この曲は歌詞と共に1979年に作ったギターで弾き語りの作品です。
当時はじめて、ペルシャ=イランの伝統音楽に触れ、イランの詩や工芸品の文化、楽器などの源流を知り、イランに強い憧れを持っていました。
サントゥールという楽器を知ったのもこの頃でした。レコードで聴いてとても興味を持ち、これはどうなっているのだろうと様々な文献を探したりしました。
8世紀、イスラムの台頭によってゾロアスター教のペルシャ人が長安の都に逃込み、その一部が鑑真と共に日本に来たと言う事実も知り、自分の頭の中で生まれる前はペルシャ人だったというような妄想を描くようにもなりました。
そこでイランに行こうと思い、ビザを取ろうと大使館に電話をしました。
僕は当時、国際情勢など知るよしも無く、イラン革命が起ったばかりで、当然行けるような状態では無いと、断られました。
行けないと思えばこそ、イランへの憧れは募るばかりでした。思えば自分の演っている楽器の多くはペルシャ生れのルーツのものが多く、また詩のスタイルもゲーテが憧れたように、西欧の詩人たちにも多大な影響を与えたようです。
ペルシャの詩も日本に足跡を残しており、太宰治も「人間失格」の中で詩人:オマル・ハイヤームの詩を引用したり、様々な文学に影響しています。
ペルシャの詩が日本に最初に入ってきたのが4行詩で、1217年に南宋で書かれ、日本の僧侶によって持ち帰ったものがあります。
4行のうち最初の2行は出典は解りませんが、後半はペルシャの初期の詩人:フェルドゥスィーの詩だと後の時代に解かりました。
「世は思い出、われらは去りゆく者、人に残るのは善き行いのみ」岡田恵美子訳(後半2行のみ)
当時、僕はこの詩の部分の特に「世は思い出、われらは去りゆく者」の、鴨長明にも近い無常観にいたく心を奪われ、自分の創作活動の多くがこのテーマに縛られていきました。
そしてこの詩のフレーズを使って作ったのがこの動画の恋の歌です。
フェルドゥスィーのパクりだと言われても仕方ないですが、それほどこの詩が僕の中に根を下ろしてしまったのです。
結局僕はイランには一度も行っていません。イランに憧れても自分の演るのはイラン音楽でも無ればイラン文化の発掘でも無い、故郷は遠きにありて思うもの、の様な想像の世界で、政治情勢に左右されないところで、イランにイメージを抱いて生きて行くのが良いと思って生きてきました。
こんなイランを政治体制がどうあれ、宣戦布告もなしに土足で踏込み、多くの人間を殺害し、空爆だけで体制を覆すことが出来るなんて、思い上がりも甚だしい。イラン人は決して屈することが無いだろうから、この戦争は長引くでしょう。知能も誇りも勇気も優れたイラン人に比べれば、文化を持たない幼稚なネタ二ヤフやトランプはミジンコ以下です。それに諂う様々な国も同様です。かと言ってこのまま戦争が終らなければ、すでに我々の中にまで被害が及んできます。
その昔、英国の圧力でイランとの石油を何処も手を出せないとき、出光興産の日章丸が原油を強行輸入した事があります。それ以来日本とイランは友好関係を築いて、東北大震災の時は今の外相が支援してくれたり、本当は日本が停戦を呼びかけ調定すれば戦争が終るのかもしれない。
まあ、今の内閣からは想像もつかない話しですが。
そのフェルドゥスィーの詩に影響を受けた「時の川」、Psaltery伴奏で背景に油絵のタッチのAI動画を作ってみました。懐かしくも思いますが、作風は随分青いですね。