞台で紹介してくれたりしました。
その中にクルドのリズムと称した曲を作り、それが山下さんのヒット曲「クルディッシュダンス」の基になりました。
 

僕もロバの音楽座が忙しくなり、山下さんも僕より腕の良い著名な作曲家達の編曲の基、世界を駆回ります。
その後ロバの音楽座とは「もけらもけらコンサート」で山下さんとはどこにもないジャズと古楽との夢のような世界を作り、子どもも聞けるジャズと言うことで、近年も何度か演奏しています。
 

自分の話ばかりで恐縮ですが、葉山から立川に越す縁を持ったのも、「立川近辺でピアノがガンガン弾いて怒られない家はないか?」と僕に電話が合ったので、側にいたロバのがりゅうさんが「ちょうど家の前の米軍ハウスが空いている」と答えたのがきっかけでした。まだロバハウスが出来る少し前です。山下家と松本家はご近所づきあいが始りました。
 

文筆家、ハナモゲラ和歌、笑いの発掘、囲碁、書いていくのも憚るほどあらゆる方面の興味が絶えない方ですが、やはりどこにもない独自のジャズスタイルがあってこそと思います。そして音をあそぶというロバのコンセプトと一致するところが有り、あくまで山下流であり、どんなに激しい肘打ちをしても、力まないしなやかなそのピアノは日本の宝だと思います。その無限の興味があってこそ湧きでるピアノフレーズと僕は解釈しています。
 

そんな山下さん、世界的な有名人を沢山知人に持ち、受賞パーティーを開くと各界から500人以上集るような広い顔を持ちながら、何かしら(特にMac関係の事で)僕に頼ります。家がロバハウスから近いこともありますが、事あるごとにやや遠慮がちに頼ります。
僕にとってはそれは何とも嬉しいことであり、何とか力になろうと、そんな気持にさせてしまう人格者であります。

様々なコンサートの形があるし、好みもあると思うけど、どこにもないタイプのコンサートであることは間違いない。
このような事が可能なのは山下さんを含めたこのメンバーだからであり、宇宙が崩壊して何度とまた一から組立て直しても、このようなヘンテコなコンサートは生れてこないと思う。

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あらためて録音を聴きなおしてみても、ジャズでもない、古楽でもない、日本でなければアフリカでもない、異世界の出来事のようでもあれば現実の出来事でもある。ドバラタでもあればグガンでもある。

観てくれた人たちは口々に「良かったよ」「楽しかったよ」「凄かったよ」と褒め言葉の嵐だが、ひょっとしたらみんなお世辞かもしれない。
ただ信じられるのは休憩を含めた2時間10分越えのてんこ盛りのコンサートを、4才の子どもからお爺さんお婆さんまで、最後まで食入るように聴いてくれた姿だ。

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ロバの音楽座はまだまだマイナーなグループなので、この規模の公演をあと何度出来るか解らないが、まだまだ多くの人に「もけら」を観てもらいたい。
山下さんだけでなく、僕等だって歳を重ねていくわけだから、誰か早く企画してクレイ!

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写真はYasさんから。

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谷川俊太郎さん&賢作さんとのロバハウスライブが無事終り、6月2日のロバの音楽座と山下洋輔さんとの「もけらもけら」まで1ヶ月を切りました。
立川の名誉市民の山下洋輔さんと、立川の名所となっているロバハウスのロバの音楽座と久々の地元のコンサートです

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実は山下さんが立川に住むに於いて、ロバが重要なキーパーソンとなっています。
80年代の終りに山下さんは葉山に住んでいましたが、当時山下さんの編曲を手伝っていた僕の所に電話がかかり、
「息子が小平の高校に通うので、そっちの方でピアノをガンガン鳴らせる家はないかな?」
たまたま僕の隣に居合せたがりゅうさんが、
「それならうちの前の米軍ハウスが空いている。隣がドラムを叩いたって気にならないし」
それですぐ引越してこられました。
未だロバハウスが出来る前で、野々歩や更紗がまだ小さかった松本家と山下家はご近所づきあいが始りました。
つまり携帯の無い時代、僕がこの電話を受けなければ山下さんは立川名誉市民の可能性はなく、有名な猫帰り神社の話しも生れなかったのです。←自慢!
 

程なく近くにロバハウスが出来て、最初のライブのシリーズに山下さんの書いた絵本を元にした「もけらもけら」の初演をしました。
当初、ピアノと古楽器でどうなるのだろうと思っていましたが、 演ってみると幼児から大人までジーッとくいいるように観て、笑い、驚き、愉しみました。
よく考えてみたらロバも山下さんも音あそびの達人たちで、ジャズでもない古楽でもない全く新しい音楽が生れたわけです。
 

それから90年代に「もけらもけら」は全国のホールなど二十数カ所演奏し、大好評を得ました。
少しブランクがありましたが、一昨年代々木でやったときは、年齢と共に昔以上にパワフルに進化したもけらの健在ぶりを見せました。

とにかくこの面白さは幾ら書いても伝わるものではありません。ぜひぜひお聴き逃しのないよう。


チケットはこちらから→ロバハウスHP 

このCD絵本の素晴しさは、実際に手に取ってみないとわからないかもしれません。
今ならコンピュータで貼り合せてそのまま入稿となる時代ですが、1枚1枚立体を写真に撮り、まるでそこに本当のコラージュがされているような質感です。
音楽も元のオーケストラをこういったミクロな古楽器と口笛と言う範囲で表現する事で、逆にプロコフィエフの音楽の核の要素が聞えてくるようです。
しかもちゃんとロバのサウンドがここにあります。

RG103 3,000円(税別価格)(税込3240円) 
音楽:ロバの音楽座 文:松本雅隆 絵:すぎはらけいたろう ナレーション、歌:松本野々歩
プロコフィエフ原作・曲「ピーターと狼」の世界をオーケストラ楽器ではなく 素朴な中世・ルネサンスの楽器で演奏し、発想豊かな新解釈のストーリーと絵と音楽により繰り広げられるCD絵本

ぜひお手元に1枚!   お求めはこちらから→ロバハウスHP
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9/1〜3に行われた「16th東京Jazz」に山下さんが出られ、その放送が10月から3週に渡って放送されるというので、番組は全て録画していました。

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今回、山下さんと渡辺香津美さんたちの寿限無2017」が出演するというので楽しみにしていました。山下さんはビックバンドとのセッションもあり、1週目に放送され、これももちろん楽しめましたが、2日目にやったはずの寿限無2017」が2週目終っても放送されず、もう放送は無いかと思いました。

 

でもしっかり3週目の、番組的には「大トリ」に登場して、ガンガンやってくれました。あの2ヶ月前に一緒の舞台にいた山下さんが日本のジャズ界のトリとして出てくれたことは、嬉しかったと同時にとても誇らしかったです。

さすがにラップの入った寿限無は圧巻で凄かったです。僕的にはピアノの音量バランスをもっとあげて欲しかったですが。

よく考えたらラップもハナモゲラも印象的に近い所がありますね。

とにかく少なくともジャズでも世界のどこにもないスタイルを山下さんは打出せると思いました。

 

恐らく最もインパクトのあるステージだったので、NHKも最後に持ってきたのでしょう。渡辺貞夫さんもチックコリアも差置いて。

 

今年の7/29にオリンピックセンターで10年ぶりにロバの音楽座と山下さんの「もけらもけらコンサート」を終えて、その興奮は未だに身体に残っています。

90年代は20ステージくらい色んな所でご一緒しました。その都度めちゃくちゃ面白いという評価を沢山得ましたが、このアンマッチ的な組合わせの面白さはとても説明できるものではなく、観た人も人に伝えるのは困ったと思います。

 

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手前味噌で凄いなと思うのは、これは子どもも楽しめるコンサートなのです。

知合いがFBで 「親子連れが先の予定があって子供が親に連れだされていたんですが
『いやだーまだ見たいー』って泣きじゃくってました。子供にとってはけっこう長いプログラムだと思うのですが、流石だなと思いました
そう言ってくれました。
今回改めて、様々な方々から面白いと評価を受けました。
我々も山下さんも歳は取りましたが、ますますパワフルになっていくような気がします。


僕が思うに、山下さんと一緒に演奏して何が面白いか、「寿限無2017」の演奏風景を見て改めて思いましたが、最後の曲をやり終えて終った瞬間の達成感が必ずあるのです。これは他のミュージシャンはここまで多くありません。

もう一つは人間的な配慮がとても細かい方です。それは演奏にも現れて、ガンガン攻めてくる割りに、ちゃんと相手のやる事も包込んでくれるのです。だからかどうだか、音はとてつもなく暖かい響きがするのです。

ミュージシャンで山下さんを闇雲に大きな音を出す人だと勘違いして居る人が多いのかも知れませんが、実はエキサイティングな音の後にやってくるppはその落差もありやわらかく暖かい響きがします。

 

僕は80年代、ロバの音楽座を始める前から山下さんのオケアレンジを随分と任されていました(山下さんも僕も作曲の溝上日出夫先生の門下同士という縁で)。

山下トリオのテーマは短いですから、オケのやる事は色々そう策する部分が多いのです。色んな面白い事をやり、その中で使ったリズムから「クルディッシュダンス」が生れたりしました。

 

未だに「勉強やパクリの源泉は、上野さんですからね!オケと一緒にやる試みも上野さんが先鞭をつけてくれました。」と暖かく立ててくれます。

いえいえ結局の所、山下さんは文章でも話でもそうですが、坂田明氏や周りにいる人たちを大騒ぎさせて、その面白い部分を捕まえては拡大して話のネタにして、あの素晴しいエッセイが生れてくるわけですから。山下さんが拾い上げなければただの飲み会かも知れません。

音楽は生まれてくると言うより、拾ってくるものだと僕は思っています。その欠片を構築して形を作ることが作曲であり、ジャズであり、音楽を作る基本姿勢だと思います。

 

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最近、山下さんは声楽家の本島阿佐子さんと「メモディーズ・オブ・メロディーズ」(グリーンフィンレコーズ)という童謡ばかり集めたアルバムを出しました。本島さんと言えば笙の東野珠実さんとの企画で一度ロバハウスで一緒に中世の音楽など録音した、ちょっと異色の声楽家であります。

声楽家とのCDは恐らく初めてではないかと思います。そういうチャレンジもどんどんしていきますね。

昔の童謡ばかりですが、本島さんは極めて声楽家として歌い、山下さんはジャズで伴奏をしています。

このジャズの伴奏がとてもジャズの初心に返ったような、もともとこういったフレーズが好きだったからジャズを始めたのかなと思うような、そんな原点を楽しんでいるような伴奏をしています。
特に野口雨情あたりのものはとても共感します。 

 

谷川俊太郎さんもそうですが、とにかくこのクラスの世界から注目される方々は心から優しさを持っている方だと思います。

パワフルであり、だれがどうしたとか失敗したとかでは無い、(男女の愛ではないですが)一緒になって演奏を終れ、本当に一緒に演奏して良かったと思えるそんな音楽の至福のひとときを共有できるのです。

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(2017/5/5 桧垣康彦氏撮影)

今年の「春のオンガッカイ」は全て無事終了し、今年も谷川さん親子とお客さんと素敵な時間を共有しました。 

谷川さんとの今年のジョイントメインは絵:川原田 徹, 詩:谷川 俊太郎の絵本「かぼちゃごよみ」を素材に、プロジェクタ投影して俊太郎さんが詩を読み、ロバと賢作さんが交互に演奏しました。     

川原田氏は北九州市門司の出身で、ブリューゲルやボッシュに影響を受けた強烈な画素材を鏤め、門司の昔の風景をさらに超現実的に変えていく様な不可思議な絵が展開されます。1月から12月までの十二枚の絵に谷川さんがその絵に則したり則さなかったりして詩を書いています。 

今回の企画が決る前に、僕は既に六月の詩に曲を付けていました。 

あまだれは おなじおと 
むかしもいまも おなじおと 
あまだれは おなじおと 
あのまちもこのむらも おなじおと 
おもいだせそうで おもいだせないおもいでのように 
かさでかおをかくして あるいてくるのは 
だれ? 

<谷川俊太郎>「かぼちゃごよみ」より 

本来、淡々とした情景を歌ったものと感じるものかも知れませんが、僕の解釈は違いました。 
まず、普通なら「雨だれはあんな音、こんな音、色んな音が聞えていいね」と来そうな所ですが、あえて「同じ音」としたのには訳がありそうでした。 

ひょっとしたら雨だれは、人間一人ひとりの事を指しているのかも知れない。雨だれがが音を発する事は人間の営みであり、それは如何に文明が変ろうとも、昔も今も、アフリカも中国も、金持も学歴も、基本的に変らない。極端に言えば人間も動物も生き方が大きく変るわけではない。より「不変」「永劫」を表しているのではと思いました。 
確かに原子レベルで考えれば全てのものは原子核と電子の組合わせで出来ています。組合わせが違うから違うもののように見えて、実は全ては同じもので出来ています。 

ヒンズーの教えに「梵我一如」というのがあり、宇宙と個人は同一のもので、自分と他は区別がなく、宇宙全体でひとつの生命という素敵な考え方です。 
手塚治虫の「ブッダ」では、乳粥をくれたスジャータが死にそうになり魂の輪の中に入ってしまうのですが、ブッダが神様にスジャータの魂を返して欲しいというと、 
「その辺の好きな魂を持って帰りなさい。どれも同じようなもんじゃ」 
と言って生返らせるというシーンがあります。 
これは史実とは全く関係ないフィクションですが、端的に梵我一如を表していると思います。 

また鴨長明の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」に近いのような気がします。生れては消え生れてはまた消える人の生と営み。ただここに出てくる「不変」は「無常」と対を成し、谷川さんの詩ではざっくりと「無常」は省略されています。 
心はあまだれのようにひとつの雲から生れて、その落ちた環境によってそれぞれの道を歩みますが、元は同じものです。 

そうなると「思い出せない思い出」というものも他の人と共有しているものかも知れません。夕日を見るとなぜか懐かしさを感じたり、山を見れば晴晴れとした気持になる。人は大きく捉えれば君は僕で、僕は皆だ。 
歩いてくるのはよく見たら自分かもしれない。 

実は打上げの時にこの話をしたかったのですが、まとめないとなかなか正確に伝えにくいので、いずれ文章で聞いてみたいと思います。きっと全然違っているんだと思います。でも僕がそう捉えたのも事実であり、同じものを観ていても幾つもの世界が見える。 
素晴しい詩はそんな許容量を持っているような気がします。 

この詩に曲を付けるのにその同じ構成要素を見方によって違う情景に見えるよう、小節単位でどこからでも出入り可能な無限カノンを作ってみました。伴奏は一小節のみのオスティナートが永遠に繰返されます。 



祭りは終った。
11ステージのうち、追加公演以外は全て完売。約900人もの人々がここに訪れた。
リピーターも多い。他の公演は来なくてもこれだけは欠かさないという人もいる。
人はこの時期、ここに何を求めてくるのだろう。と、いつも考える。
言われてみれば、クリスマスはクリスチャンでない我々も含め、愛や平和について考える場なのかも知れない。
確かなことはこれ以上ないほどの笑顔で溢れていることと、中には気持を抑えきれず涙をぬぐう方々がいることだ。
もちろん我々は出来得る最高の音楽メニューと演出で臨んでいる。
おそらくお客さんの方は我々の全て含めて、ここの環境、ここに来る他のお客さんたち、それら全ての優しさと温かさを求め、受入れてくれる。
すでに気持が一つになったところから始められる、特別な演奏会場なのだ。

「来年も必ず来ます」「お腹の子が3才になったら連れてきます」
その言葉がある限り、我々は生きて舞台に立てる限り、何があってもやり続けなければならない。
プレゼントを渡し続けるサンタのように。 

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サーカスのシーンで廻る象のオブジェ(中里繪魯洲氏作)
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作成途中の幸せを呼ぶ長井お面(福袋用)

FBコメントより

>Makiko Sakamoto 12月26日 8:35
わ、長井さんがいっぱい wwww 
900人もの笑顔を想像しています。本当に、素敵な時間だろうなぁ~いいなぁ~ ずっとずっとサンタでいてくださいね。
「クリスチャンでない」というところ、とても重要で、そこが、とても素敵なところだと思います。愛は、宗教を超えるのだっ! w

>上野 哲生 12月26日 18:45
「クリスチャンでない・・」というくだりはガリュウさんが公演で話す言葉ですが、この分け隔てない愛の感覚はどちらかというと仏教にも通じると思うのです。
世界の風潮として自分たちさえ良けりゃ良いという波が強くなってきてますが、西欧だけでなく日本ももっと難民を受入れるだけの愛があればと思いますが。

>Makiko Sakamoto 12月27日 7:25 
今年の、クリスマスのローマ法王のメッセが、「宗教を超えて・・」というのも、日本に突然出没のダライラマ師とか、そういうのもありつつ、とにかく、誰かの教えとかでなく、みんな、静かにある一夜に思いを思いを持つ、とか、もう、生き物共通の何か、ですよね。 
クリスマスって、冬至の祈りに生まれた民族的な、何かの祭りとか、そういうのと一緒くたになってるやつですよね。だからこそ、もう、今のように、色々わかっているからこそ、もう、宗教を超えて、いいの、あなたを幸せに、っていう基準で、全ての、生 を得た人は、さらに他の生のために、何かを。サンタを信じるすべてのひとには、心にサンタが住んでいる。 そのサンタが、こっそり何かしている。
というのに、本当に、最近の風潮は、逆行していますよね。。。 ただ、価値観は、いつもオセロゲーム、人の心も、振り子のように、ある程度振れると、また戻る、はず。。。と信じています。
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>上野 哲生  12月27日 16:25 
その辺りもう少し人間は進化しないといけないでしょうね。宗教に何で戒律があるかというと子どもに怒るのと同じで、これしちゃあ駄目だよ。罰を与えるよ、と言わないと解らないからあるわけで、本当は宗教に頼らなくても自立して解るようにならなくちゃいけないと思う。

>保阪聡 12月27日 4:54
長丁場お疲れさまでした。家業故に(ケーキ屋さん)なかなかクリスマスコンサートに行けないのが悔しいのですが、来年こそはと思っています。
私も以前、この空間で、幸福感に包まれ思わず嬉し涙を体験してしまいました。子供達のためにと聞き始めたロバの世界ですが、とっくに自分が一番はまっているのかも知れません。いつまでもサンタであることを強いている一人です。

>上野 哲生 12月27日 16:55
ケーキを作るのもコンサートをするのも、きっと役割は同じだと思います。コンサートはその場ですぐ反応が返って来るので解りやすいですが、それぞれの家庭の中で笑顔でたくさんの拍手を受けていることと思います。
お互いいつまでもサンタであり続けましょう。 

今年で32回を迎えた「ロバの学校」は天気に恵まれ、静かで幽玄なロバ祭と、子どもも大人も誰もが手を動かし、積極的で傍観者にはならない、力みのない素敵な合宿となりました。

今年はロバの音楽座が結成30周年で、ロバの学校はさらにその2年前から始めたことになります。
20代の終わりからずっとやっていたわけで、さすがにロバの学校の若いスタッフたちからは、体調、体力的にいつ出来なくなってもおかしくないと心配されます。
確かに公演活動も搬入搬出・舞台仕込・打合せ・運転など全て自分らの手でやっていて体力的に大変ですが、ロバの学校はそれ以上の得体の知れないエネルギーを使います。

僕に関して言えば、公演で子どもたちを巻き込むことは出来ても、数人の子どもたちの意見を聞いて何かそこから創作的なものを引き出していく作業は、歳を重ねても年にたった数日の出来事なので慣れることはありません。
身体はどこも悪いところがないし、体力は昔と同じように使いますが、年々回復力が落ちているのは確かです。それなりの身体の動かし方になっていくのでしょう。
ちょうどオリンピックの閉会式に「ザ・フー」が出て来て(まだ活動していたとは!)、もう67才になるであろうピート・タウンゼントは、相変わらず腕を振り回してギターを弾いてました。
彼らはもう少しで結成50年になるはずです。 アクションバンドの彼らも終わってへとへとになっているのか知れません。
「ロバの音楽座」の舞台も「ロバの学校」も動き回ります。
そんなときに体力の衰えを微塵にも感じさせてはいけないと思っています。
青山のVACANTと言うところで、大規模ではありませんが、ロバの音楽座が結成30周年記念コンサートがあります。
先日はここでガリュウーさんの娘=ののほのいるバンド「ショピン」の素晴らしいライブがありました。
同じ場所で我々があと何年一線でやっていけるか、世代交代なのか、どうかご見分下さい。 http://www.roba-house.com/live.html#vacant Mori4ms2

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