息子・琴久は誰に似たのか、酒飲みだ。
非常に過酷な教員という仕事の最中、唯一心の癒しとなっているのが、温泉と酒らしい。
知らない街でも居酒屋を開拓し、店やお客と意気投合し、2軒目や3軒目に行くことも良くあることらしい。
温泉事情、居酒屋事情は本を書けるほど詳しいが、本人はそれで何かを残す気はないらしい。
半年ほど前に琴久が、
「西荻にお気に入りの店があるんだ。今度行こうよ」と珍しく僕を誘った。
西荻は大学を出て程なく住んだ場所だ。45年も前で、古楽器など、ほとんど知らない頃だ。
西荻に住むことで、ようやく電話番号が「03」になると喜んでいたが、(音楽業界と関係を持つなら「03」の電話番号を持っていないとと良く言われていた。)実際には100メートルほど都内から外れて武蔵野市だった。結局電話番号は「042」のままだった。
「中華なんだけど、豚足やビーフンが美味いんだ。」
「まてよ、西荻で豚足と言えば、あの台湾料理屋か?」
「ええっ、知っているの?」
知っているも何も、45年前、ここに2日に一回は通った常連だった。店がまだ健在だとは思ってもみなかった。
まさか息子と2代に渡って同じ店を見つけて、共有出来るとは夢にも思っていなかった。

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琴久とはなかなか都合が付かず、8月のある日、ようやく45年ぶりの台湾料理・珍味亭に再会した。
先代の親父さんは(当時から歳を取っていたが)流石に亡くなっていたが、その息子と孫が珍味亭の味を守りつつ頑張っていた。息子は恐らく僕より年上で、当時は眼鏡をかけ今の孫そっくりの顔だった。

珍味亭親子
料理はほとんどが特製のタレに漬込んだ豚肉の様々な部位が中心だ。まず生にんにくの入った醤油が小皿に出される。ほとんどものをこれにつけて食べる。豚足は特に有名で、店の前のデッカい寸胴鍋にゴロゴロ入っている。日本の光景とは思えない、千と千尋の親が豚になってしまうあの店のイメージが近い。耳、頭、タン、胃袋、子袋、尾、卵、などが同じタレで煮込まれている。特に尾が美味い。火を使う料理は木耳肉炒、焼米粉と汁料理のみで焼米粉の注文が入ると店内が大蒜と油の煙で満たされてしまう。琴久は一番気に入ったようだ。ここの味は日本広しと言えど、ここにしかない。

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残念なのは当時行けば必ず飲んでいた台湾パイカル(白乾児)が15年前に生産中止となったことだ。これは中国の60度近くあるパイカルとは違い、35度くらいの飲みやすくすっきりとしたパイカルだ。昔を懐かしみこれを求めて来て残念がるお客も多いとのことだ。あと当時の親父が作っていた腸詰もなくなっていた。昔はガス台の上に何本もの腸詰が垂下がっていた。
パイカルの替りに孔府家酒というのがあったが、度数が強く中国のマオタイ(茅台酒)に近い味だが、結構きつく感じ、琴久も相当これには苦戦したようだ。台湾紹興酒がこの日は最も飲みやすく美味しく感じた。ここの全ての料理に合う。

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西荻南口の界隈は店は多少変ったが、昔の風情は保ったままで、それが良い。琴久のお陰で再びここに来て、店の大将も親子二代でと昔のような会話をし、こちらも親子二代でやって来て、昔のように知らない隣の親父と会話も盛上がり、何か感慨深いものがあった。世の中も自分も随分と変化したようだけれど、故郷を持たない僕にとってこれほど故郷を感じたことはない。
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