政治の話をすると無視される風潮があると思う。友人同士でも家庭内でもSNSでも、普通にしていれば良いのに、音楽だけやっていれば良いのに、面と向かって言われないが、暗に言われてる様な気がしてならない。
中学3年の頃、社会科の先生=おばあちゃん先生がかなりな左寄りの意見を授業中に言っていて、普段あまり意見など言わない僕はこの時ばかりは「授業で政治の話を持ち込むのは良くないと思います」と言って、先生を泣かせてしまった事がある。中立性を持たせたいと思ったんだろうけど、今思えば僕は間違っていたかもしれない。
例の辺野古の問題にしても、中立性を問題にしているが、ただ中立性だけを言うなら黙っている事が中立なのか。こっちはこう思っているけれど、あっちはこう言う考えがあって、どちらも大事だね、って収めるのが中立性なのか?
僕はあの高校の先生に中立性を求めるのではなく、なぜ当時思っていた反対意見を言わなかったのか、なぜ議論の場にしなかったのか。おそらく当時の僕は先生の意見に同調はしていても、押し付けられたことに対する不満があっただけだと思う。それが中立性公平性を求めただけで終わってしまい、泣かせてしまったことを未だに後悔している。
僕はTVで「サンデーモーニング」も、「そこまで言って委員会」も観ているが、この二つの番組こそ左右に分れていて、双方の立場で中立性を欠いている。出演者を両方が半分づつ分け合って議論を戦わせれば良いと思うのだが、結論の出ない問題を無理やりまとめてしまう傾向にある。
僕の立場を言っておこう。今の僕は人からお花畑と言われようと、軍拡や軍事費を上げることも、武器輸出も反対だ。それは音楽をやっている自分のわがままかも知れない、とも思う時もある。戦争が近づけば活動は出来ない。
これは音楽家だけでなく、吉永小百合、坂本龍一、宮崎駿などをはじめとする著名人、多くの役者、映画監督、舞踏家、画家、宗教家、その他の表現者含めて同じだと思う。なぜなら表現者は全ては心の問題で解決できるからと思っているからだ。
平和でありたい、戦争をしたくない。こんなことは平和教育をしなくても、ちょっと歴史を知っている現代人なら戦争のリスクは誰でも思ってる事だ。率先して戦争をしたがっている人は兵器製造に携わる人たち以外にはそんなに多くはない。
今の日本の基点を大雑把に言えば、戦争を仕掛けられないために軍備を拡大させる(相手に脅威を与える)派と、外交や友好という心の問題で解決し(相手を安心させる)軍備を縮小させる派に分けられる。どちらも平和な暮らし、戦争のない世界を求めているには変わりないだけに、平和を論じるだけでは解決しない。その議論の焦点をはっきりさせ、解決策を見出すしか生き残る道は無いと言って過言ではない。焦点のはっきりしない論争は戦争に近く、益がない。
これは物価、生活、全てに関わってくる事だ。暮らしやすい世でなければ、僕は音楽なんぞやってられない。
だから政治発言は中立的な客観視にならないで、見守るだけで無く、同調も欲しいが反対意見も欲しい。人間は数だけの個性と考え方があるはずだから、それが何かを考える糧となるだろう。
自分を含めて中立が為に思考停止してしまう事が恐ろしい。


P.S.
僕はもちろん護憲派だけど、変えることで平和をもたらすと考えている人も多いと思う。
銃をちらつかせてこの国に手を出す事がヤバイと思わせるのが、この国が攻められない方法と考えている人が改憲派だが、これを論破しない限り押し切られる可能性が高いのも事実だ。家族を襲う強盗を取り押さえるのに武器を使わないのかと言われれば、いざとなれば使うでしょう。でもどうしたら強盗を生まない世界が出来るか、考える必要があると思う。