ススキの音楽フェスから帰った後、たまたま、NHK知的探求フロンティア タモリ・山中伸弥の「ヒトはなぜ音楽を愛するのか」と言う番組をやっていた。僕にとって非常にタイムリーで面白い番組だった。
研究者によると、ネアンダルタールが滅びて、ホモサピエンスが生き残ったのは、「音楽があったためではないか」という、(仮説だが)その可能性もあるという事だ。
確かに脳も身体も大きく、力の強いネアンダルタールが滅び、能も身体も小さいホモサピエンスが生き残った一つの理由はコミュニケーション能力だと、つまり力を合わせたり、人同士が共同体として何かを成しえる力があったためだ生き残ってきたと言われて来た。その人のつながりに大きな役割を果すのが音楽だという事だ。
別な言い方をすれば、音楽が無ければホモサピエンスは生残れなかった。今の人類にとって、音楽は不可欠なものだった。
番組の中で様々な研究者の実験結果を示している。リズム自体は生まれたての赤ん坊でもリズム周期の予測する力を持っていて、リズムが途切れた瞬間脳に明らかな影響がある。つまりホモサピエンスは生れながらにしてリズムを感じる力を備えている。それは人類に近いチンパンジーでも見られない事だという。一部の鳥類や動物などでは見られる場合があるらしいが。
我々音楽を生業とする人間は,今までさんざん社会の危機には音楽は役に立たない、詩などのメッセージがないと伝わらない、などとあたかも音楽など無駄だと言われてきた。
ダーウィンは著書の中で「(音楽は)人類が授かった特質の中で、最も謎めいた行為の一つとして位置付けざるを得ない」と、音楽が何の役に立つのか訳がわからんと言わんばかりだ。
でも最近の研究で音楽が脳に影響する力は明らかで、痴呆症の治療に音楽が活用されていて、イギリスの殆ど夫婦で会話も出来なくなった人が、若い頃好きだったビートルズを歌うと、歌詞も全て思いだし、明らかに前頭葉に影響を及している。なんか10年後の自分を見ているようだ。
番組の実験では人の大好きな音楽は多感な10代から20代前半の時期に聞いたものが例外なく上げられると、これも自分もまさに当てはまると言ったところで興味深い。
番組ではポリリズム、協会の残響のメリスマ、リズムは共通だがメロディは民族それぞれ異なる、等のテーマを、よくもまあ78分の番組に収まったと言うほど濃い内容だった。
特に西洋音階と不協和音階を比べて、好みは世界共通ではないと言う結論は的を得たりと思った。タモリも言っていた「我々は西洋音楽に慣れすぎているからな」
僕の見解では音階の好みが共通なら言葉というものも音程やニュアンスは同じになると思う。でも英語の「yes」と「はい」では音程が違う。ざっくり言えば英語全般は完全5度、日本語は完全4度の系譜にあたると思う。実はこれは学生時代、日本語のオペラを作ろうと思ったとき、随分と調べた結果だった。
兎にも角にも非常に見応えのある音楽の力を科学的にも実証的にもバラエティとしてもわかりやすく作られた番組だった。
再放送はあるかも知れないので、あったらぜひご覧頂きたい。
NHKをぶっ壊すとか言う人もいるし、オールドメディアとか言われているけれど,こういう番組を作れるのはNHKしかないと思った。


人はなぜ音楽を愛するのか

番組ではアフリカのバカという民族のポリリズムが紹介されていた。普通音楽は揃って歌ったりするものだが、バカの歌は全員がバラバラでそこが素晴しい。音楽は揃っていて気持のいい人種と、バラバラで気持のいい人種が居る。
自分の事を思えば最も好きな合唱曲がリゲッティの「ルクスエテルナ」で、自分も大学時代の僕の合唱も16人いれば16声部を作るのが当り前のようにやった。オケのヴァイオリンパートもプルト分の声部をモアレのように作った。それらは全部書込みであっても西洋音楽の世界では殆ど受入れられなかった。
今でこそユニゾンの良さは理解するが、自由合唱とか複合リズムとか、耳で聴いて「これはどうなっているんだろう」と感じるものがたまらなく好き。

それでもオケは書いたとおりにやってくれるので、「題名のない音楽会」で山下洋輔トリオと「砂山」のオケのアレンジを任されたとき、前奏の2分は砂山のテーマを本当にプルトごとに譜面化にして第一ヴァイオリンだけで12パートに分けた。それぞれが違うタイミングで「うみはあらーうーみー」をオケ全体で60段譜を使い、バラバラに演った。この時は山下さんも黛敏郎さんも「面白い」と言ってくれた。テーマはパート単位に戻したが。
同じ頃、20面の箏とオケの作品を委嘱され書きましたが、この時も20面バラバラの譜面を作りましたが、依頼主に「これでは音楽にならない」と却下され、箏は十三弦を含め4パートになってしまった。僕にとっては20面を使う意味が無くなってがっかりした。
それでも声明のズレの世界を模したり、追分や尺八30人で奏でるヘテロフォニー、ライリーのインC、ライヒのズレの音楽に傾倒し、自分なりに色々試しましたが、そのバラバラが何で良いのか説明する言葉を持っていないため、今回のような番組を観てくれたならそんな説明が要らなかったのかなと思った。
ゆっくり説明できるときには、例えば数十名のリコーダーによる曲を作ったときは要素はすっきりして、リコーダーのパートごとに一つの旋律を自分の時間で好きなときに吹くという事もやったが、ある時からみんなユニゾンになってしまう、それが西洋的な凝り固まりなのか?
西洋音楽に限らず、日本の音楽教育はバッハや検校に始るのではなく、太古の、人と音楽の関わりから始めれば良いのにとずっと思っている。
結論に達しなくても人間にとっての音楽の意味から考えないと、我々のように他と違った楽器を演る人間が、知らない人にとって珍しい楽器だけで終ってしまう懸念があるのです。