Tessey Ueno's blog

古楽系弦楽器を演奏する上野哲生のブログ。 近況や音楽の話だけでなく、政治や趣味の話題まで、極めて個人的なブログ。

タグ:Psaltery

皆さま遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。家族3人皆元気でやってiます。
久しぶりに年賀動画を作りました。映像はNasaのものとVideo blocksを利用し様々なコラージュしています。
2作品あり、こちらは「新しい地球の夜明け」と題して、最後はあり得ない組合わせが待っています。


もう1作品は新年にちなんでポップな和歌の歌を聴かせます。実際には秋の歌が多いですが。2作品同時にFBはアップ出来ないので、こちらから


HPに今年の年賀画像、昨年の出来事、今年やってくる出来事、動画など、色々まとめています。ぜひこ、ちらもお寄りください。

Lost Things(忘れてきたもの) Composition & Psaltery by Testy Ueno
Psaltery solo の曲です。 最近、身近な人が何人か亡くなり、その人たちが生きているうちに何か忘れてきたもの、やり残したこと、どんな思いで人生の終末を迎えたのかそんなことをずっと考えていて、そんなイメージを音にしてみました。
画像はUnsplashというfree image サイトから老人の写真をランダムに無作為に集めて流してみました。画像と音が合うかも知れませんし、合わないかも知れません。合わないと思えば、音楽だけ聴いてください。

 

プサルテリーとリュートの一人演奏「夏の小人」です。(+Cello Pizz)
河原を散歩していると小人たちが草むらの間を小走りに忙しそうにしているので、せっかくなんで何か一曲聴かせようと思って作った曲です。
せっかく作っても、大雨が降った後はとんと見なくなりました。
 

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新型コロナウィルスの感染拡大に対応するため、ついに首都圏など7都府県に緊急時代宣言が出され、多くの皆さんが日々の生活について、生きるというとこについて改めて考えさせられた事と思います。
僕も普段そこまで考えないであろう色々な事を考えました。人類が生きていく中で幾度となく出遭う天災、疫病、戦争、そんなことを全て乗りこえて今こうして生きている事、そしてこれから何に向っていくのかと言うことなど。特に生命が短い一生を次の世代に託していくその節理を不可思議であると共に、そこに働く見えないなにかの存在を朧気ながら感じ取ることが出来ます。

そんな生命(いのち)とは何だろうと思いを馳せ、生れた歌をお届します。
正月から毎年の動画年賀を作り始めたわけですが、今はもう4月。ましてやお正月気分ではありませんし、いつもの上野家のキャラや技法的なアニメは今回はありません。

Storyblocks の動画素材を何層か重ね合せ、Animateで作った探査船の動画を貼付け単純にコラージュしました。
幼年の声が欲しかったので、琴久のCD「囀り」で録音した9歳の時の声を使っています。後半、律子とハモるのは現在の琴久で、同じ人間の時空を超えた共演となりました。


たまたま僕は明日で67才を迎え、決して油断が許されない世代に入りつつあります。
この疫病の脅威を、魔法の力を借りてでも何とかしたいという祈りを込めています。時間がかかりすぎることは命に関わってきます。人々が情報を共有し、知恵を出し合い、解決の糸口を掴んでいくことこそが生命の魔法の力になり得るのだと思います。

どうぞ皆さん、くれぐれも無理をなさらず、嵐が通り過ぎるのを待ちましょう。
世界に再び早く安寧の日々が訪れるよう。

この最初のプサルテリー即興(2013年版)の動画視聴がちょうど6万アクセスを越えていた。

個人でのこういう地味な古楽器演奏の類にしては驚く数字だ・・・と思う。
楽器も珍しいのか、海外のアクセスが多いようで、メッセージも良くもらう。とても嬉しいことだ。
 

解せないのは、この動画のアクセスだけが特出していて、他の動画の再生数は大した事はない。
4年後の2017年にもう少し映像も録音もクゥオリティを上げて、まとまりの良いプサルテリーの即興演奏をアップしたが、こちらは500程度しか延びていない。百分の一以下だ。

まだ他にいくらでも面白い動画をアップしていると思うのだが、なぜか最初の映像だけに集中している。

理由があれば知りたいところだけど、日本のお薦め観光スポットと、海外の人が実際に面白がって来るスポットが大きく違うのと、似たような関係なのか?
解る人がいたら教えて欲しい。

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。
このメールは上野哲生のアドレス帳よりBBC配信させて頂いております。

昨年はお休みしましたが、2018年の新しい動く年賀状が出来ました。
今年は目に見えない世界を描きたくて詩作を考えてみましたが、金子みすゞの詩がまさにぴったりだったのでそれで歌を作りました。
その歌と年賀のコラージュが動き出す動画です。
今回は余りおちゃらけないで、美しく描きたいと思いました。
お楽しみ下さい。



<あとがき>

勘違いにも甚だしいことが多々あります。自分のことです。

この動画年賀の金子みすゞの詩、著名な歌手の方から感想を頂いた後、
「"かわら"は、川原だったんですか?てっきり屋根の瓦かと思っていました!」
と言われました。
良く考えたら確かに瓦の隙間にたんぽぽが隠れているのであって、川原の隙間ではおかしいのです。

ただ、なぜか僕はこの間違った解釈の部分が映像的に好きで、タンポポわたげが水の隙間から無限に現れてくるような、ある意味シュールな感覚があり、そのままこんな映像を作ってしまったのです。
今思うと恥ずかしさでいたたまれない気持です。

まあ勘違いがあるからこういった展開のものが生れたと、勝手に思い込む事にします。
失敗は成功の元ではないですが、世の中に勘違いから生れたものは様々あるでしょう。

世阿弥の書に「風姿花伝」という有名な能の心得を書いたものがあります。舞台で演じる人は一度は目を通した方が良い書物だと思います。
この事は何かあるごとに書きましたが、僕は恥ずかしい事に「風姿花伝」を「風の姿を花が伝える」と解釈したのです。
風の姿は見えないけれど、花がそよぐ姿によって風のかたち、あるいは風の心まで伝えるようになれる・・・。表現とはそういうものだと。
僕はなんて素敵なタイトルなんだろう、これだけで真理を言い当てていると思いました。それから僕は見えない何かを伝える表現者として、常にこの霊媒師みたいな立ち位置で音楽活動をやっていくことになるのです。
(本当は「風姿」で姿、「花伝」で書を表すのであり、こんな解釈はありません)

今年「見えないもの」にテーマを絞ったのも偶然ではありますが、まさに世阿弥の「初心忘るべからず」を意識したまでです。
別の歌手の方から年賀に共感の感想を頂き、次の言葉が座右の銘だと言ってくれました。
僕も大好きだった言葉を思い出させてくれました。

「大切なものは目に見えないんだよ」(星の王子さまのキツネの言葉)


Voice:Ritsuko Ueno Psaltery:Tessey Ueno CD琴霊の中の1曲にVideoblocksの素材を借りて、音の風景を作ってみました。


フェリーから撮った映像に「木漏れ日は万華鏡のように」 Sunlight through the leaves of trees is like a kaleidoscope. (Voca, Lute, Santur,l & Psaltery from CD "KOTODAMA") を無作為に乗せてみました。 時が過ぎていくことを忘れるような気がします。 Vocal: Ritsuko Ueno Psaltery, Lute, Santur, Composition: Tessey Ueno
MAGI Record http://www.tessey49.com

音楽はどこからやってくるか、これは人がどこからやって来るかに等しい。
人はものを作る。でも本当にそれは自分の中だけで生まれ、何の影響を受けずに独立しているものだろうか?
ハーモニーを付けたり、音色を整えたりするのは、多くは技術の積み重ねで出来る。
でも、メロディはどうか?これは技術の範疇では説明の付かない、どこからやって来るのか科学的にも解明出来ない部分だろう。

考えてみると、音楽を創ったり、演奏したりする事は、なにか霊媒師の作業のようなものの様な気がする。
この年になって感じるわけではないが、音楽を創っている時の背後には明らかに何か居る。
背景にある何か形のない存在がを、自分の身体に憑依して形にしている。
だからもし自分の作品が素晴しいのであれば、その何かの存在であり、自分では何かをしている感覚はない。
ただ、この霊媒師の作業は技術の要る作業となる。 ある意味で原石のようなものに磨きをかけるような作業であり、支離滅裂に並べられた断片から流れを掴んで、人が解りやすい状態に形作る作業でもある。
そう、曲を創る作業は映画や雑誌を編集している感覚に近いのかも知れない。

即興演奏をする時は、まさにその背後の何かに演奏させられているとしか思えない場面がある。
よく二台のプサルテリー(中世の箱琴)で会話をするように旋法を使った打ち合せのない即興演奏するが、調子が良ければ気の流れのようなものが見えてきて、自分の作為の世界では考えられないような美しさと自然観と独自性をもった時間の流れを作ることがある(※)。
psa22
無宗教の自分が「神が宿る」としか説明の付かないことが多々ある。
空海の真言も宇宙の音を聴く事にあると思う。
僕の恩師、溝上日出夫先生も「ちょっと音を拾いに言ってくるよ」と散歩に出るという。 

ジョン・ケージが「作曲は、自分も聴衆の一人として楽しみたい」という内容の事を言っている。
自分の中だけでこね繰り回しただけの曲はつまらないと考えるのが自然なのだろう。
何が聴こえて来るか自分でも予測がつかない、だから音楽は面白いと思う。


※二台のプサルテリーの即興演奏はCDではカテリーナ古楽合奏団の「ドゥクチア」の「ショーム吹きの踊り」の前半、ロバの音楽座の「ロバの音さがし」の「雨のルーマニア」、一台のソロの即興では上野哲生の「いきものたちの哀歌」の「賛歌-木々は語る」などがある。

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