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「埋み火」故溝上日出夫先生追悼歌曲 原田隆峰・作詞 山下洋輔・作曲
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原田隆峰さんを偲んで
山下洋輔トリオ
改めてこの初期メンバーの凄さを教えられたのはBS231(放送大学)の「日本人にとってジャズとは何か」で山下トリオの初期メンバー(サックスは坂田明さんですが)でトリオのジャズスタイルを解剖していく番組がありました。この番組の面白いところは、確かに日本人は西洋の様々な音楽をやっていますが、山下トリオが「普通のジャズをやっていてもしょうが無い、如何に自由に自分たちにしか出来ない音楽をやっていくか」と言うことを模索していく過程をそれぞれのメンバーが解説していきます。
坂田さんはそれまでジャズのスタンダートを吹いたこともない様なキャリアで、自分にしか出来ない、これなら出来るという事を山下さんに「それで良いのだ」とバカボンのパパのように認められ、森山さんも全く自分にしか出来ないようなリズム分割をやったり、他のバンドでは到底認められないような技を「それで良いのだ」と認め、世界の何処にもないスタイルを生みだした。これが世界進出できる日本人のジャズに他ならないでしょう。
番組ではもう80近い3人のレジェンドが生み出す音は、1969年に箱根のロックフェスティバルではじめて聞いた時を彷彿させる、(それは年齢を重ねて当時と同じパワーでは無いにしても)本物はここにあるんだという事を証明するかの如く、心揺さぶられるものがありました。
番組の放送の方は何度か再放送していますが、明日6/11(土)21:00〜と21:45〜の2回にわたって再放送します。
日本は本当に西洋の様々な音楽を取入れていますが、自分たちの形にすると言うことはどういう事なのか、そう言った意味でもとても興味深い番組です。
早稲田での6/12 のライブは申込は締切りましたが、配信では観ることが可能です。
新聞記事にもありますが、当時のライブには田原総一朗まで関わっていたんですね。面白い時代でした。
「題名のない音楽会」で山下洋輔さんの「砂山」編曲
7日間ブックカバーチャレンジ最終日「ピアノ弾き即興人生」
最後はご機嫌な山下洋輔さんの本で締めたいと思います。
特にこの本が山下さんの一番と言うわけでは無いのですが、僕やロバの音楽座の話題がちょこちょこ登場します。
山下さんとのご縁は同じ国立音大作曲科の中村太郎先生、溝上日出夫先生の門下で、山下さんが10年ほど先輩です。
お会いしたのは卒業後、中村先生の新年会に参加し、その時参加していた山下さんに密かにファンだった僕が思いきって声をかけてからです。
「なかなか面白そうな奴だ」と言うことで、僕の実力も知らないのにいきなり「題名のない音楽会」でトリオと共演するときのオーケストラアレンジを任されました。それ以降、「オーケストラがやってくる」を始めオケや室内楽と一緒に演るときはアレンジを任されました。「ラプソディー・イン・ブルー」も最初にアレンジしたのは僕だと思います。
山下さんとオケが対決するためには、原曲をなぞるだけではオケが目立たないし、山下さんも面白くないので、様々なオケの技法的実験をやらかしました。
「この僕の後輩である上野君のアレンジは素晴らしいのだが、何が凄いかと言えば、お構いなしに自分の曲を中に入れてくる。」
とアレンジのことを舞台で紹介してくれたりしました。
その中にクルドのリズムと称した曲を作り、それが山下さんのヒット曲「クルディッシュダンス」の基になりました。
僕もロバの音楽座が忙しくなり、山下さんも僕より腕の良い著名な作曲家達の編曲の基、世界を駆回ります。
その後ロバの音楽座とは「もけらもけらコンサート」で山下さんとはどこにもないジャズと古楽との夢のような世界を作り、子どもも聞けるジャズと言うことで、近年も何度か演奏しています。
自分の話ばかりで恐縮ですが、葉山から立川に越す縁を持ったのも、「立川近辺でピアノがガンガン弾いて怒られない家はないか?」と僕に電話が合ったので、側にいたロバのがりゅうさんが「ちょうど家の前の米軍ハウスが空いている」と答えたのがきっかけでした。まだロバハウスが出来る少し前です。山下家と松本家はご近所づきあいが始りました。
文筆家、ハナモゲラ和歌、笑いの発掘、囲碁、書いていくのも憚るほどあらゆる方面の興味が絶えない方ですが、やはりどこにもない独自のジャズスタイルがあってこそと思います。そして音をあそぶというロバのコンセプトと一致するところが有り、あくまで山下流であり、どんなに激しい肘打ちをしても、力まないしなやかなそのピアノは日本の宝だと思います。その無限の興味があってこそ湧きでるピアノフレーズと僕は解釈しています。
そんな山下さん、世界的な有名人を沢山知人に持ち、受賞パーティーを開くと各界から500人以上集るような広い顔を持ちながら、何かしら(特にMac関係の事で)僕に頼ります。家がロバハウスから近いこともありますが、事あるごとにやや遠慮がちに頼ります。
僕にとってはそれは何とも嬉しいことであり、何とか力になろうと、そんな気持にさせてしまう人格者であります。
もけらもけらコンサート
様々なコンサートの形があるし、好みもあると思うけど、どこにもないタイプのコンサートであることは間違いない。
このような事が可能なのは山下さんを含めたこのメンバーだからであり、宇宙が崩壊して何度とまた一から組立て直しても、このようなヘンテコなコンサートは生れてこないと思う。
あらためて録音を聴きなおしてみても、ジャズでもない、古楽でもない、日本でなければアフリカでもない、異世界の出来事のようでもあれば現実の出来事でもある。ドバラタでもあればグガンでもある。
観てくれた人たちは口々に「良かったよ」「楽しかったよ」「凄かったよ」と褒め言葉の嵐だが、ひょっとしたらみんなお世辞かもしれない。
ただ信じられるのは休憩を含めた2時間10分越えのてんこ盛りのコンサートを、4才の子どもからお爺さんお婆さんまで、最後まで食入るように聴いてくれた姿だ。
ロバの音楽座はまだまだマイナーなグループなので、この規模の公演をあと何度出来るか解らないが、まだまだ多くの人に「もけら」を観てもらいたい。
山下さんだけでなく、僕等だって歳を重ねていくわけだから、誰か早く企画してクレイ!
写真はYasさんから。
6/2 ロバの音楽座+山下洋輔「もけらもけら」
谷川俊太郎さん&賢作さんとのロバハウスライブが無事終り、6月2日のロバの音楽座と山下洋輔さんとの「もけらもけら」まで1ヶ月を切りました。
立川の名誉市民の山下洋輔さんと、立川の名所となっているロバハウスのロバの音楽座と久々の地元のコンサートです
実は山下さんが立川に住むに於いて、ロバが重要なキーパーソンとなっています。
80年代の終りに山下さんは葉山に住んでいましたが、当時山下さんの編曲を手伝っていた僕の所に電話がかかり、
「息子が小平の高校に通うので、そっちの方でピアノをガンガン鳴らせる家はないかな?」
たまたま僕の隣に居合せたがりゅうさんが、
「それならうちの前の米軍ハウスが空いている。隣がドラムを叩いたって気にならないし」
それですぐ引越してこられました。
未だロバハウスが出来る前で、野々歩や更紗がまだ小さかった松本家と山下家はご近所づきあいが始りました。
つまり携帯の無い時代、僕がこの電話を受けなければ山下さんは立川名誉市民の可能性はなく、有名な猫帰り神社の話しも生れなかったのです。←自慢!
程なく近くにロバハウスが出来て、最初のライブのシリーズに山下さんの書いた絵本を元にした「もけらもけら」の初演をしました。
当初、ピアノと古楽器でどうなるのだろうと思っていましたが、 演ってみると幼児から大人までジーッとくいいるように観て、笑い、驚き、愉しみました。
よく考えてみたらロバも山下さんも音あそびの達人たちで、ジャズでもない古楽でもない全く新しい音楽が生れたわけです。
それから90年代に「もけらもけら」は全国のホールなど二十数カ所演奏し、大好評を得ました。
少しブランクがありましたが、一昨年代々木でやったときは、年齢と共に昔以上にパワフルに進化したもけらの健在ぶりを見せました。
とにかくこの面白さは幾ら書いても伝わるものではありません。ぜひぜひお聴き逃しのないよう。
洋輔さんのパワーと暖かさ
9/1〜3に行われた「16th東京Jazz」に山下さんが出られ、その放送が10月から3週に渡って放送されるというので、番組は全て録画していました。
今回、山下さんと渡辺香津美さんたちの「寿限無2017」が出演するというので楽しみにしていました。山下さんはビックバンドとのセッションもあり、1週目に放送され、これももちろん楽しめましたが、2日目にやったはずの「寿限無2017」が2週目終っても放送されず、もう放送は無いかと思いました。
でもしっかり3週目の、番組的には「大トリ」に登場して、ガンガンやってくれました。あの2ヶ月前に一緒の舞台にいた山下さんが日本のジャズ界のトリとして出てくれたことは、嬉しかったと同時にとても誇らしかったです。
さすがにラップの入った寿限無は圧巻で凄かったです。僕的にはピアノの音量バランスをもっとあげて欲しかったですが。
よく考えたらラップもハナモゲラも印象的に近い所がありますね。
とにかく少なくともジャズでも世界のどこにもないスタイルを山下さんは打出せると思いました。
恐らく最もインパクトのあるステージだったので、NHKも最後に持ってきたのでしょう。渡辺貞夫さんもチックコリアも差置いて。
今年の7/29にオリンピックセンターで10年ぶりにロバの音楽座と山下さんの「もけらもけらコンサート」を終えて、その興奮は未だに身体に残っています。
90年代は20ステージくらい色んな所でご一緒しました。その都度めちゃくちゃ面白いという評価を沢山得ましたが、このアンマッチ的な組合わせの面白さはとても説明できるものではなく、観た人も人に伝えるのは困ったと思います。
手前味噌で凄いなと思うのは、これは子どもも楽しめるコンサートなのです。
知合いがFBで 「親子連れが先の予定があって子供が親に連れだされていたんですが『いやだーまだ見たいー』って泣きじゃくってました。子供にとってはけっこう長いプログラムだと思うのですが、流石だなと思いました
そう言ってくれました。
今回改めて、様々な方々から面白いと評価を受けました。
我々も山下さんも歳は取りましたが、ますますパワフルになっていくような気がします。
僕が思うに、山下さんと一緒に演奏して何が面白いか、「寿限無2017」の演奏風景を見て改めて思いましたが、最後の曲をやり終えて終った瞬間の達成感が必ずあるのです。これは他のミュージシャンはここまで多くありません。
もう一つは人間的な配慮がとても細かい方です。それは演奏にも現れて、ガンガン攻めてくる割りに、ちゃんと相手のやる事も包込んでくれるのです。だからかどうだか、音はとてつもなく暖かい響きがするのです。
ミュージシャンで山下さんを闇雲に大きな音を出す人だと勘違いして居る人が多いのかも知れませんが、実はエキサイティングな音の後にやってくるppはその落差もありやわらかく暖かい響きがします。
僕は80年代、ロバの音楽座を始める前から山下さんのオケアレンジを随分と任されていました(山下さんも僕も作曲の溝上日出夫先生の門下同士という縁で)。
山下トリオのテーマは短いですから、オケのやる事は色々そう策する部分が多いのです。色んな面白い事をやり、その中で使ったリズムから「クルディッシュダンス」が生れたりしました。
未だに「勉強やパクリの源泉は、上野さんですからね!オケと一緒にやる試みも上野さんが先鞭をつけてくれました。」と暖かく立ててくれます。
いえいえ結局の所、山下さんは文章でも話でもそうですが、坂田明氏や周りにいる人たちを大騒ぎさせて、その面白い部分を捕まえては拡大して話のネタにして、あの素晴しいエッセイが生れてくるわけですから。山下さんが拾い上げなければただの飲み会かも知れません。
音楽は生まれてくると言うより、拾ってくるものだと僕は思っています。その欠片を構築して形を作ることが作曲であり、ジャズであり、音楽を作る基本姿勢だと思います。
最近、山下さんは声楽家の本島阿佐子さんと「メモディーズ・オブ・メロディーズ」(グリーンフィンレコーズ)という童謡ばかり集めたアルバムを出しました。本島さんと言えば笙の東野珠実さんとの企画で一度ロバハウスで一緒に中世の音楽など録音した、ちょっと異色の声楽家であります。
声楽家とのCDは恐らく初めてではないかと思います。そういうチャレンジもどんどんしていきますね。
昔の童謡ばかりですが、本島さんは極めて声楽家として歌い、山下さんはジャズで伴奏をしています。
このジャズの伴奏がとてもジャズの初心に返ったような、もともとこういったフレーズが好きだったからジャズを始めたのかなと思うような、そんな原点を楽しんでいるような伴奏をしています。
特に野口雨情あたりのものはとても共感します。
谷川俊太郎さんもそうですが、とにかくこのクラスの世界から注目される方々は心から優しさを持っている方だと思います。
パワフルであり、だれがどうしたとか失敗したとかでは無い、(男女の愛ではないですが)一緒になって演奏を終れ、本当に一緒に演奏して良かったと思えるそんな音楽の至福のひとときを共有できるのです。
オータムコンサート2012 山下洋輔 in 下関 guest 桑原英子

溝上先生の没後10年という流れがあり、この演奏会に「風のめばえ」という作品で参加します。
藤島祥枝さんに詩をお願いして曲を付け、山下さんにはかなり自由にやってもらおうという作品です。
かつて何度も山下さんの編曲をして、得意技をよく知っているからこそ出来る作品だと自負しています。
でもこの作品は密度として詩が20%、曲の素材が10%で、残り70%は山下さんと桑原さんが作り上げるような余白の多い作品です。
クラシックの仮面をかぶったジャズと思って下さい。
9/21当日は僕自身はロバの公演で、皮肉なことに本州で下関から最も遠い青森にいます。
僕は録音で聴けますが、僕のためだけではなく、是非とも東京でも他の土地でも再演して欲しいです。
どれも全部違うでしょうけれど。
主催:山下洋輔オータムコンサート実行委員会(田辺容子)
チケット:ローソン0570-084-006(Lコード61370) S席=4,500円 A席=3.500円 高校生以下2.500円
チラシのPDF
http://www.scpf.jp/home/pdf/20120921yamashita.pdf
25年ぶりの「ラプソディ・イン・ブルー」
山下さんとオケが対決するためには、原曲をなぞるだけではオケが目立たない。山下さんもやりにくい。
オケが山下さんにちょっかいを出して、しかも山下さんが自由に乗ってくるような仕掛けを作らなくてはならない。
当時、すでにPCで楽譜を書き始めていたので、パートの移行や移調が楽だった。
そのため同じ「ラプソディ・イン・ブルー」でも1管編成から弦のみ、弦管4人づつ等バリエーションがあり、山下さん関係で家にあるスコアだけでも20cm以上積み上げてある。
ただ、シリーズが終わると再演される事はほとんどなかった。
山下さんからメールがあり、この中の「ストリングスのみのラプソディ…」を25年ぶりに再演するというので、昨日、演奏会場の神奈川県の二宮町まで聴きに行った。

このアンサンブル ラディアントのコンマス=白井英治さんは、当時このラプソディをサントリーホールでオケの一人として演奏している。
それがあまりに面白かったらしく、自分のオケで山下さんを迎えこれを演奏することが夢だった。
まさしくこの夢を叶えるための演奏会だったようで、演奏の前に白井さんと山下さんはこれに至る経緯を説明しだした。
いやあ驚いた。
ガーシュインを差し置いて、こんなにアレンジとアレンジャー本人の事にスポットを当ててくれた事は今までなかった。
「この僕の後輩である上野君のアレンジは素晴らしいのだが、すごいのはお構いなしに自分の曲を中に入れてくる。もちろんそういうことは大歓迎だ。しかも中には図形譜や象形文字まで入ってくる事もある」
と、実に嬉しい解説が入る。
僕としてはただめちゃくちゃにやるだけの混沌は避けたく、事実、別な曲には、落語の喧嘩の台詞をそのまま楽譜にして音にさせる事もあった。
山下さんの演奏のすばらしさは言うまでもないが、(おそらく白井さんの当時味わった感覚を自分なりにイメージした結果だと思うが、)最初の静けさから最後に至までのテンションの上がり方が、あたかも冒険スペクタクルでも味わっているほどに興奮してしまった。
僕としてはガーシュインではない別な音楽語法の異物を次々ぶつける事で、シュールリアリズム的な化学反応がはじまり、ソナタなどより何十倍も面白い展開部となって宇宙にまで飛び出したような所まで行のく。
そしてそこからちゃんとニューヨークのガーシュインに戻ってくる所で感動のラストを迎える。
そんなストーリーを特に白井さんが理解しているからこそ、会場全体が感動に結びついたと思う。
このコンサート、591名のキャパが2ヶ月前から満席でsold out。近くに住む後輩で山下さんとも共演している笙の演奏家=東野珠実さんも、特に山下さんと僕のコラボが聴きたいのにチケットが買えず、マネージャーの村松さんに頼み込んで補助椅子を通路に出してもらう程だった。
東野さんにも村松さんにもこのアレンジをとても賞賛していただけたことは嬉しかった。
四半世紀前の自分の中の消えそうな軌跡が蘇り、なおも新たな輝きを見たという最高の一日だった。
