ロバの音楽座のツアーで、泉大津からのフェリーに乗る時まで3時間余りあったので、旧万博跡地の国立民族博物館=通称民博に行った。
僕にとっては45年ぶりの民博だ。当時はシルクロードの事は本では知っていても、今の様にyoutuveとか、ネットの情報も金もない時代、引きこもりの?僕にとって民博で世界の文化を観て知る方法しかなかった。
金も無いので50ccの原付バイクを飛ばし、東京から野宿をしながら(たまに安宿に泊まり)3日間かけて大阪にたどり着いた。民博の余りの情報量の多さに頭がおかしくなりそうで、5日間通い詰め、少しずつ色んなものを見る事にした。
当時特に興味があったのはペルシャ文化だった。セタールやタール、トンバク、ケマンチェなどを、間近で見るのは初めてだったし、当時写真も写せないから、何度も観て目に焼き付けようとした。
何度か話題にしたが、僕がペルシャに魅せられたのは、小泉文夫さんの監修で招聘したイランの音楽家の演奏会と、松本清張の「ペルセポリスから飛鳥へ」と言うエッセイからだ。
後者は奈良時代に日本にペルシャが来ていたと言う、これはすでに説ではなく事実なのだ。日本書紀などに出てくる「胡人」とはペルシャ人の事だ。正確を記すならソグド人と言うべきだろう。
はペルシャよりもっと現在の中国に近い、サマルカンドあたりに位置していた商業を得意とした民族だ。
ソグド人とペルシャ人はペルシャの言語を話し、同じ民族と言っていいくらいに近いが、定義は難しいがイコールでは無い。
確かにペルシャ人は650年以降、イスラムの台頭に沢山の人たちが何千キロも旅をして長安の都に逃げ込んだ。その人たちの一部は仏教に改宗し、鑑真などに同行して日本にやって来た。これは710年頃の話だ。僕にとって何となく日本に最初にやって来たペルシャ人のイメージがあった。
ところが日本書紀の成立が620年だとすると、すでに胡人の記述が出てくる。ここに出てくる胡人こそ、サマルカンド辺りに住んで、伎楽面などを日本に持って来たソグド人では無いのか。つまり僕はイスラムの台頭をペルシャ人が日本に来る理由づけに済ましていたのだが、単純な話、すでにペルシャ人はイスラムの脅威とは関係なく日本に足を運んでいたのだ。酒船石、猿石など明日香の地にそう言うものを作った時期は、簡単に日本に行き来していたのではないか。
伎楽面が中国や朝鮮半島に残っていないで、日本にしかないのは、安易に考えれば直接やって来たと見て良いのでは無いかと思う。今までいくつかペルシャの事を書いた中で間違っていたことが発覚した。
今回偶然、ロバのツアーの始りに大阪の国立民族博物館で特別展「シルクロードの商人(あきんど)語り―サマルカンドの遺跡とユーラシア交流―」というのををやっていた。まさにソグド文化の特別展だ。新たに採掘した木簡や出土品が多く展示されていた。多くの楽器の絵、ペルシャのイメージとはまた違った出土品。どちらかと言うと敦煌を匂わせるところを感じざるを得なかった。もちろんどちらもシルクロードの中継点であるから、東西の影響はかなり色濃く出るであろう。
実はソグド人と言う民族に、かなりイマジネーションを掻き立てられる時期があった。1990年頃の話で、「ソクディアナ」と言う歌の曲まで作っている。
この歌はどう見てもインドの有様を描いたとしか思えない。ただ、インドを描いたと言うより、ソクドの詩人が旅先のカルカッタで、凄まじい混沌の中で生命の不思議を驚愕するという、その頭の中のカオスを描きたい、そんな2重構造の歌である。
今思えば、ソグドというタイトルで曲を描きたかったが、ソクドの詩人を主人公にして、その視点から見た光景というこじつけのような歌である。
自分でも忘れていた作品だが、とても興味深いところも多々あるので、公開します。
(動画は同時期に撮った秋芳洞の映像を加工して使っています。)

「ソグディアナ」詞・曲;上野哲生(サズ、サントゥール、ザルブ)、歌:上野律子